第4話 海
「お母さんが逃げるとき、わたし、着いていかないって言った。
初めて反抗したんだ。……それで、置いていかれちゃった」
「…………」
「試したの。期待してたんだと思う。……私と残ってくれるかもって。
無理矢理にでも、連れていってくれるはずって」
「……ああ」
「でも、そうはならなくて。どうしていいかわからないから、学校に行ったの」
遠くを見つめる秋野の声が、柔らかに耳朶を撫でる。
「……それしかできないからだって思ってた」
「でも、それだけじゃなかったみたい」
秋野は目を閉じて、言う。
「明日、世界が終わるとしても……わたしは今日、リンゴの木を植えよう」
「え?」
「昔の哲学者の言葉。前に読んだ本に書いてあったの。
……私も、戦ってたんだね」
日が傾いて、町は夕焼け色に染まっている。
いつの間にか風は凪いでいた。
「ねえ。本物の海、見てみない?」
「え? いや、だって海は……」
反射的に否定が口をつく。
海は、見ていてあまり気持ちのいいものじゃない。
「いいから、行こ」
秋野は、彼女にしては珍しく、少しばかり強めの口調で、強引に俺を海へと連れ出した。
*
水族館の出口を抜けると、海が見える。
……いや。
正確に言えば『海だった場所』が見える。
生命に満ちた青く瑞々しい潮はすっかり干上がって、そこにはただ、どこまでも続く廃棄物の山が連なっていた。
どこまでも非現実的で、だけど、どうしようもなくリアルな光景。
もしも地獄があるなら、きっとこんな感じなんだろう。
目を逸らしたいのに、目を奪われて離せない。否が応でもわからせられる。
終わりだ。
もう、終わるんだ。
今日が。
夏休みが。
……この世界が。
夏だというのに、霜のように足先から這い上がった実感が俺の背筋を凍らせる。
走馬灯のように、今日までのことを思い出す。
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