第2話 潜入のお仕事

 翌日。

 私はとある邸宅の前にいる。

 私は孤児育ちの身寄りのない少女。

 奴隷としてとある豪邸に買われていった。


 そういう設定だ。


「ではお代は後程」


 後程じゃない!


 さっきの男は自称奴隷商の子分で、この街のとある邸宅に私を”配達”にきた。そういうことらしい。もちろんこいつはカイルだ。変装して、あたかも40歳くらいであろうかという風貌をしていて、たとえ人相を取られたとしてもカイルだと気づかれることはないだろう。

 そしてその変装は私にも施されている。

 鏡で一度見たが、まあ、私だとバレることはあるまい。

 髪はいいのかと聞いたが、予算がないというのと、赤毛の少女は街にそれなりにいるからバレないだろうと言うことだった。


 私の仕事は、この家の内部に入り込み、主人の部屋にあるとある絵画を燃やしてくるというものだ。


 奴隷としてこの家で先に働いていた奴隷から一通り家事の基本を叩きこまれる。

 メイドもいるにはいるがそれはもっと”奇麗な”仕事をするのであって奴隷がする仕事は掃除や生ものや排せつ物を含む汚物の片づけだ。


 正直そんな仕事は自宅でもないのにやりたくない。だからさっさとやることにした。

 その日の明るいうちに積極的に掃除を名乗り出て、入るなと言われている一帯を除き一通り建物内部を把握。

 概ね工の字型になっているこの邸宅の各両端から各部屋の窓を一通り眺めた結果、とある部屋には昼なのに遠目からでも分厚いとわかるカーテンがかけられ、そしてそこは奴隷立ち入り禁止区域。

 要するに、あそこだ。わかりやすい。

 さっさとこんなところからはおさらばしよう。そう思いその夜決行することにした。


 夜、皆が寝静まった後油断しきっている巡回をやり過ごしながらその部屋の前に。

 鍵は…なんとかかっていない。なんて不用心なんだろう。

 静かに扉を開けて、不自然な不用心さに内部を余分に確認したうえで入る。


 そこは画廊のように多くの絵がかけられているが、それらは全て布がかけられ一見してわからないようになっている。

 サイズも同じものが並び遠目からではわからない。

 扉の先はコの字型に絵画が掛けられ、左手には窓が並び、雲った闇夜が見える。手前の扉のある面、右の壁面、そして向かい側の面に絵が並ぶ。

 絵画の数はざっと30枚というところか。


「……急がないとね」


 巡回がいつ来るのかもわからないのだ。目標の絵は見ればわかると言うことだから、手近なところから1枚1枚布をめくっていく。


 大き目の部屋の、各面それぞれに10枚ほどの絵が掛けられている中、手前の面の窓側から始めて半分が過ぎた。扉のある壁面は終わり、入ったところから見た右側も終わろうとしている。


本当に見ればわかるのかしら?


 そう思って残りは僅か。扉の対岸のほぼ真ん中にあるとある絵を見ようと布をめくった直後だった。


ーバッシャァァァァ


 その絵から、いや、絵の手前の空間から突然水が噴き出した!


 その水自体が噴き出していた時間は1秒もなかったが、顔面がびしょぬれになるには十分であり、袖を使ってゴシゴシと顔を拭った。


「一体何?」


 見ればわかると言われたのはこういうことだったのか。

 いや、ちがう。これはただの守護の魔術だ。本体は…


 水が拭われ、鮮明さを取り戻した視界に映ったその絵は、脳と心臓に楔を打ち込まれたような衝撃を受け、同時に喉の奥をツンとさせ、何時までも眺めていたいと思えた鮮烈さがあった。

