第7話

 待ち合わせの近くのコンビニに行くと、入り口付近に落ち着かない様子の父が立っていた。数ヶ月ぶりに直に会った父は、髪の毛が散髪したての他は、特に変わった様子もなく、時間が経過したことをさほど感じさせなかった。「幾らくらい要るの?」手短に父が尋ねた。一日どれくらい生活費がかかるか、見当がつかなかったので、「うーん、取り敢えず4日分くらい。それより、これ見て」と答えてから、鞄から先ほどキッチンで発見した振込取扱票を見せた。

「え、何これ」父は覗き込むと、振込先名義を読み上げた。「甲子園出場後援会?え、どうしたの?」

「ちゃんと見てよ。幾らって書いてある?」

父はようやく中央右上と、右端に記された数字に目をやった。「一万、いや、え、一千万!」さっきの私みたいに、父は裏返った声を上げた。「何これ!!!」

「知らないよ!ご近所のタレコミによると」と私は一旦息を整えた。「ママ、これを郵便局の窓口から送金しようとしてたらしいんだよ」

「え〜〜!?タレコミ?」と、父はまたまだ驚いた声を出した。「一千万円!なんで?」

「それは私が聞きたい。窓口で断られて、直接持って行くって出て行ったっぽいんだよ」なるべく声量を落として私は答えた。父はまん丸に目を剥いて上擦った声のまま言葉を発した。「え〜、どこに行ったのよ。連絡してみた?」

「いや、連絡するも何も、ママ、家に電話置いて行ってるんだよ」「え〜〜、窓口で断られたってことは、振り込め詐欺じゃないの?仕事は?」そう言いながら、スマホで父は振込先名義の名前を検索していた。「行ってない。欠勤してる」私が答えると、父も検索で振込先の名前を見つけたらしい。「うーん、実在する校長先生だ。ええと、口座番号も合ってる。高校のホームページに載ってるわ。で、この高校にお金、持ってったの?」父は目をまん丸にしたままだった。後にも先にも、父がこんなに驚いているのを見たのは、この時が一番だった。

「分からない。でも、無断欠勤してるし、ママを見つけて連れ戻さないと」

「え〜、無断欠勤!?」父の声がますます上擦りかけて来たので、落ち着いてもらおうと私は言葉を続けた。「えっと、コロナで休んでることにしたから。水曜には仕事に行ってもらわないと」父が益々目を見開いた。「コロナ??」

「そう。家に置きっぱなしの電話にママの職場からガンガン電話鳴ってたから、ママが掛けてるかと思って出てしまった。来てないって言われたから、コロナで寝込んでることにした」

「え〜〜」

 嘘も方便という、生きていくための小技を使うのが苦手な父は、予想通りの反応で眉を顰(ひそ)めた。私は少し誇らしげに言葉を続けた。「もういいじゃん。この前、パパも2回目かかってたじゃん。メッセージ送ってきてたじゃん。また流行ってるんだし。とにかく、それで来週火曜まで、5日間は猶予を確保したから」そして、自分でも思ってみなかったことを口にしていた。

「その高校ら辺に、探しに行ってみる。捕まえてくるから、旅費出して」

 無意識に発せられた計画に、自分でもびっくりしていた。父は目をまん丸にしたまま、あんぐり口を開けて、スマホを構えなおしていた。

「分かった。今日、今から?明日行く?」

 流石に今日は急すぎる。「明日から行く。明日の土日と、祝日の月曜があるし。遅くても火曜には戻る。ねえ、電車予約して。ホテル取って。あと、ケイが一人になるから、適当に家に帰って見てて。」

 私は畳み掛けた。そして、姉として、一応弟のケイの心配をした自分を、心の中で褒めてあげた。


 父は、スマホを手に、「明日の何時ぐらいに出る?」と聞いてきて、11時くらいというと、特急列車を予約し、帰りの乗車券も取ってくれた。そして、「残金があまりない」と言いながら、コンビニのATMでお金を下ろしてくれた。たっぷり、十万円はあった。「これだけあれば足りるかな」父に「ありがとう」と言って、私は受け取った。「捜索費、後でママに支払ってもらうから」と言うと、父は「いいから、非常事態だから」と言った。

 父にホテルも予約してもらおうと思ったけれど、目的の高校の隣市に母方の祖父が住んでいた。丁度月曜が祝日の三連休で明日の土曜と、明後日の日曜に泊めてもらう分には「観光で来た」と言っておけば、何とかなりそうな気がした。それに、案外、祖父の家に今日あたり、母が転がり込んでいるかもしれない。家に帰ったら、祖父に連絡してみよう。もしも母が祖父宅に滞在していれば、探索は瞬殺で終わる、取ってもらった電車の切符で観光しにいけばいい。月曜の宿は、それまでに母が見つからなかったら考えよう。そして、火曜は平日で、学校を休むなら連絡がいる。それも、その時考えよう。軽く、父に前振りしておいた。「火曜に学校休むことになったら、学校にパパから連絡してもらっていい?」「分かった」

 別に、無断欠勤して大金を持ち歩いている母を探しに行かなくても、いいのかもしれない。ただ、本当に詐欺にひっかかっていたら?事故にあっていたら?そうでなくても、このまま万が一懲戒処分なんてことになったら、おそらく、良いことはない。もちろん、私と母は別人格だけど、多分、母が処分されたら、私も弟も気持ちのいいものではないだろう。そして、一千万円を‥そのお金は母の財産だから、寄付するしないは母の自由意志とはいえ‥取り押さえておきたい気持ちもあった。

 

 コンビニから駅までは近かった。歩いて、父と一緒に、明日の電車の切符を発券しに行った。今更ながら、歩きながら父に尋ねた。「で、パパは元気だった訳?」「まあ。ちょっと前にコロナに罹った他は、相変わらず」「そっか」「キワは?」「んー、まあ普通。そういえば実力テストがあったな」「どうだった」「んー、まあまあ。」

 9月になろうと言うのに、日差しは強かった。駅からの帰り道、西の空が薄くオレンジ色に染まり掛けているのが見えた。母がいるのは、あちらの方向なのだろうか。そして、待ち合わせたコンビニの前で「ありがと、ケイをよろしく」と、父と別れた。父は、「あ、じゃあ」と、慌てて仕事に戻って行った。

 



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