第29話: 続く影

くるみは、いつものように教室の片隅に座っていた。教室は日常の喧騒に包まれ、友人たちの笑い声や会話が飛び交っている。だが、その中でくるみは孤立しているかのように感じていた。


事故の前も、今も何も変わらない。いや、むしろ状況は悪化しているのかもしれない。くるみは、いつもどこかに潜む敵意を感じながら過ごしていた。その敵意の中心にいるのは、小金井みこだった。


みこは事故の前から、くるみに対して冷たい視線を送り続けていた。みこにとって、くるみは「目障りな存在」だったのだろう。クラスで目立つ存在のくるみが、みこの注意を引く男子や、友達の関心を集めていることが、みこのプライドを傷つけた。だから、みこはくるみをいじめることで自分の優位性を示そうとしていた。


事故前から、みこはちょっとした言葉や態度でくるみを孤立させようとし、取り巻きたちと一緒に彼女をからかっていた。だが、くるみは黙ってそれを耐えていた。反論すれば、もっとひどくなるのが分かっていたからだ。


事故が起きて、しばらくの間くるみは学校を休んだが、復帰した時には何も変わっていなかった。みこが作り出した冷たい環境は、そのまま残っていた。そして、今もみこの敵意は続いている。


「田村くるみってさ、本当にいつも無口よね。」


昼休み、みこは取り巻きの友達と共に、くるみに話しかけてきた。いや、正確には「話しかける」というよりも「見下す」ような言葉だった。


くるみは静かに座り、無表情のまま机に目を落とした。みこの言葉にどう反応すればいいのか分からなかったし、何かを言ってもさらに状況が悪化するだけだと分かっていた。彼女は黙って耐えることに慣れてしまっていた。


「ねえ、事故に遭ったからって、みんなに同情されるなんて楽でいいわよね。」みこは笑いながら言ったが、その笑いは冷たく、友達たちもそれに合わせて嘲笑のような笑い声を上げた。


くるみは心の中で再び痛みを感じた。事故――その言葉は、彼女にとって触れられたくない傷だった。あの事故で、自分はこの世界に残るべき存在ではなくなったのではないかと感じていた。別の世界線から来た自分。それを誰にも話せないまま、くるみは自分がこの場所にいることの意味を見失っていた。


「ねえ、くるみちゃん。なんでそんなに大人しいの?事故で何か変になっちゃったんじゃない?」みこはわざとらしく心配そうな顔を作りながら言ったが、その目には明らかに悪意が宿っていた。


くるみは無言のまま、目を伏せた。事故以来、さらにみこからの攻撃は厳しくなっていた。以前はただの軽いいじめだったかもしれないが、今は何かもっと根深い敵意を感じる。


「なんで何も言わないの?」みこは苛立ったように言葉を投げかけた。「あんた、ほんとに変わったわね。事故の前からずっと思ってたけど、何か隠してるんじゃないの?」


その言葉に、くるみは一瞬だけ顔を上げた。みこの言葉が、彼女の心の奥にある秘密に触れたような気がしたからだ。


「みんな、気づいてないのかもしれないけど、私は分かってるのよ。あんた、何かがおかしい。」みこはくるみを睨みつけるように見ながら続けた。「事故のせい?それとも、もっと前から?」


くるみは何も言わなかった。ただ、無表情でみこを見つめ返す。その瞳の奥には恐怖と混乱が渦巻いていたが、それを表に出すことはできなかった。もし、みこが自分の秘密を知ったら――自分がこの世界の「本当のくるみ」ではないと知ったら、どうなるのか。


みこはくるみの沈黙に苛立ったようで、取り巻きの友達たちに目配せをすると、彼女たちはくすくすと笑いながらくるみの周りを囲んだ。


「ねえ、ほんとに何かおかしいんじゃない?くるみちゃんって、昔はもっと普通だったのに。」みこの友達の一人が笑いながら言った。


「そうよね。事故に遭った後から、ますます変になった気がする。みんな気づいてるけど、言わないだけよね。」もう一人が同調する。


くるみはその言葉の数々を、ただ静かに受け入れるしかなかった。心の中では、何かが崩れていくような感覚があったが、彼女は何もできなかった。ここで反論しても、状況が悪化するだけだと分かっていた。だから、何も言わない――それが、くるみの選んだ方法だった。


放課後、くるみはいつものように一人で学校を出て家へと向かっていた。頭痛が少しずつ強くなり、足元がふらつくのを感じる。みこたちの言葉が、まるで頭の中でこだまするように、何度も何度も繰り返されていた。


「私は、ここにいるべきじゃないのかもしれない…」


心の中でそう呟くと、さらに頭痛がひどくなった。別世界から来た自分。この世界に存在していることが、どこか間違っているような感覚が離れない。だが、それを誰にも言えないまま、くるみはその苦しみを抱え続けていた。


ふと、視界の端に動く影が見えた。くるみは足を止め、恐る恐るその方向を見た。


また――白装束の人物が、くるみを見つめていた。


彼の存在は、最初に見たときからずっと不気味だったが、同時に彼が自分の運命に何か大きな影響を与えているという直感があった。彼が何を望んでいるのか、何を伝えようとしているのか分からないが、その視線がくるみに重くのしかかっていた。


くるみはその場に立ち尽くし、じっと白装束の人物を見つめた。彼女の胸の中には恐怖が渦巻いていたが、同時に彼が答えを持っているかもしれないという希望も感じていた。


「運命…」


その言葉が、彼女の頭の中で何度も反響する。彼が望んでいるもの、そして自分の運命がどこへ向かうのか――その答えはまだ見つからないままだった。


そして、くるみは再び歩き出しながら、自分の運命に向き合う決意を新たにする必要があることを感じ始めていた。


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