 だけど、この症状には覚えがあった。


「……っ!!!」


 かつて勇者達との冒険中、どこの迷宮だったか忘れたが魔物が放ってきた魅惑の魔術。これはそれと酷似していた。


 知っていたから、対処はできた。

 精神を集中させ、目を背けることはできないから体が魅惑にかかり切る前でまだ動けた両手で目を隠し視界を遮断する。

 精神と意識を分離し、双方に魔力障壁を展開する。

 だが、付け焼刃式の防壁では厳しい。本当ならこれで十分なはずなのに防壁を乗り越え押し寄せてくる。


「っああ!‥‥‥あああ!」


 絵が見たい。見たいんだ。心の底からあの絵が見たい。その絵と同化してしまいたい。あの絵の世界に入りたい。


 そんな思考が脳内を駆け巡る。

 目を隠す手をどけろ、そう命じる本能に対してわずかな理性が必死に抵抗を試みる。


「嫌!あああ!」


 魅了の魔術に抗うのは容易なことじゃない。大声を出さずに抗えるようなものじゃないんだ。


 体内に入り込んだ魅了の魔力を自分の魔力で押し流す。

 こんなことになるとわかっていたらもっとスマートにやったのに!


 なんとか、耐えきれる程度に魅了が収まってきた。なんとか絵に取り込まれようとする衝動を凌ぎきり、いつの間にか座り込んでしまっていた。

 だが、同時に時間切れも間近に迫っている。


 さっきの水音か私の叫び声か両方か、とにかく騒動を聞きつけた警備の足音が廊下から迫ってきていたのだ。


「くっ!」


そこに絵があるのはわかっているから、目を瞑ったまま火球の魔術を絵に叩きつける。


「よしこれで…うそ!?」


 目を開けたそこにあった光景は信じられないの一言。

 さっきの水魔術だ。絵の前に水の膜ができ火球を遮断していたのだ。

 水の膜は火球で蒸発し、白い靄を生み出している。

 絵と私の目の間を遮っていた蒸発により生じる靄が消えかけそうだったからあわてて視線を逸らす。


その時だった


「侵入者!?いたぞ!画廊だ!」


 乱暴に扉が開く音がして、警備がなだれ込んできた。


 まずい!


 とっさになだれ込んできた老若の男たちにエレクトリックを放つ。

 彼らが痺れに一瞬動きを止めた内に、振り向きざまに魔力を最大限に注ぎ込んだ火炎をできる全力で叩きつけた。

 絵を見ることは許されない。一瞬でけりをつける。

だから絵のあった一帯を燃やし尽くす、壁すら焼き尽くしてやる。そのイメージで。


 最大限に増強した火炎は水の膜に数瞬足を止めながらもそれを破って絵に殺到し、魅了の絵画はついに燃え始め、外れた火球が周囲の壁をも燃やしたことで、魅了の絵画は火に包まれつつあった。

 もう絵を見ても何も感じない。この絵は死んだ。


 よし、終わった!

 一面が炎上する中、炎が身にかかることなどお構いなしに走り出す。


 痺れから解放されつつあった男たちが飛び掛かってくる一瞬前に窓から飛び出し、3階の高さから落ちた私は風魔術で減速し受け身を全力でとりながらなんとか着地。

 全速で木の生い茂る邸宅の庭に飛び込んだ。


 あとはとにかく最短距離で外壁にたどり着き、飛び越してやればいい。

 脚力強化を使えば余裕だろう。


 実際に余裕だった。

 身長の3倍はあろうかという高さの壁の最上部に取り付いて乗り越えた私は、追手の追跡を許さず闇夜の街に溶け込むことができた。


 ああ、大変だった。こんなことになるなんて。


***


「以上が、絵画焼却の顛末よ」


 街のだいぶ離れたところにあるカイルのアジト。

 戻ってきた私は絵の特徴と共に雇い主であるカイルに状況を報告した。

 ただし、内容はぼかしている。


 ”魅了の魔術がかかっていたが何とか気付いて視線を逸らしその間に燃やせた”とした。

 この街までの道中もそうだったけど、何ができるかの手札は開示しない。少なくとも、私以外に身体強化魔術が使える者を見つけるまでは。


「最高だ。実は俺の依頼者も何人か燃やしに潜り込ませてきたらしいんだが、全員取り込まれてしまったらしくてな。女なら大丈夫かと思ったがダメだったか。それにしてもよくやった」


