第7話 無性に動きたい
ある日、彼女は水浸しだった。鱗が美しくぬらぬらしている。彼女は鰭を持ち上げてパシャンと振った。水飛沫が飛ぶ。豊かに波打ちふわりとしていた髪はしっとりとしている。濡れて肌に張り付いたパステルカラーのそれが魅惑的だった。夕日に照らされ体に伝う水が反射していて、とてもきれいだ。荘厳な印象を与える翼も、ぐっしょり濡れていて少し萎れている。なんだかいつもと違って肩で息する彼女の辛そうな顔にまた心がざわめく。妖艶だった。
どうやら暑さにやられて海へ飛び込んだようだ。ふわふわとして大きな翼は、濡れるとさぞ重いだろう、息が少し切れている。大丈夫とゆっくり近づいて自分の手で頬の水を少しぬぐう。くすぐったいそうにはにかんで、されるがままの彼女は幻想と現実の狭間にいた。滑らかで少し夜空のような髪が手に掛かったあかりは触れてはいけないものに触れ、居てはいけないところにいるような気がした。
人を誑かす妖艶さを持ちながら、この私には無防備だ。ああなんともいじらしい。この気持ちを彼女は知らない。純新無垢だ。いっそのこと、私を食いたいと牙を見せてくれたらいいのに。悶えながらも彼女から目が離せない。私には処理しきれない思いが駆け巡る。少しでもこの思いを行動に移さなければ。ただ座っていることなどできもしなかった。
梅雨どきには、紫陽花がさく。小さな色とりどりの花が集まったかわいらしくも不思議さを纏ったその花を見せたくて一束摘んで見せてみた。幻想的な彼女は驚いて目を丸くして、そしてへにゃりと笑った。見とれて私の視線にも気づかないようだ。思いの外幼い反応をした彼女は、あまりにもかわいくて、この笑顔を守りたくなってしまう。何度この心を弄べば気が済むのだろうとさえ思っていしまう。ころころと変わる表情に手も離したくない。
学校で当たり障りのない会話に疲れた私は、彼女と言葉を交わさない、けれども一緒にいる時間は楽しいというこの状況が気に入っていた。話さなくても通じ合うと思わせる触れ合いが、またあかりを高揚させたのである。
彼女との時間はあまりに魅力的でも、楽しくても夕方には私のこの足で去らねばならない。後ろ髪を引かれながら、もっと彼女といたいという思いを抱きながら離れなければならない。時間というものは残酷だ。彼女は桜のようだった。彼女さえいなければこんなに心乱されることはないはずなのに。けれども桜のように散ってしまいそうな儚さが、その翼で飛び去っていきそうな不安がこの身を襲う。どうか散らないで。
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