第11話
秋になりかけた夏の終わりの好天だった。祖父の家では、夏前に刈り込まれた植栽が早くも伸びかけ、庭木に蝉の抜け殻がひっついたままになっていた。家の中の空気は、前に来た時と余り変わっていなかった。一息ついてから、スケッチをすると言っった手前、近くの100円ショップに歩いて行き、スケッチブックと色鉛筆を買った。この辺りは草花に手をかけた庭付きの戸建てが並び、季節を感じやすい。温暖化で、九月とはいえ、向日葵がまだ元気に黄色い花弁を広げているのがチラホラ見えた。
祖父の家に戻ると、隠し持って来た母のスマホに、祖父から母宛のメッセージが届いていた。
「キワちゃん、無事にこちらに到着しました。ご安心ください」
私は部屋の片隅で、消音したまま返信した。「ありがとうございます。お世話になります。よろしくお願いします」入力して送信するとすぐに、祖父のスマホがメッセージの着信を知らせて唸っているのが聞こえた。私は内心にんまりした。
滞在中、私が使わせて貰うのは二階の洋室だった。ぬいぐるみの他に、昔、母や母の妹が使っていた教科書の一部や机がそのまま置いてあった。夕食の時間まで、持ってきた宿題に取り組もうと、椅子に腰掛け、机の上に問題集を広げた。数学だ。
二次方程式を解き始めた私は、計算用紙になりそうな紙がないかと、机の引き出しを開けた。少し埃が乗っかっているレポート用紙を引っ張り出すと、その下に、成績通知表があるのが見えた。埃を冠(かぶ)っているけれど、それは確かに母の成績通知表だった。
埃を払いながら、通知表を出して広げる。教科別、学期ごとに、数字のスタンプが押してある。中学校。いわゆる5教科は、評定が5段階で4か5。そして、下の方にある体育は、母が話していた通り、評定が5段階で「2、2、3」だったり、「2、3、2」だったりした。中学校の成績通知表の下に高校の成績通知表があり、こちらも広げると体育は10段階で「3、3、3」や「3、4、3」だった。体育が苦手で通知表が5段階で「2」、10段階で「3」だったと聞いていたのは、本当だった。母が話を面白おかしくするために、話を盛っていた訳ではなかった。私も、運動は大の苦手だ。母の学生時代の話を聞くと、安心して勇気が出る。それでも、真面目に取り組んで、保健体育の筆記テストも含めて5段階で4くらいは取れる。一体どうして、こんな評定になるのだろう。
首を傾げていると、通知表の下に、封筒に入った手紙が大量に押し込んであるのが見えた。癖強めの勢いある丸文字で「北堀十和子様」と書いてあるもの。母の名前だ。差出人の名前も表に書いてあり、これまた癖の強い丸文字で「のぎ しょうこ」と書いてあった。母の話に時々出てくる友人だ。
「のぎ しょうこ」氏からの手紙の他に、切手が貼られてない、住所も書いていない桜色の封筒が見えた。やや稚拙な楷書体で「中原先輩へ」と宛名だけ書いてあった。その下の白い封筒も「中原先輩」と書いてある。その下も、その下も。ざっと上から見るだけで、封筒のデザインはそれぞれ少しずつ違ったが、十数通はあった。計算用紙を探していただけのはずなのに、私の手は止まってしまっていた。
「中原先輩」って誰よ。母の字に似ている。多分、母が書いた手紙だ。ここに、まとめて入れてあると言うことは、きっと、書いたまま渡せなかったか、返ってきたか、どちらかだろう。埃を纏ってはいたけれど、紙は強度を保っていた。何通もあるところから察するに、例えば部活の先輩にお礼や卒業のお祝いを記した、誰かが中身を読んでもいいような手紙ではないだろう。封筒を開かなくても、大体、書いてありそうなことは想像がついた。
机の引き出しに仕舞い込まれた、成績表と、友人からの手紙と、おそらく渡せなかった先輩への手紙の束。きっと、これが母の学生時代のタイムカプセルなんだ。内向きな10代だった母の姿を想像した。
引き出しに成績表をしまって、数学の宿題の続きに戻ろうとした時、私のスマホにメッセージが入った。リョウからだ。
「今日、これから空いてる?みんなで花火見に行こうって話してるんだけど」
「ごめん、出先にて取り込み中。また今度〜」と返した。
そう、自宅近くの港では、観光の目玉にしようと週末ごとに打ち上げ花火が上がっている。何回か、部活の先輩が言い出しっぺになって、部活の仲間で花火を見に行った。その後は、近くの公園で線香花火をしたり、少しだべったりして解散する。でも、今日は無理だ。
宿題の続きをしよう、と思った時、階下から祖父の声がした。
「キワちゃ〜ん、ご飯にしよう。」
「分かったー」と返事して、私は階段を駆け降りた。
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