「ふふん、当然よ」


「あの絵は魔族が描いたものでな、魅了の呪いがかかってたんだ。女の絵だから男しかかからんと思っていたんだ。呪いにかかったのによく抵抗できたな」


 迷宮の魔族が使ってきた魔術に似ていたからだが、そんなことを口に出すわけにはいかない。


「まあ、女の子にはかかりが悪かったんじゃない?でも、命の危険がないなんてうそっぱちじゃない。どうしてくれんのよ」


「はは、そうかもしれないな。じゃあこれは約束の報酬だ。違約分も、ほら。倍プッシュだ」


 カイルから手渡された小袋を検める。

 金貨十数枚。

 装備もいいものに一新しアイテム類も完全に揃えた上で、暫くの間余裕で暮らせる。そんな金額だった。


 ああいうとんでもない絵画が標的だったが、そうだとしてもこれは金額が高すぎないか?そんな疑問がやはり否定できなかったため、問いただすことにした。


「絵画一枚を燃やすだけにしては高すぎる気もするんだけど?」


「俺もそう思うんだが、依頼主がどうしてもって言うんだから仕方ねえよ」


「本当に?」


「ああ、いろいろと政治的なアレがあるらしくてなあ。金額よりもメンツの問題なんだ」


「政治的…ねえ」


「なあ、俺としてはこれで手持ちの案件がなくなったんだが、しばらく組まないか?」


「え?」


 ある意味嵌められた相手と組む?それはどうなんだろう。


「宛があるなら無理強いはしないが、これから先どうなるにしても伝手はあった方がいいと思うぞ」


「……考えておくわ。今日は疲れたからまた明日」


「ああ、明日の昼、ギルドの酒場にいるから声をかけてくれ」


「わかったわ」


 実際に組むかは後から考えよう。まずは体を休めてからだ。身体強化魔術なんて使ってしまったせいでくたくたになってしまったのだから。一度宿に戻って湯あみでもして一息入れてから買い物に行こう。


 そう思いながら宿に帰ってきた。

 いい額の報酬も手に入ったし、ユーリィムのところにお世話になる必要はないかもしれない。

 いずれ正式に断りの挨拶に行こう。

 そんなことを考えながら、今日はもう休もうと思い水浴びをすべく浴室に入ったとき、鏡に映った私の姿を見て背筋が凍った。


 変装が落ちていた。

 多少の色残りはあるが、完全に私自身の顔がそこに曝け出されていた。


 何時からだ?絵画の並んだ部屋に侵入する直前に窓ガラスで確認したときは確かに変装の姿だったはず。


 そうだ、あの水魔術だ!すぐに水を落とすために袖で何度も顔を強く拭いてしまった。そして迫ってきた男たちに私は振り返ってしまった。

 そんなに簡単に落ちる変装じゃなかったはずなのに、どうして?


……やらかした!


 顔を見られたとしても一瞬の話だ。多分大丈夫。そう思いたい。こんなことなら男たちを始末してくればよかった……いや、今の私は初級魔術しか使えない身だ。そんな無茶はできないだろう。

 月明かりで視界は十分だったとはいえそれなりに暗かったし、まだこの街に来て数日だけど赤毛の少女や少年はそれなりにいた。

 街に来てから日の浅い私が知られていると言うこともない。夜だったのだからしっかり顔を見られていない可能性すらある。

 うん、大丈夫。


 合理的に考えて私が疑われると言うことはないだろう。誰も私の存在を知らないはずだ。

 第一、人相がばれたからと言ってすぐに私が特定されるか?そんなことはないはずだ。この街に長居しなければ問題はないだろう。


 そう考えて、私はこのことを思考から追い出すことにした。


 多少嫌な思いはしたが、割のいい仕事だと思ったし、あの男としばらく組んでもいいと思った。

 だがその時気づいていなかった。

 その富豪が、ユーリイム傘下の人間だったことに。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る