B side summer : 5
トワコが目的地近くの駅に着いたのは、大金を持って出発した日の日暮れ過ぎだった。駅には「祝 紫水高校甲子園出場 感動をありがとう」と大きな横断幕が掲げてあった。夏の試合を思い出して、また応援のトランペットの高い音が心の中で流れ、トワコは気持ちがいささか昂っていた。オフィスアワーは過ぎているから、高校の事務室はもう閉まっているだろう。寄付金は明日、持っていこう。その頃、トワコは自分が仕事どころか娘もほったらかしにして出てきたことを、すっかり忘れていた。おまけに、一万円札を千枚という大金を持ち運んでいることすら忘れかけていた。茶封筒に入れられたお札の束は、ずっしりとして入るものの、郵便局に行った際に持っていたエコバッグに無造作に入れられていた。駅前にビジネスホテルや観光ホテルが幾つか並んでいるのが見え、看板に吸い寄せられるようにトワコはそのうちの一つのホテルの入り口からフロントに立ち寄った。幸い空室があり、トワコは上の空で名前と住所を記入し、案内された部屋に泊まることにした。トートバッグの中に無造作にエコバッグに包まれた塊が突っ込まれているような身軽な格好で、「お荷物これだけですか?」とフロントでは少々怪訝そうな顔をされたが、「急用で、取るものも取り敢えず駆けつけました。」と、トワコは油口よろしく適当に話を作ってペラペラと喋っていた。
一旦部屋に荷物を置いて、とは言っても、置くほどのものもないのだけれど、無造作にエコバッグに入れてあるお札の束をクロゼットにしまって、トワコはちょっと外に出ることにした。汗をかいたけれど着替えも持ち合わせていない。
外に出て、ふらっと衣類の量販店に行く。着てきた服はコインランドリーで洗うつもりだけれど、汗をかく季節だ。洗濯している間に着るものもいると、上に着るシャツとズボン、靴下、そして下着を一組ずつ買った。そして、外食したい気もしなかったので、スーパーで弁当を買って帰った。
ホテルに戻って部屋で一息ついて、ホテルの設備を確認した。宿泊客が無料で使えるパソコンやプリンターに加えて、洗濯機や乾燥機まであるようだ。雑誌や漫画が読めるスペースもある。携帯電話を忘れてきて、職場に連絡もしないでここまで来てしまった。電話の着歴や、携帯電話のアプリに来ているメッセージは見られないけれど、電子メールくらいチェックしておくか、とトワコは洗濯ついでに、階下の共有スペースに降りることにした。
無断欠勤している割に、何やらその日1日の郵便局の窓口でのやり取りや移動距離に頭が朦朧として、ことの重大さをトワコは実感できないでいた。実感できないというより、事実から顔を背けたかったのかもしれない。そういえば、未成年の子どもも二人、ほったらかしだ。学校から家に帰ってきて、鍵で家の中には入っているだろう。無責任かもしれないけれど、家にはカップ麺のストックがそれなりにあるから、中学生の上の子が帰宅すれば、とりあえず空腹は満たせるだろう。
パソコンの方は、2台あるけれど、誰も今は使っていなかった。今時、自分で持って来ている客の方が多いだろう。とりあえず、メールだけ確認する。受信しているのは専ら各種のダイレクトメールばかりで、何も重要そうなものは来ていなかった。
そうだ。その時、トワコは思いついたことがあった。無断欠勤の言い訳を作れないか。ある程度、理解と協力の得られそうな元同僚のヒカリの顔が思い浮かんだ。久しぶりにメールで連絡を取ってみる。ヒカリは、今は幾つかの心療内科のクリニックを非常勤で掛け持ちしながら、働いていた。かなり厚かましいお願いだよな、と思いながら、トワコはホテルの共有パソコンのキーボードを叩いてメールを書いた。
「ヒカリン、ご無沙汰してます〜。元気?ちょっとヒカリンに折入って相談があって。。実はうっかり、仕事をブッチして気がついたら遠くまで来ちゃって。。仕事が超忙し過ぎてストレス??かな、、とか。。明日とか、週明けとか、仕事行けそうになくて。。いきなり重たいお願いで本当にごめんだけど、ヒカリン、診断書とか書いてもらえたりしないかなあ??」
昔、ヒカリがいない時、トワコが代わりにヒカリがいるフリをしたり、代わりに何かの片付けや準備をしたり、そんな貸しがあると踏んでのことだった。
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