第28話
突然失踪したと思っていた母が、直前に思いついたことかもしれないけれど、消える前に何やら小細工をしていた。「ピカピカ氏」とのやりとりが心に引っかかったまま、私は先ほどの駅までの道を逆戻りした。それは青く、気持ちよさそうに所々に雲が浮かんでいる。日差しは強いけれど、風と一緒に道端の
駅に着くと、ちょうど後もう少しで電車が来る時刻だった。さっき乗った電車の車両は真っピンクだったけれど、今度は全体がオレンジ色に塗られていた。中は、やはり先ほどと同様に、紫色の「紫水高校野球部 甲子園出場おめでとう 感動をありがとう」という広告でほぼ全面が覆われている。幸い、車両の中はオレンジではなく、主張の薄いベージュ色が主体で、広告と車体の色のコントラストで目がチカチカする事態は避けられた。
ふと目を挙げると、先ほど紫水高校校門前で写真撮影を頼んできた二人連れも同じ車両の端の方に座っている。二人とも身体を捻って、熱心に窓の外を眺め、スマートフォンで写真を撮っているようだった。SNSに写真を投稿するのだろうか。
あっという間に一駅分、電車は走って、終点駅に着く。コロンと丸みを帯びた屋根が可愛らしい小さい駅舎で降りる。道の両側にお土産物屋さんや飲食店が並んでいて、その向こうに立派な大鳥居が見えた。参道だ。万が一、母がいるかもしれない、とも思って、両側の商店の店先を観光客の間を縫うように歩きながら、周囲をキョロキョロと見回してゆっくり歩いていると、鳥居近くのお店から、女性二人連れが談笑しながら出てくるのが他の歩行者の隙間から見えた。中背、薄浅葱色と紺色の二人!まずい!あれはタマキさんとアキコさんだ。私は慌てて後ろを向いて、すぐ側の土産物店に飛び込んだ。あのお姉様方と電車で別れて二時間近く経っていたから、すっかり油断していた。彼女たちは神社に参拝してから、お茶かランチを楽しんでいたに違いない。これ以上顔を合わせるのは気まずすぎる。いや、母の元同級生砲を遠慮なくバンバン撃ってくるから、こっちが持たない。心臓がバクンバクンと波を打ち、私は店の一番奥の方まで移動していた。布巾や手拭いが置いてある棚を、私は目を泳がせるように眺めていた。お姉様方がこちらの方向に来ないことを、そしてこの店に入ってこないことを切に祈りながら。
店の奥で私がじっと息を潜めていると、折悪しく、鞄の中のスマートフォンが鳴った。慌てて取り出すと、祖父から電話だ。これは速やかに出ないとまずい、と私は声を潜めて電話に出た。「はい、もしもし。」
「あ〜キワちゃん、おじいちゃんです。どうかね。」祖父ののんびりとした声が、電話越しに聞こえてきた。「スケッチは出来たかね?」
「あ、はい。」私は小さめの声で答えた。そうなのだ。私は今朝、紫水高校のスケッチをすると言って祖父の家を出てきている。それらしく、1枚くらいスケッチして帰らないと。でもまあ、紫水高校は、正門の写真撮ったし、それでいいか。
「で、今、キワちゃんどこにいる?おじいちゃん、もう少しで大会の役員が終わるから、連絡くれたら駅までは迎えに行くから。」
「あ、はい。あと一時間くらい後の電車に乗って戻ります。」声を抑えたまま答えると、祖父は「また電車乗る時、こっちの到着時間教えて。はい。じゃあ、切るよ」と自分のペースで用件を告げると、私が返事をする間もなく、電話を切った。そんなに長い通話ではないけれど、お店の中で電話がかかってきた気不味さを拭うように、スマートフォンを静かに鞄に戻す。そして、ゆっくり後ろを振り向くと、なんとまあ、店の入り口付近にタマキさんとアキコさんがいるではないか。私は心臓が止まりそうになった。うわー、このまま何とかやり過ごしたい。二人は入り口付近のお土産物を眺めているようだった。参拝して、駅に向かう途中で立ち寄ったのだと思われた。
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