第3話 商人ユーリイム
商人ユーリイム。40歳。彼は若いころから一人で商いを始めて、一代でこの一帯にある国々を股にかける大商人へと昇りつめた。
彼の力は絶大で、この国の王すら彼の意向を無視できないという。これが呼びに来たゴッツから聞いた話。
40歳というから壮年の男性を想像したが、なかなかどうして褐色の肌に皺こそ多少みられるもののその顔は若々しさと瑞々しさを失っておらず、30歳と言っても十分に通用するだろう。
比較的整ったその顔立ちは若い頃は大層モテただろうなと、そう思わせるに十分だった。
魔物の大群を退けた翌日の午後、宿屋のもっとも立派な部屋に陣取った彼のところに呼ばれてきている。
要件は私の無茶なお願いだろう。
「で、君が我々と一緒に王都へ行きたいというレベッカか」
ゴッツは退出し、ここにいるのは二人だけだ。
「はい、少しだけですが魔術は使えますので、道中少しはお役に立てるかと」
とほほ、本当ならこの大魔術師をいくらで雇うか足元見た話ができるのになあ。
「少しだけ、ねえ。ところで聞きたいんだけど、君の魔術の師匠は誰かな?」
「師匠、ですか?」
「ああ、君に魔術を教えた人にすごく興味がある」
このレベッカは誰かから魔術を教わったことはない。
そもそも私がこの体に転生する前に魔術を使うどころか勉強していた記憶すらない。
だから、今私が使える魔術は全て前世から私が持ち込んだもの、ということになる。
だけど、ユーリイムの目は常に私を洞察し、背後を見通そうとしている。中途半端に取り繕うことはできないかもしれない。
だから、”嘘”はつかない。
「はい、”私”の師はシモンと申します。恐縮ですが既に師はこの世におりません。大分前にこの世を去ってしまいました」
全部正しい。何と言っても”私”が師から教わっていたのは500年以上前だからだ。今がいつなのかすら分からないし、転生術が額面通りに成功していればの話だが。
実際、前世の私基準でも勇者たちと旅立つ前に既に鬼籍に入っており、体感としてもだいぶ前に世を去ったのは紛れもない事実だ。
「シモン……聞いたことがないが、なるほど、それは残念だ。是非ウチで雇いたいと思ったのだが、残念残念」
そこまで残念そうにしていないのだが、真意がわからない。これ位の大商人が簡単に内心をさらけ出すことはないだろうけど。
「じゃあ代わりに、レベッカ。君を雇いたい」
え……?なんて言った?
「私を雇いたいと、仰いましたか?」
「ああ。君は魔術ができる上に剣も見習いよりは使える。立ち回りは遠くから多少なりとも見させてもらったよ。なかなか見どころがあった。それに剣を魔剣に変えていた。あんなものは初めて見たよ」
「はあ?そうなのですか?」
この地域では付与魔術は一般的ではないのだろうか。まあ、前世でも中堅以上の魔術師でなければ使えない水準の魔術ではあったけれど。
「で、どうするのかな?」
その目線は、何か嫌だ。
なんとなく、この人との長い付き合いはしないほうがいいと思う。
底が知れない。裏がある目だ。何かを企んでいそう。
「ありがたいお申し出ですが、つい先日隊商の仲間を失ったばかりです。新たなところに参加することは一つの選択肢だとは思いますが、少しお時間をいただけないでしょうか。王都まで仮雇用という形にしていただければ幸いです。それまでは一生懸命働きますので」
「なるほど、元の仲間への仁義か。それも悪くない。いいだろう。商売の世界で仁義は大事だからな。王都に着いたらでいい。良い返事を期待している」
「ご厚情、ありがとうございます。ところで、出発はいつになりますか?」
「明日の朝だ。朝食を摂ったら出発する。細かいことは隣の部屋にパスコという者がいるから彼に聞いてくれ」
ユーリィムは彼から正面方向の壁を指さす。
「わかりました。では、支度がありますので失礼します」
「ああ、君みたいな者がいれば心強い。楽しみにしているよ」
彼の部屋を退出した。
顔はいい、表向きの態度も文句なしだ。
でも、私はこの人のことが嫌いだ。嫌いになった。何故なのかはわからない。
