B side summer : 7
タクシーが紫水高校の校門の前に着いた時、トワコは「少しここで待ってもらっていいですか。」と運転手に頼んだ。運転手は「分かりました」と応じた。車の外は、晴れてはいるけれど、午前中で、暑さも真夏と比べれば随分と山を越えているような気がした。
年季が入った校門をくぐり、坂を登って校舎にむかい、いざ、一千万円の寄付金を携えて、少々緊張しながらも高校の事務室に向かおうと心を奮い立たせたその時だった。突然、校舎の方からチャイムが鳴り響く音がした。授業の始まりのチャイムか、終わりのチャイムか、定かではない。ただ、その後に校舎からガヤガヤと声が漏れてくる様子もなく、授業の始まりのチャイムのように思えた。
トワコは雷に打たれたかのようにハッとして、頭の中が真っ白になった。うわー、まずい。今、授業してるんだ!学校は今、二学期だ。野球部の選手たちも、彼らの日常に戻り、同級生と一緒に、授業を受けているんだ!あのイケメン監督も授業中かもしれない。そう、夏の甲子園球場で立派な試合を展開した彼らは、高校生で、指揮官は教員なのだ。
冷静になれば、平日の学校なのだから、チャイムが鳴るのは当たり前である。トワコの子ども達も、トワコが失踪したのをいいことに学校を休んだりしていなければ、今頃学校にいるだろう。昨日から出勤もせず、義務教育年齢の子どもを二人ほったらかし、大金をふらふらと持ち歩いて、今日も無断欠勤している人間が、今頃学校のチャイムに驚くのは、何やらとても滑稽だった。
我に返ったトワコは、まるで悪戯の現場を大人に見つかりそうになる悪戯っ子が、見つかる間際に逃げ出すように、高校の生徒や教職員の誰にも見つかってはならぬと、ずしりと重たいエコバッグとトートバッグを肩に掛けたまま、一目散に走り出した。ここは、平日の学び舎。トワコはお呼びではない。タクシーを降りる前から、そもそも、紫水高校の敷地のあちこちに「許可なく校地内への立ち入りを禁ず」と看板があり、トワコのような不届な部外者を威嚇しているように見えていた。トワコは息を切らしながら待っているタクシー目掛けて走った。タクシーから降りて、また戻るまで、三分かそこらも経っていなかった。運転手は「もういいんですか?」と息を切らしたトワコを見て少し不思議そうな表情をしたが、息を整えながらトワコは「はい、いいです。」と答えた。
タクシーに乗り込んだトワコは大慌てで、思いつくままに、運転手に「海まで、砂浜のあるところまでお願いします。」と頼んだ。
一瞬、運転手は怪訝そうな表情を見せかけたけれど、すぐに承知したと接客の顔に戻り、「砂浜ですね。」と確認するとタクシーを発車させた。
チャイムの音でトワコの気が動転している間に、数分でタクシーは砂浜に着いた。どこをどう通ったのかすら、上の空でトワコは覚えていなかった。「ここですかね。皆さん、こちらで砂を頂いて、それからお参りされますね。」と運転手は説明しながら車を停めた。「ここで待っておいた方がいいですか?」と運転手に聞かれたが、トワコは「いえ、後は歩きます。」と答え、タクシーを降りて「ありがとうございました。」と運賃を支払った。そう、砂浜で、波が打ち寄せてくるのに合わせて、波打ち際で砂を頂くのだ。それを
西に開けた青い海と、その上にもっと大きく広がる文字通り空色の晴天。綿菓子が千切れた残りのように雲が少しだけ空に浮かんでいた。日差しはまだ強く、帽子を目深に被って、砂の上を歩く。日に照らされて熱くなりかけた砂を少し、トワコはお茶を飲み干して空になったペットボトルに入れた。寄せては返す波の音が、しなやかで、ゆったりと心地よかった。波と、その上に広がる空を見ていたい。トワコは波除の石の上に腰掛けた。
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