第10話 彼女と犬の散歩

「飯田さん、大丈夫そう?」

「だ、大丈夫よ」


 綾瀬晴馬あやせ/はるまは、瑠璃と共に動物愛護協会の建物を後にし、柴犬のお散歩ルートを歩いていた。


「でも、そっちは車道の方だから」

「そ、そうなんだけど、犬が勝手に――」


 飯田瑠璃いいだ/るりは犬との散歩経験が浅く、まだ手慣れていないところが見受けられる。

 ただ、犬に引っ張られているだけになっている気がした。


「やっぱり、犬に抵抗がある感じかな?」

「そ、そうかも。まだ不安なところはあるんだけどね」

「じゃあ、もう少しリラックスしてみるとか。肩の力を抜いてさ。一先ず深呼吸をしてみた方がいいよ」

「う、うん。わかったわ」


 瑠璃は歩きながら息を吸ってはくという行為を何度かしていた。

 顔からの緊張感が薄れ、次第に胸の内が楽になったのか、さっきよりも瑠璃の声は震えてはいなかった。


「よくなったでしょ?」

「そ、そうね。ありがと」


 彼女はまだ犬に引っ張られているだけになっているが、先ほど比べ冷静に歩けている感じだ。


「大丈夫そうなら。一人でリードを持ってみる?」

「それは、まだ不安だから、もう少しの間だけでもいいから一緒に持っててほしいんだけど」

「わかったよ。じゃあ、一緒にリードを持ったままで歩こうか」


 晴馬は自身のリードをしっかりと持ちつつも、瑠璃のリードにも手を添える。

 彼女もリードを持っているものの手元が震えていた。




「えっと、飯田さん、ここの曲がり角を曲がればいいんだよね」

「そ、そうね」


 晴馬の問いかけに、瑠璃はスタッフから渡された用紙を左手に持っており、それを確認するように見ていた。


「そこを曲がって、まっすぐに行く感じね。その先に公園があるみたい」

「だとすると、中間地点までは来たわけだね」

「そうなるわね」


 二人は道に沿って公園まで向かう。

 そこの公園は比較的広く、ランニングコースまである。

 ベンチに座って会話して過ごす人もいれば、砂場で遊んでいる学校帰りの小学生の姿もあったのだ。


 辺りを見渡すと、犬の散歩をしている人らを見かけた。


 他の犬を見た柴犬らは少し駆け足になっていたのだ。


「ちょっとッ」


 瑠璃は柴犬の急な動きに戸惑い、そのまま引っ張られ、体が前かがみになってしまう。


「もう少し強く持って」

「う、うん」


 晴馬がしっかりと彼女のリードを掴んで柴犬の動きを抑制する。


「危なかったね」

「ご、ごめんね。私のせいで失敗ばかりで」

「そんな事はないよ。でも、飯田さんはまだ初日だからしょうがないよ」

「でも……私、向いていないのかな?」

「そんな事はないと思うけど」


 急に自信を無くしてしまった瑠璃。

 そんな姿を見た晴馬は、咄嗟に彼女をフォローしようとする。


「じゃあ、ここの公園で少し練習する?」

「練習って、どんな?」

「犬の動きに合わせながら歩く練習。犬にも性格があって、それに応じた歩き方をしないと散歩しづらかったりするからね」

「そうなの?」

「そうだね。ただ、犬に引っ張られているだけだと、飯田さんも歩きづらいだろうし」


 晴馬は瑠璃の隣に立ち、彼女の手を掴んでしっかりとリードを掴ませるようにした。


「え⁉」

「あ、ご、ごめん。勝手に手を掴んで」

「べ、別にいいんだけど……綾瀬さんって色々と教えてくれるのね」

「飯田さんとは同じ部員だし。それに一応、付き合っているから。飯田さんも、犬が好きなんだよね? だからさ、しっかりと教えてあげたいと思って。俺、一旦飯田さんのリードを放すね。一緒に隣を歩くから、今度は飯田さん一人でリードをしっかりと持ったまま歩いてみて」

「わ、分かったわ。やってみるわ」


 瑠璃は少々自信を消失していたのだが、軽く深呼吸をしたのちに決心を固め、再び歩き出したのである。


「……これでいいのかな?」


 今のところは瑠璃一人でリードを持っていても問題は生じていない感じだ。


「そうだね。犬の歩き方に合わせて、もう少し早歩きでもいいかも」


 晴馬も自身が連れている犬のリードを手にしながらも彼女にアドバイスをしていた。


「さっきよりは不安はないかも」

「なら、良かったよ。この調子なら、このまま一人でもできそうだったり?」

「それはまだ難しいかも」

「飯田さんは覚えるのが早いから、多分、一人でも何とかなりそうだけどね」

「そんな事はないわ。隣に綾瀬さんがいるから何とかなっているだけで、本当は不安だからね」


 二人は各々の犬と共に、公園の出口まで向かう。


「ワン」


 出口のところに到着した時、瑠璃の犬が軽く叫んでいた。


 次の瞬間、公園前の道を、勢いよく自転車で通り抜けていく人がいたのである。


「さっきの人、全然前見てないのかよ」


 晴馬は不満そうに呟いた。


「もしかして、危なかったから教えてくれたの?」

「ワン」


 犬の方も瑠璃の言葉がわかっているかのように、鳴き声で返事を返していたのだ。


「ありがとね。助かったよ」


 瑠璃はその場にしゃがんで犬の頭を撫でていた。


 犬の方も嬉しそうに声を出す。


「その犬も、飯田さんの事を信頼しているのかもね」

「そうだといいね」


 しゃがんでいた彼女はその場に立ち上がる。


「犬との散歩に慣れてくると楽しいかも。私、最初は不安だったんだけど、最初に教えてくれた人が綾瀬さんで良かったわ」

「飯田さんが楽しんでくれて何よりだよ」

「そうだ、この近くにお肉が売っているところってないのかな?」

「その紙に何か書いてない?」

「この公園の近くに、お肉専門店があるらしいわ。そこで購入したお肉なら、食べさせてもいいって」

「じゃあ、そこに行こうか」


 二人は、そのお肉専門店に立ち寄り、購入したお肉を食べさせた後、スタート地点である動物愛護協会のある場所まで戻る。


 建物の玄関のところに到着すると、エプロン姿で猫らを抱きかかえている中戸千秋なかど/ちあきの姿があった。


「二人はどうだった?」

「楽しかったよ」

「私も最初は不安だったけど、綾瀬さんに教えてもらったから」

「そうなんだ。じゃあ、良かったね。私の方も猫だらけの環境で楽しめたって感じだよ。でも、そろそろ、終わりの時間だよね。私、スタッフの人に話してくるね」


 そう言って千秋は駆け足で奥の方へ向かって行く。

 床にいる数匹の猫も彼女を追いかけていくように、奥へと走って行ったのだ。

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