第3話
久しぶりー、元気してた?
大学受かった?
千差万別の言葉が聞こえる、三月の少し肌寒い卒業式。
もうこの校舎に入ることもないと思うと、少し心の中が揺れ動く。
軋む音が走る木目の入った廊下を歩いて、教室の中に入る。
空気がパワースポットかのように震えている。
一生に一度の特別な日。
みんな着飾って、みんなメイクもバッチリで、気合が入っているのが見てとれる。
私も美容室に持ち込んで、華やかを体現したような赤い袴を着つけてもらった。
部活を引退してから伸ばした、肩までかかるようになった髪の毛も綺麗にしてもらったし、メイクもプロのそれだった。
自分の顔を鏡で見ていると、横から足音が二つ、近づいてくる音が聞こえてきた。
「うん、佳鈴がメイクしたら犯罪やわ」
「人生って公平じゃないよねー」
友人の陽奈とひかりだった。
学校ではいつも三人で行動する。
タキシードを着た、ボーイッシュなセンター分けが陽菜で、白い袴を着た、ふんわりカールの大きな目をしたひかり。
二人とも、いつも薄化粧はしているらしいが、今日はいつも以上に色々バッチリ決まっている。
「そんなことないって」
私の謙遜は本心からのつもりだけどこう言うと帰ってくるのはいつも罵倒の言葉だった。
「いっぺんだけでええ、グーで殴らせろ」
「とりあえず、髪型だけでもぐちゃぐちゃにさせてくれない?」
「あかんて、それはそれで味が出てまう」
大阪出身、関西弁の陽菜は切れ長の目を光らせ、おっとりしているはずのひかりの背後には、闇のオーラが漂っていた。
「……ごめんじゃん」
……
「「「フフ……あっはっは!」」」
「ごめんてー。
不貞腐やんといてや」
三人で、一斉に笑みが生まれた。
でも、こんなやりとりも今日で最後なんだなと思うと、こんな日常が永遠に続いたらなと思う。
日常が常じゃなくなる時も、もうそこまで来ているんだな。
「なあ、トイレ行っとかん?」
談笑の途中、朝のホームルームが始まる前、陽菜は言った。
卒業式は二時間半くらいあるので賢明な判断だろう。
「いいよー」
ひかりは賛同した。
「私はいいかな。
これ一度脱いだら二度と元に戻せなさそうだし」
私の手先の不器用さは、それはもう凄惨なものである。
家庭科の調理実習では、包丁を持てば指を切るし、フライパンを持てばやけどする。
最終的に私に与えられた役目はお皿を棚から出すことだったのは良い思い出だ。
幸い、今日は水をあまり飲んでいないし行く必要はない。
むしろ行けば晴れ着に事件が起きるから、明確にマイナスだ。
「ほなほってくで」
二人はあっさり去っていった。
そしてそれを見計らっていたかのように朱鷺が私の近くへと近づいてきた。
「なにこれ、プリクラ?」
「しばくで、朱鷺。
おめかししてるんだよ」
久しぶりに陽菜と会ったせいで、少し関西弁がうつった気がする。
ピシッとしたスーツをしっかりと自分のものにしていた朱鷺は服装以外、いつもとなにも変わらない表情で私のところに向かってきた。
いつもと変わらない、と言うより変えないようにしているように私には見えた。
彼と会うのは久しぶりというわけではない。
そもそも家は隣だし、一月から登校はなくなって自宅学習となる中、私は彼と二人、図書館でひたすらに勉強していた。
必死だったし、それくらいしなきゃ道は開かれなかった。
その結果勝ち取ることができた新しい春が、去っていく冬に優しい餞別を送っている。
「嘘だって。
似合ってるよ」
上げたら落とす、落としたら上げる。
彼のお決まりの喋りだ。
「本当にそんなこと思ってる?」
「もちろん。
……なあ佳鈴、今日もいつも通り一緒に帰るよな」
表情が何か少しこわばっているようにも見えた。
「ん?
