問題編 2 五人の巫女

 館にはベルがなかったのでそのまま扉を開く。


 古びた館の中を想像していたが、床は張り替えられていて、普通の旅館のような内装だった。奥には急な傾斜の階段が見える。壁も白く新しく塗られていた。昔訪れた時と構造は変わらないが、手入れはきちんと行き届いていた。


 藤堂は部屋を確認しながら建物の奥へと入っていく。一階には玄関と食堂と炊事場とこの館を手入れするための道具庫がある。


 障子の向こうから会話する人の声が聞こえる。その声の主は龍宮家の当主であり巫女たちだった。


 龍宮家の当主は女性がなることになっている。都で権力闘争に明け暮れて家を没落させた龍宮清麻呂の最後は五人の巫女によって殺害されて滝の中に投げ込まれた。


 そして、女性が家督を継ぎながら、千年もの間この家は存続して来た。働きアリのように龍宮家の男兄弟は当主のために一生尽くすことになる。


 藤堂は扉を開くと音は一瞬で止んだ。似た相貌をした五人の次期当主がそこにいた。供犠を行うに当たって五人も例外ではなく服装は決められており、儀式の手引き所に記載されている。


 五つの視線が藤堂と早希に向けられる。藤堂は一歩前に出て跪く。


「こんにちは、龍宮家の次期当主の皆様。私、今回の儀礼の祭司を務めさせていただく藤堂十五と申します。この二日間よろしくお願いいたします」


 椅子に座っていた一人が立ち上がってやってきた。赤色の着物姿だったが、頭髪は黒くまっすぐに伸びた髪だった。


「私は赤龍宮家の灯紗と申します。よろしくお願いします」


 灯紗と名乗る頭をゆっくりと下げた。その所作には年齢には似つかわしくないほどの威圧感があった。


「それで隣の方がお話に聞いていた補助の方でしょうか?」


 灯紗は早希をまっすぐに見た。


「彼女は私の助手として来ました。食事や洗濯などでお手伝いしていただこうと考えています。儀式の時間に遅れがあってはなりませんから」


「私は白野早希と申します。できることがあれば何なりとお申し付けください」


 早希は頭を下げた。


「そうですか。それなら色々と助けていただこうと思います。」


 灯紗は頭を下げた。所作の全てに次期当主として育て上げられた一端が見て取れる。


「私たちも挨拶をしましょうか」


 灯紗の後ろから声がした。彼女は青色の服を着ていた。残りの四人の龍宮家の人間も挨拶をする。


「私は黒龍宮家の流季です。よろしくお願いいたします」


 今度は落ち着いた様子の女性だった。お辞儀だけして次の人物に目配せをする。


「私はえっと黄龍宮家の塔那です。よろしく」


 彼女の髪も艶やかでまっすぐの髪だった。黄色の着物だった。今度は快活そうな雰囲気で五人の性格は異なっているようだった。


「私は橙莉です。よろしくお願いします」


 青い着物を着た女性は深くお辞儀した。


「私は錦花、よろしく」


 白に模様が入った着物を着た女性はそれだけ言った。


 五人の着物の色はそれぞれの家の五行に対応している。全員がいつでも儀式が出来る様子だった。そして、髪は全員肩までで切りそろえられていて、似ている顔の区別がつくまでは服の色で判別しなくてはいけなかった。


 そしてこれから一人の人間を生贄に捧げようとする人間とは思えないほど落ち着いていた。二十年前も形式的に生贄を殺害して滝壺に投げ入れたことを思い出す。どちらかというと当然のこととして儀式を完遂できるのかもしれないと藤堂は思い直す。


「荷物をお部屋に置かれてはどうでしょうか。その後、よろしければお茶でも飲みましょう」



 灯紗は二人が持っていた大きさの異なる旅行鞄を見て言った。


「そうさせてもらいましょうか」


 食堂を出て階段を上がり二階へ入る。


 一階は共用の部屋が並んでいて、二階に儀式を行う人間の宿泊する部屋が並んでいて、三階には瞑想を行う部屋だけがある。


「それでは失礼します」


「ちょっと待ってください」


 早希は自分の部屋に戻ろうとしたところを藤堂は呼び止める。


「この後、あの五人とお茶するのは私だけにしておきましょうか」


「いえ、大丈夫です。私も参加します」


「無理はなさらないように」


「分かりました」


 藤堂は自分の部屋に入った。客室の扉には鍵が付いていた。扉を開くと寝台と書き物机からなる簡素な部屋だった。背の高さの半畳ほどの洋服棚もあったが、それ以外には何もない。


