第5話 私の頭を撫でてほしいな♡

「……綾瀬さんなら、やってくれるよね? ね?」

「んッ……」


 綾瀬晴馬あやせ/はるまは、目の前の椅子に座っている飯田瑠璃いいだ/るりからの要望にたじたじになっていた。

 さすがに、彼女をペットのように扱うことに対して抵抗感があったからだ。


 その上、人間の女の子に対して、犬の首輪を使うことなどできず、困惑して声を出せずにいたのだ。


 こ、これ、どうすればいいんだ?

 本当につけないといけないのか……?


「も、もしかして、飯田さんって、そういう性癖があるのかな?」

「そういうわけじゃないけど……なんか、やってほしいって思って、綾瀬さんに……」

「お、俺、そういうことは出来ないから」

「どうして? 私じゃ、ダメなの?」

「えっと、人をそういう風には扱えないからで」


 晴馬は、何とか拒否する姿勢を見せていた。


「でも、犬は好きなんだよね?」

「それと、これは結構違うと思うんだけど……」


 晴馬は何とかして、彼女の心を宥めようと必死であった。


「飯田さんは、犬じゃないでしょ?」

「……ワン」

「いや、鳴き声の前をされても」

「私、綾瀬さんになら、やってほしいの。どうしてもできない?」

「……」


 悩ましい問題である。

 だが、逆に考えれば、女の子の頭を合法的に触れる手段でもあるのだ。


「わ、分かったよ。少しだけね」

「いいの? ありがとね。じゃあ、これね」


 瑠璃は犬の首輪を渡してきた。


「これを、俺が飯田さんにつければいいってこと?」

「はい!」


 彼女は犬のような声で返答してきた。




 これ、本当につけてもいいのか?


 晴馬は椅子に座ったままリビング内を見渡す。

 自分と彼女しかいない空間なのだが、両親や姉の存在を気にしてしまい、周りを見てしまう。


 目の前の椅子に座っている瑠璃は、早くしてほしいという目で晴馬の事を見つめているのだ。


 晴馬は自分が手にしている首輪を彼女の首元へ近づける。


 手元が震えていた。


 やっぱり、女の子にこれをつけるのは……。


 本来、犬につけるものであり、人間用ではないのだ。


 けれど、よくよく見てみると、首輪の大きさは瑠璃の首に適した大きさであった。


「飯田さん、もしかして、元から自分用に買ったの?」

「うん、そうだよ。通販で見つけて」

「そ、そうなんだ」


 瑠璃の容姿はいいのだが、彼女の事を知れば知るほどに少しだけ引いてしまう。


「でも、まあ、一応つけるね」


 晴馬はそう言って首輪の留め具を外し、再び彼女の首元まで近づけた。

 アクセサリのように首元につけ、彼女の後ろ首のところでカチッと留め具をかける。


 付け終わった直後、瑠璃の顎下の首元につけられた首輪の鈴が鳴るのだ。


「に、似合ってるかな?」

「え、まあ……そうだね」


 どういう風な返事をすればいいのかわからず、言葉に詰まっていた。


「私、こういうのされるの初めてで緊張してるの」

「そ、そうなんだ。これするの、俺が初めてなんだ……」

「うん」


 瑠璃は小動物のように頷いていた。


「じゃあ、私の頭、撫でてくれる?」

「じゃ、じゃあ、撫でるね」


 晴馬の椅子に座ったまま、正面の席にいる瑠璃の頭へと右手を向かわせる。


 緊張感はあった。

 でも、彼女の頭を合法的に触ってみたいという願望もあり、恐る恐る頭に手を置く。


 すると、瑠璃は嬉しそうな笑みを零してくれたのだ。

 それは小動物のような愛嬌があり、抱きしめたくなるような愛らしい表情でもあった。


「こ、これでいいの?」

「う、うん。でも、もっと撫でてほしいかな」

「もっと?」

「うん」


 瑠璃からの上目遣いに困惑するが、晴馬は咳払いをして心を落ち着かせることにしたのだ。


「もっと頭の上の方を撫でてほしいかな?」

「上の方? ここら辺とか?」

「そ、そこ」


 瑠璃の口元から喘ぎのような声が漏れ、晴馬は内心、興奮していた。

 変な気分になり、彼女の方を見れなくなっていたのだ。


「でも、どうして、飯田さんはこんな事をしてほしいと思ったの? 俺が犬好きだからとか?」


 晴馬は、戸惑いながらも聞いてみた。


「それもあるけど。頭を撫でてもらうとリラックスできるから」

「そ、そうなんだ。でも、リラックスできる方法なら、もっと他にもあると思うけど」

「でも、私は頭を撫でてもらう方が好きだから。昔から信頼できる人に頭を撫でてもらうと、心が安らぐっていうか。そ、そんな感じかな」


 瑠璃は恥ずかしいようで頬を紅潮させていた。

 それでも、上目遣いで晴馬の事を見つめてくるのだ。


「両親から撫でられていたとか?」

「違うよ。お兄さんから」

「兄がいるんだね」

「う、うん……そうだね」

「じゃあ、俺の姉と同じくらいかな?」

「綾瀬さんのお姉さんは社会人なんだよね? だとしたら、大体同じくらいかも」

「だったら、姉さんも知ってるかな?」

「う、うん、多分ね。でも、今は頭を撫でるだけでいいから」


 瑠璃は瞼を閉じていた。

 今はそこまで会話は求めていないらしい。

 再び、彼女の頭を小動物のように撫で続ける。


 晴馬が気を緩めた、そんな時だった。

 玄関の方から音が聞こえたのは――


 え?


 誰かが帰って来た可能性が高く、晴馬は想定外の事態にドキッとしてしまう。


 で、でも、今日は両親も姉も帰ってこないはずじゃ……。


 晴馬は変な緊張感に襲われ、咄嗟に彼女の首元についている犬の首輪を外す。


 突然のことに、瑠璃は目を点にしていた。


「今さ、誰かが帰って来たみたいで」

「でも、今日は誰も帰ってこないって」

「そうなんだけど。やっぱり、気になるし、俺、玄関の方を見に行ってくるから。飯田さんは、そこで待ってて」


 晴馬は彼女を残し、席から立ち上がったのち、リビングから顔を出す。




「え、なによ、あんた」

「え……姉さん?」


 玄関先には、茶髪セミロングな姉である綾瀬結菜あやせ/ゆいなが私服姿で佇んでいたのだ。


「そうだけど。何? そんなに血相を変えてさ」

「い、いや、なんでも。でも、今日は仕事で帰ってこないって」

「それが、早く終ったのよ。ただ、それだけ。というか、そんなのどうでもいいでしょ」


 姉はぶっきら棒に言い、玄関で靴を脱いだ後、リビングの方に歩いてきた。


「なに? そこを通して。というか、どいて」

「でも」

「何か隠し事でも?」

「いやぁ、そういうわけじゃ」

「じゃあ、いいじゃない」


 姉は強引にリビングに入ってきた。


「アレ? あの子は?」

「クラスメイトの子で」

「もしかして、付き合っているところを見られたくなかったからとか?」

「そんなんじゃないから」

「まあ、彼女が出来て良かったじゃない」


 不満げな晴馬の横を素通りすると、姉は瑠璃に話しかけていたのだった。

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