第2話 ショッピングモール・ユートピア
熱された鉄板の上に、ゆっくりと生地が落ちる。
ジュッと音がして、食欲をそそる匂いと共に、煙が立ちのぼった。
素早くお玉から木製のヘラに持ち替えて、生地が放射状に伸ばされていく。
クレープなんか食べるのは、遥か遠い小学校低学年の頃以来だった。
安っぽい食べ放題のバイキングの一角。
わたあめコーナーと並んで設置されたホットプレートと、ダマだらけの生地。
懐かしき子供時代の思い出だ。
しかし、俺も成長したものである。
あの時とは違って、今は本格的なクレープ店に来ている。
それも、同級生の女子と一緒に。
学生のデートと言えば、フードコートで腹ごしらえと相場が決まっている。
例に漏れず、俺達も学校から程近いここを訪れていた。
ショッピングモール・ユートピア。
地元民は略してトピアと呼ぶ。
食料品から雑貨、衣料品まで取り揃え、フードコートやゲームセンターも完備。
あらゆる層のニーズを満たし、若者、お年寄り問わずひとが押し寄せる。
言わずと知れた田舎のパワースポットである。
俺達も例に漏れず、学生らしくフードコートでクレープでも食おうというわけだ。
戸惑う秋野を『昼休み』という名目で無理矢理に引き摺ってきた手前、このクレープが美味いことを祈る。
「というか、何でクレープ? 食料品売り場のおにぎりとか、お弁当でいいのに」
秋野の指摘に、俺は反論する。
こいつは何もわかっちゃいない。
「高校生のデートではクレープ食べなきゃいけねーんだよ、そう決まってんの」
「なにそれ」
首を傾げながらも、秋野は大人しく焼き上がりを待つ。
だんだんわかってきたが、こいつは理論的に見えて存外、押しに弱いらしかった。
「ま、及第点か」
待つこと数分。
焼き上がった生地は少し歪だったが、俺としては全く文句なしの出来映えだった。
腹に入れば同じだ。
「トッピングしていこうぜ」
「……うん」
冷凍のホイップクリームを適当に流水解凍して、山盛りにかける。
あとは、バナナとチョコソースかな。
コーンフレークも置いてあったが、飽き飽きしていて食指は動かない。
代わりに、バニラアイスとイチゴも乗せた。
溢さないように巻いて、小洒落た包装紙でくるむ。
……完成だ。
「じゃ、早速、食おう」
フードコートの席につくと、開放的なガラス貼りの壁から、街がよく見える。
振り返ると、秋野が早歩きで追い付いてくるところだった。
「……というか、いいのかな」
「いいだろ、別に。秋野がうるさいから金も多めに払ったし」
まあ、生クリームも山盛りかけたしな。
「それは、当たり前」
秋野は顔をしかめる。
「何でもいいけど、食おうぜ。早く座れよ、アイスが溶けて不味くなるだろ」
はあ、と息を吐いて、諦めたように秋野は座った。
「いただきます」
チョコバナナクレープにかぶり付く。
噛む度に、果物とクリームの調和した甘さが口いっぱいに広がる。
久しぶりの糖分が身体に染み渡る。
「……いただきます」
少し遅れて、秋野は丁寧に手を合わせてから控えめにクレープを齧った。
「クレープ、はじめてなんだろ。どう?」
「……おいしい」
顔が綻ぶ。それはしかめっ面の何倍も魅力的だった。
「そりゃ良かった」
「……ん?」
視線を落とすと、
秋野の持つ食べ掛けのクレープから覗く具材は、馴染みのない見た目をしていた。
「秋野、具材なに入ってんの?」
「野菜とチーズとソーセージとツナ……あと、サルサソース」
おかず系!?
「嘘だろ? クレープって言ったら、普通はデザート系だろ!」
「だ、だって、お昼ごはんだし」
「具材、置いてあったし」
堪えきれず、俺は噴き出した。
「はは。いや、まあいいんだけどさ……運動部かよ」
「……そんなに笑わなくても」
「だって、それじゃクレープってよりトルティーヤだろ」
「ちゃんと、メニュー通りのトッピングだし」
心なしか、秋野は無表情ながら膨れて見える。
「あー、そうだな。悪かった!」
「じゃあ、ちょっと交換!」
秋野のトルティーヤを奪い取り、食べる。
それから、俺の特製チョコバナナを口元へ突き出した。
「え」
「よく考えたら、丁度いいや」
「クレープはじめてならさ、どっちも味わっとこうぜ」
「ほら、こっち食ってみろよ」
「あ、う」
何事かモゴモゴと呟いて、秋野はおずおずとクレープを食べた。
「あまい」
「美味いだろ?」
「……うん」
「こういうのが、普通の高校生?」
「そうそう。これぞ高校生のデート」
「ただの『昼休み』だから。デートじゃないよ」
秋野は冷静にそう言った。
つれない奴である。
「ご馳走さまでした」
クレープを食べ終え、水で一服する。
夏、真っ盛り。
まだまだ日は高く、沈む気配はなかった。
「さて、次は何する?」
「もう『昼休み』終わるよ」
「そしたら今度は『放課後』が始まるんだよ」
「……めちゃくちゃだ」
午後も勉強に勤しみたい様子の秋野を適当に言いくるめる。
俺達は、これまた学生らしくゲームセンターを覗くことにした。
四方八方で鳴り響く電子音が混ざり合い、騒々しい。
格闘ゲームやシューティングゲームなどのアーケードゲーム。
やや小振りなメダルゲーム。