 二日間、寝泊りをするだけだから設備も最低限だった。ベッドの横には蝋燭用の燭台があって蝋燭とマッチが備え付けられていた。蝋燭は一度火をつけると数時間は灯せる長さだった。デスクの上にキーホルダーの付いた鍵が置かれている。部屋には窓がなかった。


 この屋敷は基本的に二十年に一度の儀式のために作られたが、日常的には別荘として使用しているとのことだった。少し歩いた先に何人もの生贄を納めた祠があることは気にしていないらしい。


 龍宮家にとっての問題は二十年に一度の儀式を成功させることであり、生贄として選ばれた人間を人間として考えていない様子だった。


 藤堂はベッドの横に旅行用鞄を置くとベッドの座り、天井を見た。さっきの会話の様子を思い出す。五人とも普通の人間だった。それがこれから人を供物として捧げてしまうのが不思議だった。


 ノックの音がして扉が開かれた。


「藤堂様、下に行きましょうか」


 早希が部屋の扉を叩いた。


「分かりました。行きます」


 二人で降りると未だに五人は食堂にいた。


「部屋は大丈夫でしたか?」


 灯紗が尋ねる。


「ええ、特には問題ありませんでした。誰が支度してくれたのですか?」


 藤堂は五人を見渡したが誰も首を縦に振らなかった。


「家の者にお願いして支度させました。長い間、留守にしていて鼠の住処になりかけていましたよ」


「それは嫌ですね」


「私たちもできればここにいつも住む人を雇いたいと思うのですが、希望する人間なんていませんからね」


 この屋敷に来るためには駅の終点から数時間歩かなければ来ることが出来ない。路線の開発でこの地まで延長する案もあったが、この地域で行っている儀式を明るみにしたくなかったので、龍宮家が権力で押さえつけてしまった。


 龍宮家は生贄を用意させていることを秘密にして上手にその時の政権と付き合っている。何か密約を結んでいるのだろうと想像しているけれど、藤堂は何も知らない。

「簡単には帰ることが出来なさそうですね」


「とりあえず、お茶でも飲みませんか?」


「お願いしてもいいですか」


 藤堂がお願いすると橙莉が席を立つ。藤堂が座った隣に遅れて早希が座った。


「お手伝いさんと聞いてどんな人が来ると思っていたけど、随分若いね。生贄と同じ年くらいかなあ?」


 流季が早希を観察するように見る。


「そんなことを別に言わなくてもいいでしょう?」


 錦花は溜息を吐きながら言った。


「確かに失礼だったかもしれない。申し訳ない」


 流季は小さく頭を下げた。


「いえ、全然大丈夫です」


 早希は首を振ると誰も口を開かなくなってしまった。


「それにしても龍宮家の五人のお顔はよく似ていますね」


 藤堂がその沈黙を破って口を開く


「それはそうよ。五つの家がずっと続くはずがない。家が途絶えるたびに新しい当主を他の家から入れるの。そうやってこの家は続いて来たの」


 塔那が説明した。


「前に途絶えたのは江戸時代の末期だったね。村を襲った流行病で次々に人が死んだ。残った赤龍宮家の子供たちを中心に立て直したから、当分は似た顔になるでしょうね」


 流季が補足する。


「あと何年似るのかしらね。また、流行病が来るのが先かしらね」


 錦花は肩を竦めた。


 龍宮家が途絶えない原因は五つの家が分裂することなく、五つの家を存続させることを第一の目的として行動しているからだった。それにより何度滅亡の岐路に立ったとしても再び五つの家が揃っている状態に戻ることが出来る。


「そうですか」


 藤堂はそれだけ言う。確かに五人はよく似ていた。一卵性双生児のように完全に同じではなかったけれど、背格好や顔の作りは遠目には区別がつかない。


「時刻は一時半ですか。もうすぐですね」


 儀式は三時から始まることになっていた。


「緊張なさっているのですか?」


「ええ、そうですね。それで儀式の準備は順調ですか?」


 藤堂は歯切れの悪い返事をする。


「ええ、祠に全ての道具を入れるだけにしている。あとは時間通りに始めるだけよ。まあ、実際は二時半くらいには支度を始めるつもり」


 儀式は藤堂と生贄が祠の中で向き合うところから始まる。その中に五人がやってきて毒の含まれた茶をその場で作って。生贄に飲ませて殺害した後、扉を閉じて一晩置いておき、翌日の昼に滝壺に投げ込んで儀式は完了する。


