軋む心

僕が闇に放り込まれてから、一体どれくらい経っただろう。

少なくとも、僕の腹が泣きじゃくるようになるくらいには経った。

光のない宇宙のような空間で、ただぼんやりと横たわりゆっくりと回転しながらどこかへと向かっている。頭が何かに引っ張られるような感覚がする。

だが今はそれを確かめる気力も、勇気もない。


今の空っぽな僕には、恐怖心のみが隅に居座っている。


これは生存本能に近いものか。はたまた思春期に相応しい葛藤と自分の祖母の死によって練られ、拗れた劣等感からくるものか。

僕は後者だと思う。


生きていく上である程度危険を回避するためには恐怖心は必要だと思う。

しかし今僕がこの空間に漂っている中で感じる「恐怖」というものは、そんな機能的で単純な味ではない。

もっと複雑で、こびりついて離れない醜い味。


このような未知の現象を前に、僕は純度100%の恐怖を一ミリたりとも感じていない。


これは僕の体が発する恒常性なのか?

少なくとも、この状況を前に不純が混じった苦い感情を感じていられるほどには僕は「いつも通り」でいられている。

これをポジティブに捉えられれば、そう言えることができる。

だけど僕はそんな感情を全くもって持ち合わせてはいない。

いっそのこと、この恒常性ごと僕が振り切れる何かを僕の体全体にぶち当ててくれる存在が欲しい。

黒く濁ったこの身体を木っ端微塵にしてくれるような圧力と風を僕は感じたい。物理的にも精神的にも「綺麗さっぱり」したい。

そうして「綺麗さっぱり」になった爽やかさと軽さを感じられるというのなら、僕はもう死んだっていい。


そろそろ僕はこの中途半端な浮遊感と無重力からくる圧迫感、頭の頂点からじわじわと軋ませられる痛みを持つ今の状態に苛立ちを感じ始めていた。

精神的にも肉体的にも疲労がだいぶ蓄積してきている。


「あー、クソ」


僕はまた頭を掻いた。

そういえば、最後に髪を切ってくれたのはばあちゃんだったっけ。

パサパサと新聞紙に落ちる髪の軽い音が脳裏に響いてくる。

一瞬心が軽くなったが、ハサミを手に持ち何かをぺちゃくちゃとデカい声で楽しそうに語りかけるばあちゃんの手が脳裏に映し出され、一気に心が沈む。

一瞬、ほんの一瞬心が軽くなった。

でもそれも意味をなさなくなるほど、僕の心はもっと深くドス黒い沼に沈められた。息ができなくなる。なんとか這いあがろうとする。

そんな様子を理性が「醜い」と卑下し始め、飛び出た両腕が、どうしようもなく強い力で「僕」を押し込んでくる。

そうして変わる気力がなくなる。この沼から這い上がる気力が死を迎える。

僕は僕によって死を迎える。


そうして「ルーティン」をこなし、僕はただの「物」になる。


今の僕は心が死んだ存在だ。

生きていたって辛いだけ。

体があることがこんなにも重苦しいことだなんて。


僕がばあちゃんに命をあげられたらよかったのに。


もっと愛されたかった。これからもずっとそばにいて欲しかった。

身寄りのない孤独な僕にはあなたの「終わり」はあまりにも早かった。


日常を奪い去った犯人を恨めばいいのか、僕が強くなればいいのか。

ばあちゃんはきっと後者を望むだろう。

けれども今の僕にはできっこなさそうだ。

本当はあなたから目を逸らしたくないのに、自分の弱さのせいでそうせざるを得なくなってしまう自分が嫌いだ。大嫌いだ。

目を逸らして「楽になろう」としてしまう僕が嫌いで嫌で仕方がない。

それでも僕はあなたを「愛してる」と言いたい。

面と向かってあなたに向き合いたいのに。


僕は足を抱え込み、頭をへそに向けくるまった。

コロコロと転がされるようにして僕は「どこか」へと向かう。

早く「どこか」について欲しい。

こんな感情、忘れてしまいたい。

いけないことなのは分かってるけれど。


「うぎゃ!?」

突如頭の軋みが酷くなった。

頭に根を張った何か…が、僕から引き抜かれようとしているみたいだ。

痛いと感じるのは頭だけじゃない。いろんな皮膚が引っ張られて超痛い。

陰鬱な感覚が吹っ飛んだ。心が軽くなる。

しかしそれとは対照にどんどん軋むつむじ。

そっと頭を触れてみる。


何か…生えてる?


髪が生えず、本来なら髪と髪の間のギャップを感じるそこに山を感じる。

恐る恐る指の腹で撫でていくと、ツヤツヤとした何かが生えている。

しかも大きさもそこそこある。ゆっくりとそのガワの部分から指の腹を上に滑らせていくと、ようやく頂点に着いた。その頃には僕の右腕は腕の三分の二くらいの高さまで伸ばされていた。

反対側を知るため、じわじわと恐怖を与えるようなジェットコースターのように、同じくして下り坂をゆっくりと伝おうとする。

すると、ちょっとも滑らせないところに平面を感じる。

おそらくこれは「葉」だと推測した。


植物だ。頭の上に植物が生えてる。

今俺は、その植物に引っ張られている。


へぇ…。


そんなことあるんだなー。


へぇ…。


いやないだろ。普通に考えて。どうなってんだこりゃ。


引き抜こうとして上に持ち上げると、全身が痺れるような痛みが襲いかかってくる。


「ぐおおおおお」


はぁー、い、いたい…。

ちょっと待って本当に痛い。マジに痛い。これはやばい。


周りに助けなんて来るはずもない。

自力でどうにかするしかなさそうだ。


いや待てよ…?今ここでコイツを失ったら僕はこの途方もない闇の中で漂うしかなくなる。目的地がわからん今はそっとしておいたほうがいいのか…?


ググッ


頭の「植物」が動いた。

大きく体をうねらせ、「右」を指してくる。

丸まった体が一点に引っ張られる。


「これ無理だーーー!今度こそ死ぬーーーーう!」


激痛で視界が潤み、熱が皮膚の表面をほとばしるのを感じる。


僕は頭上でうねるそれを両手で押さえ込む。

激痛の波が少し緩やかになった。


嘘だろ…。これつくまでつづけるの…?

てか目的地ってあるの…?

どうでもいいけどお腹すいた…。


繰り広げられる現実に目を逸らした途端、また腹の虫が癇癪を起こす。

痛みと空腹と絶望感で涙が出てきた。

ほおを伝う茹でたてのうどんのような涙が、悲しみを増してくる。


突如真上で「植物」を掴む両手が何かに照らされた。


目的地に着くのだろうか。


闇に慣れきった網膜が悲鳴を上げる。

俺は嬉しさのあまり声が出る。


「あれ…あれゴール!?」


見えたものの遠すぎるゴールに照らされ、そう喜ぶのであった。


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