そりゃそうでしょ」
「ならいいや」
いつも見ているから分かる。
卒業式ということで緊張している部分もあるのだろうが、それにしても様子が違う。
お互いがなんとなく合流して、なんとなく家まで駄弁って帰るだけだった私たち。
いつもは一緒に帰るかなんて確認しないし彼の表情も普段とはどこか違う。
少し心拍数が跳ね上がり、なにか暖かいものが心の中で胎動する。
まだつぼみのままの桜が咲いた。
もしも私の願い通りに事が向かうなら……
期待しても良いのかな。
「おーい、席につけ。
全員来ているだろうけど、最後の出欠確認するぞー」
声がクジラのように大きい体育教師で担任の新城先生が、タックルをするラグビー部のようなスピードで教室に入り、教卓に立った。
いつの間にか戻ってきていた、トイレに行った二人も既に背筋を伸ばして机に向かっている。
私たち二人もすぐに席についた。
「じゃあ名簿順、二列に並べー」
先生の話は正直聞こえなかった。
部屋中に音が響いているかのように、体内で鼓動が高鳴っていたから。
みんなテキパキと並び、体育館に向かって歩き出す。
私たちは一組、つまり先頭だ。
先頭とはいっても私の番号は十六番なので、二列に並ぶとかなり後ろのほうになるが。
音漏れして聞こえてくる、クラシック曲が鳴り響く体育館。
いよいよ扉が開いた。
拍手と目線に囲まれながら、私はフロアへと入っていった。
「終わってしもたなー」
卒業式が終わり、陽菜とひかりと私の三人で写真を撮ったあと、クラスの色々な人と喋っていると既に時間はもう昼の三時を回っていた。
受験が残っている人に気を配って食事会などはなく、この後の予定は家に帰ることくらいである。
「んじゃね」
「ほんじゃ、また」
「ばいばーい」
私は二人にしばしの別れの挨拶をして、彼の方を向く。
先に帰った親に卒業証書を持っていてもらい、私と朱鷺は二人で帰路についた。
「なあ佳鈴、佳鈴って確か愛知に行くんだよな」
帰り道、今日は自転車ではなく徒歩の彼は私に向かって神妙な面持ちで口を開く。
「そう。
一人暮らしになっちゃうかな」
普段とは違った、虚空にピアノの音だけが鳴るような、そんな空気が私たちを取り巻く。
「よかったよ。
あんだけ勉強もしたんだしな」
いつもと違って、彼の表情は強張っていた。
「朱鷺も受かったよね」
「ああ、地元だからここから通うけど」
不自然なほど堅苦しい会話。
私たち以外の人がこんな会話をしていて、それが友人だと謳われても、納得できる自信はない。
それに大学合格の話なんてとっくの前に終わってるはずなんだから、再びこんな話題になったことがもはや不自然。
私の感情は、彼からはどう見えているのだろうか。
似たような不自然さなのかな。
会話がキャッチボールにならないまま、ついに家の前まで来てしまった。
私たちはそこで立ち止まった。
どちらかが話し始めるでもなく、かといって帰っていくでもなく、目を合わせないまま日が少しずつ傾いていく。
言いたいことがあるなら早く言ってよ。
不安と期待で構成されていた私の拍動は、今や不安一色となり始めた。
もしかして、私の勝手な想像なのかな。
何もないならもうこの気持ちも忘れてしまった方がいいのかな。
ただ石のように佇む彼を見てそう思った。
動いてみよう。
伝えたいことが何かあるなら止めてくれるはずだから。
「バイバイ、朱鷺。
また明日ね」
私は下を向いて歩き出した。
扉の前、二段の階段を登る。
ほら、止めるなら今のうちだよ。
私はそっとドアに手をかけた。
微かな期待をこめて後ろを振り返る。
無情にも彼の影は、アスファルトに写っていなかった。
一筋の雫が頬を伝う。
こんなに長い感情も、終わってしまうのは一瞬で、全ての時間が無駄になったみたい。
私は思いっきり扉を開く。
「おかえりー。
佳鈴めっちゃ可愛かったよ」
お母さん、無視してごめん。
私は階段を駆け上がり、自分の部屋に入りドアを閉め、私を縛る袴の帯をほどいてベッドに投げつける。
携帯を勉強机に置き、窓越しに彼に見られないようにカーテンを思いっきり閉じ、声が漏れないように桃色の毛布にくるまる。
泣いた。
それも思いっきり。
言葉にならない声と思いが布団に、部屋に響く。
今、世界はここだけだった。
勝手に期待して、勝手に裏切られて、勝手に泣いてるだけ。
また一人相撲しちゃって。
恋でもしちゃうなんてな。
愚か。
今思えば彼は一度も、私に何かを話したいなんて言っていない。
ああ、なんで私からできなかったんだろう。
なんでも言えた関係だったのに、なんでも言えた関係だからか。
なにが動いてみようだよ。
逃げただけじゃないか。
彼と向き合わなきゃ始まらないなんてことはわかってるはずなのに。
背中見せて呼び止めてくれるなんてそんな幻想。
「……あるわけないじゃん」
今からなんてもう遅い。
こんな泣き腫らした目で、ぐっちゃぐちゃに崩れた化粧で朱鷺に会いたくない。
日が変わっても、もう彼とは喋れない。
私にはできない。
彼と喋りたい。
でもできない。
喋りたい。
矛盾ばかりで心の中がぐちゃぐちゃだ。
私にきっと春なんて来ない。
お風呂には入らないでおこう。
一日の決算なんて、今日の私には絶対にできないから。
私は半分わざと、毛布の中で意識を失わせた。
寝れば治るは母の教えだから。
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