「私も支度をしましょうか。少し服装も乱れてしまいました」


 藤堂は自分の狩衣を見た。山道で擦ってしまったせいで少し汚れてしまった。


「お手伝いさんはどうするの?」


 灯紗はさらに尋ねる。


「この館で待機してもらいます。差支えがない範囲であればよろしいですよね」


 藤堂が割って答えた。


「はい、好きにどうぞ」


 灯紗は頷く。付き添いの人間に関してルールは儀式に参加しないこと以外の記載はなかった。


「そういえば、藤堂様は昨年までは大学生をしていたそうね。村にいれば普通に何不自由なく生活できたのにどうして?」


 流季が藤堂に尋ねる。


「よくご存じですね。調べられたのですか?」


 藤堂と五人は今日会うのが初めてだった。予行演習もなく本番が行われる。前の儀式を行った父親と手順を何度も確認して今日に至る。


「気を悪くされたらすみません。色々な伝手で報告があるのですよ。ただ、どのような人が儀式に関わるかは気になるので」


 流季は謝っているけれど反省している様子はなかった。


「逆ですよ。普通に街で生活していたのに、村があったから戻ってきたのですよ」

 藤堂は少しだけ毒のある言い方になってしまったことに気づく。


「村に対してはいい印象はない感じ?」


「いい印象はないですが、これも家に与えられた宿命だとすればね。皆様もそうでしょう?」

「そうね。でも私たちはこうしないと五龍様に殺されてしまうから」


 流季は言う。その言葉に五人は頷く。心の底から五龍の呪を信じている。誰もこの儀式の中止を提案するような気配は一切なかった。


「そうでしょうね」


 藤堂は頷くことしかできなかった。早希は少しも喋ることなく端に静かに座っている。


「塔那、包丁でお菓子を切って出してくれない?」


「分かった」


 橙莉が塔那に呼びかけると塔那は立ち上がった。包丁とまな板は橙莉の手元にあった。


「お茶をどうぞ」


 橙莉が緑茶を持ってきた。塔那が切り分けた羊羹を隣に並べる。藤堂は一口ずつ味わって食べた。


「さて、私は少し身支度をして生贄を確認しようと思います。生贄の調子はどうでしたか?」


「大人しくしていましたよ。全く一言も話していません。おそらく、もう心が擦り切れているのかもしれませんね」


 灯紗は淡々と言う。


 麓の村から神輿に入れられてやってきた生贄は前日に暗い祠の中に押し込められて儀式が始まるのを待つことしかできない。


「死を受け入れるしかなかったのでしょうね。普通の人間であればどうにかなってしまいそうな状況ですから。くじで選ばれたから生贄になってくださいなんてね」


 藤堂は言い終わってから顎を手で撫でた。


「あら、生贄の方に随分同情的ね」


 流季は藤堂の様子が気になったらしい。


「一応、生贄に選ばれた弥子は私の知っている人ですから」


 弥子は藤堂の近くに住んでいて、子供が多くない村の中の貴重な友達であった。今でも彼女がくじで選ばれた時のことを思い出せた。それは胃の奥に何か澱んだものが湧き出してくるような感覚だった。


「そうなんだ」


流季はそう言ったものの、五人の当主たちは気にしていない様子だった。村はただ生贄を生み出すための場所としか捉えていないようにも思えた。


「一応、光栄なことではあるからね、私たちも無闇に人を殺したいわけじゃない。別に生贄なんかにならなくても人は死ぬ」


 錦花は横から言う。少し嫌な空気が食堂に流れる。早希は用意されたお茶に手を付けていなかった。藤堂はその様子を横目で見ていた。


「それでは私は服装を整えてきましょう。早希君、化粧の手伝いをお願いします。私だけでは上手にできません。彼女が最後に見るのは私の姿ですからね。少しでも見苦しくないようにね」


 藤堂は肩を竦めつつ、早希に視線を送った。

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