太鼓やギターを模した音楽ゲームに、ダンスゲーム。
数人が囲むように座るタイプの大型筐体。
様々な機械が所狭しと並び、音と光が入り乱れる独特な空間は、まるで別世界のようだ。
俺と秋野の他には誰もいない。
機械だけが空虚に稼働を続けていた。
なんだか宇宙みたいだな、と思う。
「私たちが貸し切りしてるみたい」
「そうだな。こんなに広いのに誰もいない」
「鬼ごっこでもするか?」
「店内は走っちゃダメだよ」
「真面目だなあ。いいだろ、誰にも迷惑かかんないから」
と言っても、二人で鬼ごっこなんかやっても楽しくない。
余計に虚しくなるだけか。
適当に店内を冷やかし歩いていると、秋野が突然クレーンゲームの前で足を止めた。
「なにこれ?」
「……おさかなくん」
名前を聞いて、ああ、と得心する。
思い出した。
ひと昔前に流行った魚のキャラクターだ。
「まだいたのか、こいつ」
「おさかなくんたちは生涯現役だよ」
何故、誇らしげなんだ。
「それ、欲しいの?」
「え?」
「……あ」
返事を待たず、俺は小銭を投入してレバーを動かす。
秋野は慌てて機械の横に回り込み、軌道を読むように目を細めた。
「もう少し、左じゃない?」
「ここで良いんだよ」
目的の魚は、簡単にアームに引っ掛かった。
所詮は流行遅れの在庫処分。
機械の設定も甘かったろうし、クレーンゲームは夏休みの前半に散々遊んだ。
この程度なら朝飯前だ。
「ほら」
手渡したサカナクンは、近くで見ても絶妙に可愛くない。
何故これで人気だったのか疑問だ。
……ブサカワ?
「ありがとう……。これ、サンマくんだね。クラスの人気者なんだよ」
「こいつらそんな設定あんの?」
「……海にクラスって、そもそもおかしくないか?」
「海? この子達、全員養殖だよ」
「養殖なんだ……」
なんか、がっかりした。
そのまま秋野は『おさかなくん』について流暢に説明を始める。
どうやら、水族館に行くために養殖される魚たちの日常コメディとして、アニメ化までしているらしい。
水族館で生きることの苦労や苦悩が克明に描かれているという。
……思いの外面白そうだったが、あまりに秋野の話が長過ぎて半分、聞き流した。
タイミングを見て、自然に話題を変える。
「秋野ってさ、ゲームセンターもはじめて?」
「うん」
「お前、本当に勉強ばっかしてたんだな」
「悪い?」
「いや、尊敬する。俺なんか中間テスト、下から二番目だし」
俺の下には不登校の奴がひとり。
実質、最下位である。
「そう」
秋野は無感情に相づちを打つ。
「秋野ってさ、あの秋野だろ。学年一位の」
ついさっき思い出した。
定期試験の度に貼り出される成績上位者の順位表でお馴染みの名前だ。
俺には縁のない掲示だから、ちゃんと見たことがなくて、気づくのが遅れた。
「知ってるの?」
秋野は驚いたように目を見開く。
「そりゃ、うちの学年で知らない奴はいないだろ」
「不動の1位、秋野」
「それは……言い過ぎ。二位の時もあったよ」
自慢気でもなく、かといって卑屈でもなく。
ただ事実を訂正しました、という調子で秋野は答えた。
「一位も二位も変わんねえよ! 俺からしたら雲の上の話だって。凄えだろ、こっちは赤点上等、補習かどうかの勝負してんだから」
そして、悲しいことに大概は負けているのだった。
「……本当に、大したことないよ」
「私は、勉強くらいしかやることないから」
嫌味には聞こえなかった。
照れた様子もなく、この秋野という奴は本気で、学年主席の快挙を誇るに値するとは思っていないらしい。
「学校でも言ってたな、他に出来ることないって」
「うん」
秋野は頷いた。
「……昔から何をやっても人並み以下だから。人付き合いだってうまくないし、趣味もない。だから、仕方なく勉強してるの」
「成績がいいって、凄いことだと思うけど」
「そんなの……ただ時間をかけたら、誰でも出来るよ。テストだって、ただ効率のいい点の取り方があるだけ」
淡々と、秋野は言葉を続ける。
「榎本くんみたいに皆の中心にいたり、何でも器用にこなせたり、「その方がずっと難しい」
「…………」
「私は、平凡で何の取り柄もない人間だから。せめて真面目でいることが最後の砦なんだ。……それなら、私にも出来るから」
「それで、ずっと勉強してたわけ?」
「うん」
「なるほどね」
俺は言った。
「じゃあ、今から水族館に行こう」
「え。……何で?」
「チャリがあるだろ」
心底、困惑した様子の秋野に答える。
「交通手段じゃなくて、意図を聞いたんだけど」
「今が夏休みで、俺達が高校生で、デートだからだよ」
「……意味わかんない」
「クラゲ眺めてると癒されるって、テレビで言ってたし」
「意味、わかんないって」
「理由なんて何でもいいんだよ」
「じゃあほら、あれだ、夏休みの自由研究!」
言うだけ言って、俺は歩きだす。
行き先が決まれば、もうダラダラしている暇はない。
時間は有限だ。
夜までには、戻ってこなければならない。
「…………自由研究は、課題にないよ」
背後からそんな反論が聞こえたが、知ったこっちゃなかった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます