第18話

「ホントだよね〜!アシノさん、優しくて理解あるんでしょ?」アキコさんが滑らかに声を出した。


 一応、私はその父と母がいたから、今こうして存在している。率直に言えば、脳が動画とゲームに侵されている弟はともあれ、私にとって、少なくとも私は存在していないと困るのだ。私は「はあ。」と曖昧な返事をした。そして続けた。「理解あるかは、分からないですけど。」

「え〜、そうなの?すごく進歩的な感じがするけど。」タマキさんとアキコさんは口を揃えて不思議そうな顔をした。進歩的ってなんだ?新しくはないぞ。いつ帰宅するかも連絡しないで、突然帰宅しては、食事の準備ができていないと不機嫌になる昭和男。そして勝手にキレて出て行った。そもそも、食べ物のためだけに抜き打ちテストよろしく事務所から自宅に戻ってくる。自分で食べるものくらい準備しろ、というのが、珍しく母と私が意見が一致する点だった。

「父は、持ってるものは新しいですけど、中身は古いです。」私は言った。

「そうなんだ〜。」タマキさんとアキコさんは不思議そうな顔をした。

 古い古い。お金がないと言いながら、仕事に使うからと、父はスマートウォッチをつけて体調管理とメールチェック、スマートフォンは2台持ち、タブレット端末やノートパソコンもそこそこいい機種を使っているが、新しいのはデジタル機器だけだ。中身は完全なるアナログで、スマートウォッチをつけ忘れて歩数カウントが足りないと、家の中でハムスターみたいに足を回転させて”お運動”をしている。外を歩けばいいのに、と思うが、それは危険だから、外には行かないらしい。引きこもり過ぎだ。

 そんな父が、母や私と一応家族でいるメリットというのは、今の私にはよく分からない。それでも、父は今回、母探しという名目のこの遠出に、非常事態だと軍資金を出してくれている。いびつな人間同士が、粗っぽい束になって、薄い葉っぱを上に乗せて荒屋(あばらや)を作り、辛うじて雨露を凌いでいるのが我が家なんだと思う。


 さて、その時だった。ひとしきり昔話を楽しんだアキコさんが、背筋を伸ばし、涼やかな表情のまま、車内を見回した。真っピンクの派手な車内の乗客の隙間から、車内のあちこちに広がる紫色の紫水高校野球部を讃える広告を、アキコさんの視線が捉えたのだ。

「そういえば、甲子園、紫水高校活躍して、凄かったみたいだよね。」


 母の武勇伝ならぬ、いささか痛々しい過去が暴かれるのは、娘としてはチクチクと刺さるものがあった。ただ、過去は過去で、話を聞いたところで今が足元から揺るがされるものではなかった。少々揺さぶられた気はしたけれど、まだ安全な話だった。

 だけれど、びっしり広告が車内に貼りめぐされている紫水高校、それは今、母をめぐってまさに懸案事項であった。紫水高校に一千万円寄付しようとして、母は失踪、或いは家出したのだ。

 私は動揺が顔に出ないように、少し表情を固くした。


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