問題編 1 五龍殿


『私はこの身に起きた出来事を手記として書き残し、白野早希に渡した』


 前置きはそれだけで依頼人の声から感情を読み取ることはできなかった。会場にいる全員が彼女の発する言葉に耳を傾けていた。そして既に目の前の七海は探偵として集中している。


 久乃も全ての言葉を逃さないように意識を研ぎ澄ませた。

 

  *

 谷に掛けられた吊り橋を通り、さらに山奥へ進むと五龍殿は突然現れた。それは三階建ての五角形の楼閣であり、森の中に建てられた建物は異様そのものだった。


 建物は黒く重厚な土台の上に建てられて、そこへは舌を伸ばすように石段が続いている。外壁は白く塗り込められ、曇りガラスで出来た窓が赤い複雑な模様の窓枠とともに埋め込まれていた。

 三重の屋根は深い青色の瓦で覆われ、その瓦一つ一つが太陽の光を跳ね返している。そして屋根の頂上には金色の珠が力強く輝き、天地を繋ぐように見えた。その珠は、遠くからでも一際目を引き、建物の壮麗さと威厳を一層際立たせていた。


 五色を全て過不足なく使い切り均整が保たれている様子は陰陽五行の真理を体現するようだった。


 この場所は駅の終点から古い地図を頼りにしないと辿りつけない場所にある。一帯は館を所有する龍宮家が所有しているため、基本的に誰も立ち入ることはできない。


 京都の朝廷での権力闘争に敗れ、この地で五行陰陽の研究を行い始めた龍宮家によって建てられたこの建物では今でも陰陽の秘術として呪いを行っていた。


 藤堂家は先祖代々からこの龍宮家と結びつきがあり、二十年に一度、儀式を取り仕切ることになっていた。二十年ぶりに訪れたが、周りの森が一層深くなった以外変わっていなかった。


 五歳の時に藤堂の父親は彼をここに連れて来た。


「お待たせしました」


 声を掛けたのは早希だった。着慣れていない礼服だったが丈はあっているので不格好な印象はなかった。ハンチング帽の下に見える肩までで切りそろえた黒い髪は日本人形のようだった。


 藤堂は白の狩衣に紫の袴を履いていたが、手には革張りの鞄を持っていた。整えられていない髪と髭に眼鏡をかけて山道を何とか歩いて来たばかりだった。


 藤堂と早希は旧知の仲だった。祭司として呼ばれており、早希は二泊三日の短い間だったが、山奥で身の回りのことを手伝ってもらうために呼んだ。儀式に立ち会うことが出来ないが、それ以外の行動は五人の次期当主たちによって許可されている。


「平安貴族みたいな服装ですね」


 早希はいつもと異なる服装をしている藤堂を物珍しそうに見た。


「平安時代そのままの服装はあまりにも窮屈ですね。今すぐにでも身軽な格好をしたい」


 懐に差した扇子を取り出して顔に風を送った。


 早希は隣の家ということもあり幼い時からの知り合いだった。自分が元々、由緒ある神社の当主であることは知っていたのだが、こんな格好をしたことはなかった。そのため狩衣はきちんと作法の書かれた本を読んだり、知り合いの神主に着方を教えてもらったりしてなんとか着た。


 五龍殿で行われる儀式には服装、作法、祝詞といった全てに厳格な規則が定められている。藤堂がどんなことをしたとしても何も言わなかった両親はこの儀式だけはきちんと行うように言っていた。


「本当にこんなものがあるのね」


 重い表情をしながら早希は五龍殿を見た。この建物単体では奇妙な構造の建物で終わりだが、その奥には儀式のための生贄を閉じ込めるための祠がある。石で出来た重厚な扉は生贄を閉じ込めておくために作られていた。


 早希は儀式には部外者として参加しないことになっているが、神聖な場所であるから無難な服装になっている。


「そうですね。私も物心がついていないときにここに来たので、正直なところ、半信半疑でした。ただ、儀式の準備をすればするほどに、本当の事だと強く思わせられました。そして今、私の目の前に五龍殿があります」


 藤堂は顎を撫でて言う。


 この地では千年前から五行の秘術と称し、二十年に一度、村から選ばれた人間が生贄として捧げられる。


 平安京での権力闘争に敗れてこの地に来た清麻呂は修行の果てに龍を呼び出した。そしてこの地での繁栄を約束する代償として生贄を捧げる契約を結んだ。六人いた彼の子の一人を生贄、五人を巫女として儀式を行った。そして姓を龍に使える宮の意である龍宮と改めこの地で栄えることになった。


 それ以来、龍宮家は儀式を行った巫女の五人によって分割されて、五つのどの家もこの地で栄えることになった。平安の時代が終わり、武家の時代になったとしてもこの地を守る不思議な霊力によって龍宮家を維持することが出来た。


