B side summer : 6

 電子メールを送信すると、パソコンからログアウトして、トワコは洗濯するため、ランドリーコーナーに移動した。着て来た服はざっとシャワーを浴びて着替えたので、洗濯機に全部入れて洗ってしまう。乾燥を含めると、仕上がるのが60分後のようだ。洗い上がるのを待っている間、トワコは雑誌コーナーに行って、パラパラと旅行雑誌を眺め、それからもう一度パソコンをチェックしに行った。

 電子メールを確認すると、ヒカリから早速返事が来ていた。「トワちゃん、お久しぶり〜。いろいろ大変そうだね〜。病むことあるよね〜〜。分かった〜。診断書書くよ〜〜。日にちとか決めたら言って。毎週火曜とかならトワちゃんち近くのクリニックで夕方診察してるから、来てくれたら。その時に書くし。」

 ヒカリからはトワコが期待した通りのありがたい返事が届いた。さすがヒカリ。物分かりが良い。これで、ひとまず枕を高くして今日は眠れそうだ。「ありがとう〜〜〜恩に着る〜!また連絡するね!」とトワコはそそくさと返信した。勿論、褒められたことではないけど、生きて行くために、時に嘘も方便が必要なのだ。

 

 洗濯が終わる頃合いを見計らって、トワコはランドリーコーナーに戻り、仕上がった服を全部取り出した。雑誌コーナーの雑誌や本は、部屋に持って行っても良いらしく、一冊分厚い月刊誌を持って部屋に戻った。ベッドの上で大の字になって雑誌を読みながら、家に置いてきた子どもたちは今頃どうしているのだろう、とトワコは今更ながら考えた。なんだかんだ言って、近くの事務所に、子どもの父親は籠っていて、仕事をしているのだ。きっと、無事過ごしているだろう。雑誌を読みながら、トワコはいつの間にか眠っていた。

 夢の中で、トワコの母が呆れたような顔で、だけれども包み込むような声で「トワちゃん、お金、そんなに持ち歩いて大丈夫?」とトワコに声をかけて来た。「大丈夫だよ。ちゃんと封筒に入れているよ。」と自慢げにトワコは答えた。朝起きると、やはりそれは現実ではなく、トワコの母はとうの昔に天に召されているし、一千万円を茶封筒とエコバッグに入れて持ち運んでいるのは危なっかしいと思える。夢の中のトワコの母は、今も四十代かせいぜい五十代だ。母が闘病中で、まだ母が生きているとトワコがホッとしたり、母の病状にトワコがハラハラしている夢も前は多かったけれど、最近は母が日常生活に元気な頃の姿で出てくることが多い。どうしてなのか分からない。十分年齢も大人のはずで、実生活では子どもが二人いるけれど、きっと、丸っと円熟した大人というものにも、母という立場にも、トワコはなりきれておらず、夢の中で、自分の母を必要としているのだろう。

  

 翌朝は空高く気持ちの良い好天だった。朝食を済ませ、乾いた洗濯物は折り畳んでトートバッグに詰め込んだ。荷物をまとめてホテルのフロントでチェックアウトすると、昨日買った青と白のストライプ柄のリネンシャツとベージュのチノパン姿に、少し滑稽だけれど、トートバッグとずしりと重たいエコバッグを一つずつ肩から引っ提げて、駅前から「紫水高校の前までお願いします。」とタクシーに乗った。運転手は「観光ですか。」と尋ねた。「ええ、まあ。」と適当にトワコが答えると、運転手はやはり、というような表情を浮かべ、「紫水高校の野球部さんがこの夏に甲子園の全国大会に出場してから、紫水高校に行かれるお客さんが急に増えましてね。毎日紫水高校までお客さんをお乗せしているんですよ。」と言葉を続けた。「皆さん、大体、記念写真を撮られるんですわ。」


 紫水高校が、何やら高校野球ファンの聖地のようになっている。前情報としては知っていたことだけれど、昨日、一万円札を合計一千枚携え、意気揚々と郵便局から出た時とは打って変わり、全国区になった聖地に、唐突に普段着のまま乗り込んでしまった我が身が、トワコは今更ながら恥ずかしくなった。個々の選手の攻守の技量の高さは勿論だが、仲間を信じ、諦めない姿勢、一つ一つの好機を生かして繋ぐ、まさに全員野球に、トワコのように、心を鷲掴みにされたファンが全国にいる。仕事に行く前の普段の格好で、午後からの仕事も子どももほったらかしで何をしに来たんだろう。


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