第24話
紫水高校の敷地をぐるりと回ると、フェンスや校舎の所々に「甲子園出場おめでとう」と横断幕が張ってあった。白地に黒文字で描かれた横断幕は、今日ここまで乗ってきた、真っピンクの電車中の紫の全面広告と比べると控えめだ。だけれど、実際の校舎の横断幕は価値が違う。横断幕を背に写真を撮っている人たちが何組もいて、自家用車に乗ってきて降り立つ人たちの自動車のナンバープレートは、ここから遠いところが多かった。全国各地からやって来ているのだろう。母が熱狂している紫水高校野球部の夏の甲子園の残り香を、全国の高校野球ファンも味わっているのがよく分かった。写真を撮っている人たちの中に、母に似た風貌の人はいたけれど、母より背が高かったり、私や弟とは全く別人の子どもを連れていたりと、母その人はいなかった。勿論、母みたいに、一千万円の大金を持って電撃訪問している人が他にいるのかは分からない。
現地にこうして来てみたけれど、母らしき人は見当たらない。それはそうだな、母が家からいなくなったのは木曜日で、今日はもう4日目の日曜日だ。今頃一体、母はどうしているのだろう。当てもないのに母を探すと言って、家を飛び出して来たことを、私は少し後悔した。
丁度昼時で、お腹が空いて来たところ、道路の反対側の定食屋さんが目に入った。お客さんが出入りしている。行ってみよう。
道路を渡ってドアを開けると、2、30席ある座席はお客さんでごった返していた。圧倒されて立ちすくんでいると、店主らしき人が声をかけてくれた。「お一人?」「はい」と答えてうなづくと、「カウンターで良ければ、ここ空いてますよ。」と店主は隅っこのカウンター席を指し示してくれた。私はそこに座り、「トンカツ定食」を頼んだ。とにかくお腹が空いていた。
さすが紫水高校グラウンド横のお店だけあって、店内のレジ付近には「紫水高校野球部 甲子園出場おめでとう 感動をありがとう」とポスターが貼ってあった。そして、カウンター席の横の壁には、紫水高校野球部関係の新聞記事の切り抜きが貼ってあった。注文したトンカツ定食が届くのを待っている間、私は切り抜きの記事を読んでいた。
「歴史はここから始まった 県大会の軌跡」
「技巧ひかる逆転劇 30年ぶり甲子園」
「優勝候補を撃破 甲子園で初戦突破」
など、後から振り返った特集記事や、翌日の報道記事などが所狭しと貼ってある。
その中に埋もれるように、端の方に、その切り抜きはあった。県大会で優勝し、夏の甲子園大会に出場決定した時の記事。
「がんばれ紫水高校野球部 OB会会会長 紫水高校校長 市長からメッセージ」
OB会会長と、市長に挟まれて真ん中に写真が載っていた校長先生は、優しそうな微笑みを浮かべた、女性の先生だ。「紫水高校らしい爽やかなプレーを期待しています」と結ばれている。
その横に、「甲子園こぼれ話」と銘打った記事が貼ってあった。
「弟は元エース」
ふーん、弟って何だろう。気になって私は切り抜き記事を覗き込んだ。
「紫水高校 青山みどり校長 インタビュー
今回30年ぶりに夏の甲子園大会に野球部が出場する紫水高校。試合の度に学校を挙げての大応援団が現地入りし、大声援を送る。明日の準々決勝にはバス14台に分乗し、教員・生徒約500人が向かう予定だ。
学校の留守を預かるのは青山みどり校長以下、教職員数人だ。青山校長に話を聞いた。」
校長の青山みどり先生。名前に見覚えがある、と私は例の、甲子園後援会への寄付金の振込取扱票を取り出した。やっぱりそうだ。紫水高校甲子園出場後援会副会長、青山みどり。
記事の続きを読む。
「『本来、学校休業日にあたる時期で、学校は閉まっているのですが、今回は野球部の甲子園大会出場という、学校としても30年ぶりの一大行事に恵まれました。学校から出発する生徒・教職員の応援団の取りまとめや、地元をはじめ、全国から試合の応援や寄付についてのお問い合わせを頂いておりますので、その対応をしております。』