 様々な原因が重なって龍宮家は続いたが、龍宮家自身がその原因を全て儀式に帰してしまった。


 最終的に龍宮家は生贄を捧げることを忘れるときには今までの繁栄の対価として五龍の呪を受けることを信じるようになった。それはそれぞれの家を守る龍が家を崩壊させるというものだった。


「村での童歌に五龍の唄がありましてね。よく小さい頃母に歌ってもらいましたよ。どうしてあんな歌で眠れると思うのでしょうね」

 藤堂は口ずさむ。


 龍たちに捧げた生贄が


 龍が怖くて逃げだした


 そしたら龍たちは怒ったとさ


 白い龍は噛みついたとさ


 最後の部分だけ入れ替えられて五番まであり、その歌詞は次の通りだった。


 黒い龍は首絞めたとさ


 黄の龍は殴りつけたのさ


 青の龍は引きずり込んだとさ


 赤い龍は丸焼きにしたとさ


 五編からなる唄は村の人間だったら誰もが知っているものだった。五龍は五行をそれぞれ司り、それぞれの司る五行で人を虐殺していくという内容の唄は藤堂の家の屏風に描かれた。


 龍宮家が治める村では村の人たちも五龍を信仰しており、生贄に選ばれることを立派だと思う人間は少なくない。そして生贄が捧げられないとこの唄通りの出来事が村にも襲いかかるとのことだった。それが実際にどういうものであるか誰も分からないながらも、千年の間誰も龍との約束を違えることなく守り続けている。


「五龍の呪なんて本当にあるのでしょうかね」

 藤堂は家の役目としてこの儀式を執り行わなければならないが五龍の呪自体を疑う。


「どうでしょうね。私としては二十年に一度、人を捧げないといけない人たちの方が恐ろしいです」


 早希はうつむいて言った。村人は昨日まで一緒に過ごしていた人物が生贄として指名されると昨日までの事を忘れたかのように龍に捧げる供物として支度させる。


 この年の生贄である弥子は出荷するようにこの地に送り出された。神輿に載せられて、村人たちであの子守唄を歌う。藤堂は立場として先頭で唄って送るしかなかった。


「そんなことはこの屋敷の中では一言も言えませんね」


 藤堂は人差し指を鼻の前に立てた。


「そうですね」


 早希は頷く。目の前の館の中には龍宮家の五人の末裔がいる。その中で少しでも儀式に対して変なことを言えば、生きて帰れなくなる可能性だってある。儀式を取り仕切る立場であっても、藤堂家はただ儀式を実行できる人間を用意するために少しだけ高い立場を与えられただけだった。


 儀式がきちんとできないのであれば、藤堂家は村から追放されても何もおかしくない。


 龍宮家は一帯を支配しており、村人たちは誰も彼らに逆らうことはできない。五龍の呪の生贄に選ばれれば、拒否することはできない。


 白い服を着せられ、死者として顔に白い布を掛けられて神輿でここまで運ばれる。そして、村には生贄が捧げられるたびに作られる地蔵が一つ増える。村の入口に並んだ地蔵の意味を知った時のことを藤堂は思い出すことが出来る。


「私の儀式の視点をお話してもいいですか?」


「ええ、今しか話せないですからね」


藤堂は自らの家の歴史の解釈に役立つピースを探すために大学で歴史を勉強していた。全く自分とは関係のない分野に触れようと思ったけれど、理不尽な儀式について考えをやめることはできなかった。


「浅学ながら私の視点を述べると元々の五行思想に密教的な要素と土着神信仰が混ざり合うことによってこのような儀式が完成したのでしょう。龍宮家は平安時代だと様々な文化を吸収することが出来た高い家柄であることがうかがえますね。この様式の建物も頭を捻って建てたのでしょう。その後はその時代にあった建築様式を取り入れて柔軟に適応してきたのでしょう」


 建物は自らが世界であると主張するように建っていた。そして、昔からあるはずの建物は全く朽ち果てる様子はない。


「それが確認できるくらいしか良いことはありませんね」


 藤堂は言い終わった後、振り返って山の麓を見下ろす。


「確認できたとしても良いことはないですよね」


 早希は首を横に振った。生贄は毒を盛られて祠の中に閉じ込められる。そして、翌朝、死んでいることを確かめられた生贄は龍の住処である滝壺の中に投げ込まれる。


 滝壺に投げ込まれた死体は水の流れで上下する。それが龍の咀嚼と見立てられる。あの滝壺の中には少なくとも二十人の死体はあるはずだった。


「今、少しだけ気持ちは楽になりました。ここからは儀式を執り行う藤堂家の顔をしないといけませんね」


 藤堂は呼吸を何度かしてから、藤堂と早希の二人は並んで石段を上った。

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