第4話

 近くのコンビニで、自分が食べたいものと、弟が好きそうなものを適当に買った。軽食兼夕食、そしておやつ。軽く空腹を満たしたら、私は英語のレッスンがある。

 マンションのホールでエレベータが来るのを待っていたら、同じマンションのに住む、小学校の時同じ登校班だったシオリ先輩のママがいた。軽く会釈をした。「お疲れ様」と声をかけてきた後、距離を少し保ったまま、こちらの顔を覗き込んで少し自信のなさそうな表情で言葉を続けた。「ねえ、キワちゃんのママ、大丈夫?」

 普段は挨拶しかしないので、不意を突かれて、私は言葉に詰まった。母が昨日からいないのは事実だけど、誰にも「母が消えた」なんて言ってないんだけど。。私と弟しか知らないはず。まさか、弟が誰かに何か言った???私たちが知らないところで事件が起きてる?混乱しながら、私はなんとか言葉を絞り出した。「え、何か、ありましたか、、」エレベーターは来てしまっていたけれど、逃げたらいけない気もして、足が動かなかった。シオリ先輩ママも、エレベーターの扉が閉まるのに気を止めていないようで、少し声を顰めて続けた。「あのね、言っていいのか判らないんやけど、昨日、キワちゃんのママと郵便局で会ってね。」昨日?郵便局?昨日は近くに居たということ?状況の理解が、付いていかなかった。シオリ先輩ママは一旦周辺を見回しながら、誰も居ないことを確認して続けた。「キワちゃんのママ、窓口から結構額の大きい送金しようとしたみたいで。窓口の職員さんに、『いわゆるロマンス詐欺とか、振り込め詐欺じゃないですか』と止められてて。キワちゃんのママ、『知らない人じゃなくて、ちゃんとした寄付です』と言ってたんだけど、送金させてもらえなかったみたいで。暫くしてキワちゃんママ、手続きするのを諦めて、『直接持って行きます!』って走って出て行ったのよ。」

 シオリ先輩ママは落ち着いた口調で、昨日、郵便局で見かけた母の様子を教えてくれた。「寄付」を直接持っていくだと?なんのことやら、さっぱり判らなかった。途中、数人がパラパラとそばを通りかかったけれど、夕方の忙しない時間に差し掛かっていたのもあり、誰もあまり気に留めていなかった。シオリ先輩ママは言葉を継いだ。

「変なこと言ってごめんね。今日、キワちゃんのママ、学校の朝の挨拶運動に来てなかったから。いつも皆勤してるのに。それでちょっと気になって」

 頭から海水をぶちかけられたように、全身が冷たくなって、そしてヒリヒリした。確かに、母は、仕事があるのに、出勤前に、毎月1回、保護者会恒例の学校の朝の挨拶運動に嬉々として参加していた。シオリ先輩ママは保護者会の取りまとめ役で、昨日も例の如く、母は出席するとアプリで返事をしていたのだろう。私は固まったまま、「‥ありがとうございます」と言葉を絞り出した。シオリ先輩のママは少し周囲を見回してから言った。「勝手に心配しちゃってごめんね。お手伝いできることがあれば、言ってね。ご飯とか大丈夫?」そして、私がコンビニのレジ袋を持っているのをチラッと確認した。「何かあったら、ほんと、ピンポン押して頂戴」

 私は鸚鵡の一つ覚えのように「ありがとうございます。」と答えた。シオリ先輩のママは、「じゃあ」と開いたエレベーターの扉に吸い込まれていった。私は一緒に乗るのが何か気まずくて、郵便受けを見にいくふりをして、次のエレベーターに乗った。

 シオリ先輩ママに、「母はいません」とは言っていないけど、「大丈夫です」とも言わなかった。話を黙って聞いていたから、シオリ先輩ママには少なくとも現在、”母が居ない”ことは言外に伝わってしまっただろう。

 総合すると、おそらく、母は大金を「寄付」すると称して、どこかに直接持参すべく出て行った。それが近いのか遠いのか、今日戻ってくるのか、判らない。「寄付」って一体、ケチな癖に母はどこにお金を託そうとしたのだろう。軽く眩暈を感じながら、自宅のドアを開けた。

 

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