留守番役として、試合は毎回、テレビ中継を見ながら応援している。青山校長は言う。
『実は、私が教員として最初に赴任した学校で、初年度の夏に、野球部が夏の甲子園大会に出場するという快挙がありました。私も生徒たちの引率教員として、甲子園球場まで応援に同行させて頂きました。選手たちの活躍を実際にこの目で見ながら、生徒たちと一緒に、スタンドとベンチが一体感を持って応援したのは、今もとてもいい思い出です。教員一年目にそのような機会に恵まれたのは、本当に幸運でした。
そして、駆け出しの教員としてもかけがえのない経験でしたが、家族としても、その時の甲子園出場で助けられました。たまたまですが、勤務校の野球部に弟が在籍していました。』
控えめに語る青山校長だが、その「弟」とは、東雲高校を甲子園に導き、初出場にして初戦突破した原動力になった、エースの青山俊平選手である。」
東雲高校って、母の母校じゃないか。さっき出場歴をインターネットで検索したときも、青山俊平選手って出てきていたな。甘いマスクの高校生。興味が湧いて、私は読み進めた。
「『当時、弟は反抗期で、家族との会話もほとんどないような状況でした。野球部の練習に参加しているのは分かるけれど、練習試合や遠征のことも言ったり言わなかったり。直前に予定を言い出したり、帰ってこないと思ったら宿泊込みの遠征に出かけたりしていて、お恥ずかしいですが、コミュニケーションが家族の中で取れていなかった。弟の行動に、特に両親は振り回されていたと思います。それが、県大会に勝ち進むにつれ、野球部の試合の様子や結果が報道されますから、少しずつ弟と家族が話すきっかけになったんです。県大会の決勝戦では、両親は仕事の休みを取って、こっそり弟の応援に行っていたようです。県代表として甲子園出場が決まった時、両親はとても喜んでいました。』」
なるほど。しかし傍迷惑な「弟」だな、いくらエースで高校球児としての腕は立派としても、遠征の日程も言わないなんて。費用がかかる時はどうしていたんだろう。私は少々呆れていた。
「『今の紫水高校野球部の選手たちは、日頃から野球ができることに対する、周囲への感謝の気持ちを大事にしています。野球部員は勿論、紫水高校の生徒、教員は周囲とのコミュニケーションエラーが起きないよう、言葉を尽くすことを日頃から大切にしています。明日は是非、チームでコミュニケーションを密にとって、全力で紫水高校らしい試合をしてほしいと願っています。』
また、「元エースの弟」は、今、どうしているのか。
『弟は高校卒業後、進学した大学でもご縁があり、大学野球でも選手として活躍していました。大学を卒業してからは一般企業に就職、仕事の傍で、地域の軟式野球チームに所属し、今は仲間と共に全国大会「日本スポーツマスターズ」への出場を目標にしているようです。同じチームに甲子園で対戦したチームの選手の方も所属しているみたいで、お互い昔話に花が咲くこともあるようです。また、甲子園出場から20年目の夏には、甲子園に共に出場した他校のチームと交流試合が出来たようで、とても喜んでいました。弟は、野球と今も繋がっていますが、高校での活動を、卒業してからもそのまま続ける生徒ばかりではありません。
野球部の選手達も、その他の生徒も、皆、今ここで過ごす時間は長い人生の中のごく短い数年にしか過ぎません。それでもその短い時間は、心も体も大きく成長し、人生の糧となる時期でもあります。ここでの経験を踏み台にして、大きく羽ばたいていってほしいと思います』」
記事を読んで、校長先生の温かな言葉が、ひたひたと私の心を満たしていった。
静かな感動に浸り始めたその時、店主の声がした。「はい、お待たせ。トンカツ定食出来上がり。」
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