第19話

「そういえば、私たちが高校生の時、甲子園に野球部が出たことあったよね。」アキコさんが言った。「学校から、みんなで応援しに行った気がする。タマちゃんも行ったんだっけ?」

 タマキさんがふわふわした声で答えた。「あ、うん。1回戦だけ。2回戦は家の用事と重なって行ってない。結構、強行軍だったよね。」

「そうだね、朝出て、バスで大移動して、その日のうちに帰ってきたもんね〜。行く前に急遽応援の練習とかあって、声枯れたよね〜。暑くて日焼けしちゃうし。」

 ふーん、二人とも甲子園球場まで学校から応援に行ったんだ。おまけに、祖父情報によると、母の母校は、その時しか甲子園での大会に出場していないはずだけれど、初出場でなんと初戦突破したのか?やるなあ、と妙に感心しながら、タマキさんとアキコさんの記憶が、感動したとか、楽しかったとか、躍動感あふれるものではなかったので、私は少々拍子抜けした。多分、私も、もしそういう場面に立ち合うなら、選手たちにはとても失礼極まりないと思うけど、なんとなく学校のみんなと応援に行って、友達とダベって盛り上がって、「暑かった」とか言いながら帰ってくるんだろうな。そして、このアキコ氏とタマキ氏の二人は、少なくとも表向きは、同級生と一緒に行動できる、協調性のある側の人間だな、と改めて思った。

「あ、トワちゃんは、なんか行ってなかった気がする。」

 申し訳なさそうな声でアキコさんが言った。予め祖父から応援に行っていないと聞いていたので、私は落ち着いて答えた。「そうみたいですね。」

「何回も誘ったんだけど、絶対嫌だって。みんなが右に行くなら、私は左に行く、ってずっとトワちゃん言ってた。なんか意固地になってたよね。」アキコさんが謝るような口調で続けた。相変わらず、褒めてるのか貶しているのか分からない言い方だ。その微妙な匙加減が、尖り過ぎず、かつ自分を守って生きていくための武器なのかもしれない。

 まあ、そうだろう。運動大嫌い、先輩の追っかけはするけれど、学校行事に対してはおそらく協調性のかけらもない、そんな母が、学校のみんなと往復数時間ずつバスに揺られて甲子園球場まで応援に行くなんて想像がつかなかった。

「母を、何回も誘って下さって、ありがとうございました。」一応、私は軽く頭を下げながら、視線は下に向けたまま、ボソボソとお礼を言った。

「あ、気にしなくていいよ!滅多にあることじゃないと思ったから、トワちゃんにも声かけさせてもらったけど。元々予定ある子も他にもいたし。」

 アキコさんが声の調子を少し上げて言った。


 確かに、滅多にあることじゃないよな。野球に全く興味がない私でさえ、観客として行くならともかく、選手として出場するまでの道のりが遠いことは、朧げながら想像がついた。同級生の野球部員のうち、小学校からプロ野球選手になりたい、いやなる、と公言している、体格も貫禄ある男子は、学校の部活動の他に、別のチームに所属して指導を受けているらしい。私が通う中学校の野球部は、どの程度の実力なのかよく分からない。学校全体に、そんなに熱心に部活動に取り組んでいるとは思わないけれど、なぜか、野球部は、今夏、創部以来初めて、市の大会で優勝した。次に、市の代表として県大会に出場したものの、初戦で全く歯が立たず、敗退したと聞いている。

 その中学校の野球部だって、全員が試合に出場できる訳でない。同じクラスのやたら騒がしい野球部男子は、毎日大声で自分だけが面白いと思っているギャグをかまし、大学卒業したての担任の先生に気を引くのに余念なく、元気だけはいいけれど、レギュラー選手には選ばれておらず、ベンチ入りしていないという噂だ。野球部全体の人数は知らないけれど、今は2年生だから、先輩が引退してそいつもこれから出番があるのかもしれない。今のところ、公式戦に出ていないそいつにも、甲子園は憧れの場所なのは間違いない。どの試合を観戦したかは分からないが、甲子園球場に高校野球の試合観戦しに行ったと、夏休み明けに教室で得意げに大きな声で喋っていた。

 帰宅後にその話を母にすると、目の色が一瞬変わって、「その子、どの試合見たの?」と聞いてきたのを私は思い出した。母が熱心に参加している、学校の挨拶運動や、2学期の授業参観で、そいつに母が突撃して、どの試合を甲子園球場で見たか聞き出すんじゃないかとヒヤヒヤした。絶対、紫水高校の試合を見たか確認するに違いない。幸い、挨拶運動は今回の騒動でドタキャンしている。その数日前の授業参観では、母は教室の廊下側から張り付いて中を覗いていて、教室中央に座るそいつが先生にちょっかいを出そうとするタイミングで、そいつと目が合っていた。有難いことに、そいつは廊下側の窓枠に顎を乗せて目をキョロキョロして中を見回している滑稽な母の姿に一人でウケているだけだったし、母も、母なりに授業中であることを理解していたので、母の突撃取材には至っていない。休み時間まで母がいたならば、間違いなくそいつを捕まえて、根掘り葉掘り聞き出していたと思う。


「なんかあの頃は、学校に勢いがあったよね〜。」遠い目をして、か細いながら芯のある声でタマキさんが言った。「私たちが入学する前だったけど、3年続けてサッカー部がインターハイ出たりしてたし。」アキコさんが相槌を打った。「だね〜。」

 タマキさんが上の学年のサッカー部の活躍を覚えているなんて、少し意外だった。

「あ、兄がいて、高校で生徒会と応援団やってたから。」と言い訳をするようにタマキさんが言った。なるほど、タマキさんのお兄さんは、サッカー部の応援にも遠征したのかもしれない。


 タマキさんとアキコさんの二人にとっても、熱気を帯びて思い出される月日だ。フライパン一杯に色々な具材を揚げた、大皿に山盛りになっている出来立て熱々のフライみたいな学生生活に、珍妙な母みたいなヤツが混じっていても、おかしくないような気がしてきた。


 


  


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