B side summer : 3

 カッコいいお金の使い方をしたい、それは以前から漠然とトワコが憧れていたことだった。自分で財団を作って社会活動に巨額の資金を動かす大富豪に対する憧れは勿論あるのだが、毎日地面の上を自転車操業している自分には中々届かないご身分だ。それよりは、働いてコツコツとお金を貯め、貯まった時に有意義に使ってもらえる先に寄付をする、それがトワコの密かな憧れであり、一つの目標である。

 時々、報道で「老衰で亡くなった元公務員が遺産全額約1億2000万円を市に寄付」とか「兄からの相続も含め、元教師が遺産11億円を市に寄付」と流れる。勿論、自分には大きな財産を持つ直系親族はおらず、大きな財産を相続するアテはないけれど、それでも真面目に定年まで勤務し、老後を大過なく過ごし、天寿を全うして遺産が1億を越えるのであれば、とても有難いことではないか。

 

  それが何故、今この時期に、一千万円の寄付なのか。熱狂の後の知恵熱の中に、トワコの忸怩たる思いと、懺悔の気持ちがあったのは間違いない。


 チームワークを大切にしながら、自分ができる最善の仕事をして白球を追う高校球児たち。高校生の時、トワコには周りが見えていただろうか。大言壮語は吐いていた覚えがある。だが、自分の周囲の人たちに手を差し伸べ、誰かの力になったことがあっただろうか。トワコの周りの誰かが、トワコのちょっとした心配りで、より良い一日を過ごしたことは、記憶の限り、ない。自分のことしか考えていなかった。そして、それは今も全く変わらない気がした。


 実はトワコが高校生の時、一回だけ、通っていた高校の野球部が甲子園の大会に出場したことがある。全校は大いに湧き立ち、盛り上がった。団体行動が苦手で、運動するのも見るのも嫌いなトワコは、「皆が右を向くなら自分は左」と宣って現地に応援に行かなかった。当然、毎日放課後行われていた応援練習にも参加しなかった。保護者には寄付依頼があったが、親には「寄付するな」とキツく命じた。

 勿論、今のトワコが、団体で応援のため現地入りするか、というと、おそらく否であろう。職場の皆で、或いは子どもの学校の保護者が揃って、というのは、今も苦手な場面に違いない。ただ、高校生だった時ほど頑なではなくがする。一点は一点にあらず、努力の上に何事も成り立っている。その努力は純粋に素晴らしいと思う。皆で役割分担して、個々人が最大限力を発揮し、組織としても最大のパフォーマンスを見せる、その組織的な取り組みも、素晴らしいと思う。組織の中で勤務するうちに、1人では成し遂げられないことが組織では成し遂げられ、組織としてのしなやかさを保つためには個々の連携が大切だと、トワコにも染み付いてきたのかもしれない。

 トワコは、選手団の滞在費その他の諸経費や、1回1回の応援団の往復の交通費がどれだけになるか、想像してみた。遠征や応援団の貸切バスだって、1日チャーターしたら1台10万円近くするだろう。繁忙期でもっと費用がかかるのかもしれない。一千万円あれば大型バスが延べ100台近くは借りられるだろう。1試合辺り応援団だけで20台以上になるらしいから、延べ100台では足りないだろう。交通費だけで何人分になるのか分からないが、せめてもの足しにして欲しい、と、かつてトワコが高校生の時の分まで、進んで寄付をしたい気持ちだった。


 そして、ある記憶がトワコに蘇ってきた。

 高校を卒業した後、ふらっと高校の職員室に遊びに行ったことがある。朧げな記憶だが、2回、遊びに行った気がする。どちらも一人で、軽い気持ちで覗きに行ったと思う。卒業してすぐの春。そして、次の年の春。

 どちらの春だったか忘れてしまったけれど、たまた職員室にいた、元担任の先生の仕事の手を止めさせて、ぐだぐだとまとまらない話をした。今思えば、勤務中の先生の時間も立場も気持ちも尊重しない、迷惑行為だったと思う。最後、トワコはまとまらない話を聞いてくれた先生に向かって、「高校は楽しくなかった」と言い放って退室した。先生はびっくりしたような悲しそうな顔をしながら、「みんなそれなりに楽しんでいたんじゃないの?」と返した。言うんじゃなかった、と反省したけれど、言葉は口からもう出てしまっていた。


 あの時、どうして私は高校時代の3年間の時を、否定するような発言をしたのだろう。全てが楽しいキラキラの時間ではなかったけれど、楽しかった瞬間はひとつならずあったのではないだろうか。窓から見た空の色。図書館で広げた本の中に広がる文字の世界。そして、完成しなかったけれど小説を書き、またクラス日誌の順番が回ってきた時は、意気揚々として文章を綴った。自分の椅子に座っているだけで、世界中の、そして宇宙のどこまでも旅ができたあの時間。学校という枠そのものが楽しいと当時は感じなかったとしても、その枠の中で、大切に守られ、夢を見た時間ではなかったのか。

 学校という枠は苦手だったはずなのに、文化祭でクラス展示が、何故かトワコの考えた企画が通って、ワイワイと準備に取り組んだ日々。部活の予算獲得のため、美術部長として生徒会室に居座った思い出。放送部部長のショウコと並んで2時間は粘った。粘って予算が増えたのか、トワコは全く覚えていないし、何を根拠に何を主張したかも覚えていない。ただ、2時間居座って、こちらの要求を通したような記憶だけがある。

 

 そして、担任の先生に投げつけた「楽しくなかった」という刺々しい言葉をトワコはずっと後悔していた。先生の驚いて悲しそうな顔も。今になってようやくわかる。「みんな楽しんでいたんじゃないの?」と言うのは、他のみんなは楽しんでたよ、という、誰か他の同級生のことではなく、「みんな」にトワコも入っていたのだ。先生は、「あなたも楽しかった部分があったんじゃない?」と、言外にトワコに水をむけてくれていた。あなたの3年間を肯定してあげて、と。幾年もたって、先生の優しさ、包容力が分かるなんて。バカバカバカ。自分のバカ。

 


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