第15話

 私が一緒に行くと言ったのを受けて、タマキさんが付け加えた。

「アキコさまは、彼との大願成就のためにお参りするんだよね。」

 彼?何となくだが、まずいぞ、と私は身構えた。アキコさんは意に介した様子はなく、艶やかな声のまま応じた。

「違うよ〜。タマちゃんが行くっていうから着いてきただけだよ〜〜。」

 タマキさんはふわふわとした元の調子で、説明した。

「うん〜来年、海外から来てもらう先生が、せっかくだから学生連れて行ってみたいって言うから、下見兼ねて来たというか。ちょうどアキコさまもこっちに居たから声かけさせてもらった。」

 どうしてアキコさんが「アキコさま」なのか、よく分からなかったが、どうもタマキさんは人の名前に「さま」と付ける癖があるようだった。ただし、後々まで母は「さま」付きにならず、「トワちゃん」の扱いだった。

「で、キワちゃんは、好きな人とかいるの?」

 油断していると、アキコさんがにこやかなまま突然話を振ってきた。

「いや、特にいないっす。」私はムスッとした顔のまま単調に答えた。多分、二人に会った最初からムスッとしていたと思う。実のところ、アキコさんの質問に嘘はついていない。両思いになった男子は、私が新型コロナに罹患したりなんだかしているうちに、遊びに行く予定も立たぬまま、連絡も間遠になって自然消滅した。最近、話すのが楽しい部活の先輩がいたけれど、部室で思いっきり鼻くそをほじっているところを先週目撃してしまった。お猿みたいな自分の弟の上位互換にしか見えなくなり、一気に気持ちが冷めた。

 グループや家族づれの旅行客でざわざわしている車内では、私たちの会話に耳をそば立てている人はいなさそうだった。それぞれが自分たちの会話や社外の景色を見るのに夢中だった。


「あー、そうなんだ〜。」アキコさんは流れるように答えた。「ご縁のために神頼みに来てるのかと思った〜。」いやいや、そんなわざわざ来るか、と思った時、タマキさんが口を挟んだ。

「えー、トワちゃんって惚れっぽかったよねえ。」ええええ?そうなのか??と私が耳を疑ったところに、アキコさんが重ねた。「そうそう!何かいっつも先輩の追っかけしてた!」

 初耳。今回初耳第2弾だ。元同級生砲。

 こっちが口をぽかんと空けかけているのにはお構いなく、アキコさんは続けた。

「あの頃のトワちゃんって、いっつもどの先輩がカッコいいかとかいう話ばっかりしてた〜。部活の時も、窓からグラウンド走ってる先輩の応援して、作品を一つも仕上げてなくて、文化祭に展示する絵がなくて、美術の授業の作品で代用したっていうか。」

 おいおい。母は美術部だったはずだ。部活でだべってるだけなのは私も一緒だけれど、母の嫌いな筈の「運動部」、自分の妹が入部するのは断固阻止した「運動部」、その部員の先輩を応援していただと?ご都合主義にも程がある。おまけに、いつも「どの先輩がカッコいいか」という話をしているなんて、私が苦手な種類の女子じゃないか。いつも誰かしらのことをカッコいいと称賛し、あの人がいい、やっぱりこの人かな、と興味もないのに話しかけてくる鬱陶しいクラスメートの顔が思い浮かんだ。もしも母と娘じゃなくて、同級生同士として出会っていたら話が合う友達になっていたはず、と思っていた私は、後ろから殴られたような気分になった。

 私が押し黙っているのを見て、アキコさんが宥めるように言った。

「純粋だよ、純粋。全然実ってなかったもん。」

 これは褒めているのか貶しているのか分からない。そもそも二人とも思い出話に花を咲かせて楽しくてたまらない様子だった。

「そうそう、トワちゃんが追っかけしてた先輩、名前なんだっけ。」アキコさんが言った。

「ええとねえ、なんだっけ。ナカムラ、ナカタ、、ナカハラ先輩!」タマキさんが記憶の底から引っ張り出して答えた。はは〜ん。母の机の引き出しの手紙の人だ。

 アキコさんがうっとり思い出すように付け加えた。「色白で、おみ足が綺麗だったよねえ。」

 一方的に話を聞く立場になっていた私だけど、思わず声を抑えながら尋ねた。

「その、ナカハラ先輩って、どんな人だったんですか?」

コロコロ声を弾ませたまま、額に指を当ててタマキさんが答えた。「ええとねえ、確かテニス部だった。途中で幽霊部員になってた気がする。トワちゃん外に見に行かなくなったもん。優秀な方だったんじゃない?スピーチコンテストにも学校代表で出てたし。」

 色白で優秀?テニス部は途中で幽霊部員?続きを聞きたくて私は尋ねた。

「そうですか。その先輩って、卒業して、どうしているんですか?」

「うーん、学年違うし。アキコさま、何か知ってる?」

「残念!知らないなあ。」それ以上のことは、タマキさんもアキコさんも知らなさそうだった。

「そうそう、トワちゃん、ナカハラ先輩の時間割チェックしまくってて、教室移動の時の追っかけと待ち伏せが凄くって。いっつも先輩を廊下で待ち構えてるから、上の学年の人たちに、”うわ、大魔神でた!”みたいに言われてた。」思い出しては箸が転げて笑うように、アキコさんが言った。

 そうか、母、やっぱり可愛い勝ち組の女子じゃなかったんだ。埴輪の武人みたいなのが突如校内各所に現れ、「出た」といじられる側だったんだ。今もアースカラー中心の見た目の母に繋がる気がして、私は内心、安堵すると同時に、大魔神扱いされていた母が、少し気の毒になった。

「確か、トワちゃん、いきなり先輩の家まで押しかけて、”好きなんですけど、付き合ってください!”って言いに行ったんだよね。」高めの声で爆笑しながら、タマキさんが手繰り寄せた記憶を付け加えた。「先輩は部屋から出てこなくて、お母さまが”そんなこともあるわよね〜”って一時間近く応対してたって聞いたけど。」

 うわあ。。やばい。相当やばい奴だ。私は先ほど、母を気の毒だと思ったけれど、それはすぐさま撤回した。いきなり家に押しかけるだと?いやはや、迷惑にも程がある。その、突然現れた迷惑系女子に、一時間も対応した先輩のお母さんって、偉すぎる。迷惑系女子の溢れる思いを聞いてあげていたのだろうか。

 その先輩宛に書かれて、引き出しの中に渡せないまま入っていた、手紙の束を私は思い浮かべた。あの束は、もしかして手紙のごく一部なのかもしれない。だって、先輩の家まで突撃する猛者が、手紙の一通も渡さないわけないだろう。

 

 そして、私はありありと想像できた。母が現金一千万円を持って紫水高校に突撃し、「使ってください!」とお札の束を置く姿が。


 紫の広告に埋め尽くされたピンクの車内の乗客たちは、それぞれに休日を楽しんでいる。電車はいつも間にか駅で4、5回停まっては進み、窓の外にはキラキラとした水面が青空を映して揺れていた。


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