今は仕方ない。前世ならともかく今の私は今いる現状について何も知らないのだから、こういう人達についていくしかない。
だけどその後は……
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ートントン
なにはともあれ、まずは王都に行くまでは指示に従っておいた方がいいと思い、ユーリィムの部屋を出てすぐに指さされた方の隣の部屋をノックした。
「どうぞ」
「失礼します」
そこにはテーブル上の書斎の束と向き合っている眼鏡をかけたぽっちゃり気味の青…少年がいた。14歳よりは上かもしれないが15歳で成人しているかというと疑わしい、そういう男の子。
入ってきた私に、誰だこいつと言う目を向ける。
「あの、隊商に同行させていただけることになったんですが、パスコさんという方に細かいことを聞くようにとユーリィムさんに言われたのですが…」
「ああそうなんだ。えっとね、うん、パスコは今いないんだ。ボクはデンデ。見習いとして仕えています。よろしくね」
「あ、はい。レベッカです。よろしく」
思ったより高く幼い声に一瞬思考が停止してしまった。
部屋を見渡す。私の部屋より一回りほど広くて、使われた形跡のあるベッドが二つ、大き目のテーブルとその上に幾つかの書類の山ができていて、その隣には見知らぬ道具がいくつか。
「パスコさんはもうすぐ戻ってくると思うからそこに座って待っててよ」
「ええ」
デンデと名乗った体の大きい男の子(声変りがまだらしい)は私に椅子に座っているよう指示すると、手元の書面にあれこれ何かを書き始めた。作業中にお邪魔してしまったらしい。
座りながら彼を眺める。黙々と、黙々と、彼は書類に何かを書いている。次のページに移ったと思ったら今度はその傍らに置いてあった、横長の枠状の物体で、石か何かを串焼きみたいに幾つか貫通させた櫛が沢山並んでいるものを弾いている。
あれは何なのだろうか。
凄く真剣に作業をしているように見えるからきっと仕事なんだろうけど。
ぱちぱちぱちぱち
その何かについている石か何かが弾かれぶつかり合う音が部屋に響く。
ただ、彼には悪いが、暇だ。
だからついつい聞いてしまった。
「デンデさんって、言ったわよね。今何をしているの?」
ぱちっ
デンデの手が止まる。
彼は震えながら顔を上げ、私のことをにらみつける。
「あ、ごめんなさい。邪魔しちゃったかしら」
その顔がみるみる赤くなって、口がへの字にまがって…
あ、これ泣くやつだ。まずい。
どうフォローしたらいいのか前世の子育て当時の記憶をフル回転させていたところで、扉が開いた。
「おや、君は昨日の」
「お世話になります。レベッカと申します」
入ってきた人がパスコだろう。短く切った金髪にスラッとした衣装は清潔感を漂わせ、正に大商人の側近と言うことを思わせる。
「ああ、それじゃあユーリィム様とはもう会ったんだな。パスコだ。ここの番頭と言ったところだ。よろしく」
「よろしく」
握手を交わす。剣ダコとは違う意味で使われた手だ。
「先ほどユーリィム様にお会いさせていただきました。王都への同行をお許しいただけましたので、細かいことはパスコさんに聞くようにと」
「なるほど、承知した。じゃあレベッカさんには……昨日の戦いを見させてもらった。あれはすごかったね」
「あはは、恐縮です」
「だからすまないが、護衛の一人として同行してもらいたい。いいかい?」
「はい、構いません」
こうして、私は王都へと向かう伝手を得た。前世と比べたら目を覆いたくなるほど弱くなってしまったが、戦うことは苦手ではないし、人間や普通の魔物相手ならなんとかなるだろうから、一生懸命働けば不興を買うことはないだろうと思う。
話が済んだから部屋から出ようとしてふとデンデの方を見たら、半泣きになりながら仕事をやり直していた。
邪魔をして申し訳ないと思う。どこかで何か埋め合わせをしたいところだ。
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