第25話
私が熱心に壁に貼ってある記事を読んでいたからか、店主が注文の品を出しながら声をかけて来た。「お嬢さん、紫水高校野球部のファン?」私は慌てて曖昧に答えた。「あ、母が。」毎日試合の動画を飽きずに見続けているのは母だ。だって私は、エースのフルネームをさっき知ったくらいだもん。店主は「あ、そう。」と短く応じて、話を切り上げた。
店内は家族連れや、友人同士のグループで賑わっていて、ガヤガヤと活気があった。私も朝から何やら盛りだくさんだったから、とてもお腹が空いていて、大盛りのトンカツ定食はとても美味しかった。サクサクしたカツの衣に、シャキシャキとした千切りキャベツ、炊き立ての甘みと粘りのあるご飯。生き返る思いだ。
食べ終わって、何か連絡が入っていないか、スマホを2台出して眺めてみた。母の方は特段着歴はなく、アプリ更新のお知らせばかり、私の方は、広告と、父から送られてきた、家で弟がピザに喰らい付きながら、無事に過ごしていると伝えるメッセージ付きの写真だけだった。
お会計のためにレジの方に移動すると、レジの横にノートが広げて置いてあった。「紫水ナイン、感動をありがとう!」「生きる力を貰いました!残りの高校生活を楽しんでね!」と寄せ書きのように書いてある。
レジにお店の人が移動してきて、エプロンで手を拭いながら言った。「良かったら、お嬢さんも書く?」ノートの表紙を見ると、「紫水高校野球部 甲子園出場おめでとう&ありがとう!」と書いてある。レジ係の店員が続けた。「うち、紫水高校の真向かいにあるでしょ?だからよく応援してくれるお客さんが来てくれてね。あと、うちの店長、元々紫水高校の応援団長だったのよ。お会計、980円ね。」
「そうなんですね。」と私は相槌を打って、「ご馳走様でした。」と千円札を渡して、20円お釣りをもらった。お会計の後も、寄せ書きノートが気になっていると、レジ係の店員が声をかけてくれた。「ゆっくり見て。メッセージも、良かったらどうぞ。」
私は他のお客さんの邪魔にならないようにレジ脇に立って、ページを捲った。今日だけで既に十数件のメッセージやイラストが3ページに渡って書き込まれている。昨日は10ページ分くらい。気合の入った選手や監督の似顔絵もある。小さい子からの「ぼくも野球、がんばります」「こうしえん、かっこよかった。しあいのおうえん、お兄ちゃんとまた来ます」といったメッセージもあれば、「30年前、教員として生徒達と甲子園に応援に行きました。今回、その時の選手や生徒達と一緒にスタンドで皆さんの応援ができました。元教員として、これほど嬉しいことはありません。皆さんも、歴史のバトンをつないでいってください!」という、学校の歴史を感じさせる書き込みもある。
その前の日、金曜日に書かれたメッセージのページに移る。幾つかのメッセージを遡ると、「一点は一点にして、一点にあらず。皆さんの一点を大切にする試合から、一つ一つ努力することの大切さ、人生の他事に通ずる大事なことを、教えてもらいました。本当にありがとうございます。皆さんのこれからの人生に、幸あれ!」という書き込みを見つけた。母がいうことにまるでそっくりだ。同時に、私はそれが母の字だとピンと来た。記名はないけれど、母の語っていたこと、そのままではないか。そう、一昨日、母はこのお店に来たに違いない。そして、このノートに書き込んだ。母がノートのこのページを触って、脇に置いてあるペンでこのメッセージを書いたと思うと、心がざわついた。このお店に立ち寄った後、母は一体どこに行ったのだろう。
母が書いたに違いない、ノートの書き込み部分の写真を撮りたい気もしたが、お店のものだ。辞めておこう。そして、時間をかけてしっかりノートの寄せ書きを読んでいたので、怪しまれないように私も少し腰を屈めてノートに言葉を書き記すことにした。単純に「ありがとう」と。そう、母を夢中にさせてくれてありがとう。そして、母の手がかりをありがとう。
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