✦第11話✦ あたしの大事な人って……?

 ──空があおい。

 こんなに透き通った青い空は、昼休み、木から落っこちて死んじゃった時に見たのが、最後かもしれない。

「おい、にな!」

 唐突に、キョウスケの声が聞こえる。

 屋上の扉を開け放ってやって来たキョウスケは、あたしを見て、一瞬ほっとしたように息をついた。

 ぜぇぜぇと肩で大きく息をしているところを見ると、おそらく走ってきたのだろう。

「おっまえ、心配かけさせやがって……。っ、はあ。なんともねーじゃねぇか。あやみが心配して、オレんとこまで血相変えて走って来たんだぞ」

 キョウスケが、1歩、2歩と、あたしの方へ近づいてくる。

 吹きつける風。

 フェンスを背に、じっと動かないあたし。

「あのんはどこだ? あやみが、あいつがになをさらって行ったんだって、わめいてたけど……」

 5歩。6歩。……7歩。

 キョウスケが、あたしがウデをのばせば触れる距離に来たとたん、あたしはキョウスケの襟元をガッ、とつかみ、その体を勢いよくフェンスへと投げつけた。

「うおっ⁉」

 ガッシャアアン、と音を立ててフェンスにぶつかり、尻もちをついたキョウスケは、おどろいた表情だ。

 キョウスケのこの表情、見たことがある。でもわからない。いつ? いつだったっけ……?

「……っ、痛ってェな! なにすんだになァ!」

 ぶつかった拍子にケガしたのだろう。

 頬から血を流したキョウスケは、怒ったように立ち上がると、あたしにまた近づいてくる。

 あたしは、バッ、とキョリをとってキョウスケをにらみつける。

 まだあたしの異変に気がついていない様子のキョウスケ。

「……オイオイ、にな。オレにケンカ売ってんのか? あ? それとも……」

 そこまで言いかけた時、マシュマロみたいにねっとりしたあのんちゃんの声が、「キョウ」とキョウスケを呼んだ。

 キョウスケの背後から現れるあのんちゃん。

「あのん。そこにいたのか。になのヤツがおかしいんだ。お前……、になに、何かしたのか……?」

 あのんちゃんは、クスクスクス、と笑ってから「さあ?」と澄ました表情でキョウスケに近寄る。

「知らなくってよ。別にいいじゃない。桃井さんなんて放っておきましょ。だって、キョウはわたくしの……」

「バカ! になを元に戻せよ!」

 キョウスケの大声に、面食らった表情のあのんちゃん。

 確認するようにゆっくりと問いかける。

「どうして? どうして桃井さんにそんなにこだわるの? キョウは、命がけでわたくしを助けようとしてくれたじゃない! 幼なじみだって、わたくし、キョウスケのことが……っ!」

「……あのん、お前を助けたのは、人としてトーゼンのことをしただけだ。幼なじみとして、お前のことを大事に思ってるから。だから、もし車にひかれそうになっていたのがになでも、オレはきっと、同じように助けてたよ」

 ぐっ、と胸をつかれた様子のあのんちゃん。

「……そう」

 あのんちゃんが、何かを察するようにうつむいた。

 そして、顔を上げると、涙がにじんではいるものの、思わずたじろいてしまいそうなくらい強い怒りを込めた瞳で、あたしをキッ、と鋭くにらんだ。

「もう許せない。桃井にな! あんたなんか、キョウスケに嫌われてしまえばいいのよ! シロン! 出てきて!」

 クロンを眠らせた、悪魔デビルの使い魔であるシロンが、黒いモヤと共に、フッ、とあのんちゃんの横に現れた。

「やれやれ。オレ様の出番か? 大好きな幼なじみに、振られちまってヤケになったのかい、お嬢様?」

 ケケケ、とシロンは笑う。

 涙ぐむあのんちゃんを尻目に、まるでこの状況を楽しんでいるかのように。

「うるさいわね! ──契約の通りよ。わたくしをあげるわ。そのかわり、桃井になをめちゃくちゃに傷つけて」

「りょーかい」

 シロンが、唱える。

悪魔デビル魔法マジック。起動。展開。桃井になよ、キョウスケを敵と見なし、全力で攻撃しろ」

「あのん、お前っ……! あやみの言ってた、悪魔デビルの使い魔を使ったんだな!」

 あのんちゃんが、「ふふふ」と不敵に笑う。

「キョウスケ、──あたしと戦って」

 キョウスケに飛びかかり、勢いよく地面に押し倒すあたし。

 体重をかけるように首を締め、ニィ、と黒い笑みを浮かべる。

 キョウスケの瞳にうつるあたしの目は、どこまでも感情のない、無機質なもの。

 自分の意思とは関係なく、ギリギリとこの両手に力がこもっていく。

「や、めろ!」

 キョウスケが、苦しげに抵抗する。

「ムダよ。桃井になは今、自分にとって『大事な人』全てを忘れてしまっているわ」

 ……あたしの大事な人? 

 あのんちゃんの言うとおり、そんなの、知らない。

 あたしに、大事な人なんていない。

「ふふっ。さすが怪力ね。そうやって、どんどんキョウスケに嫌われてしまえばいいのよ」

 あのんちゃんが、屋上のフェンスにもたれかかりながら笑う。

「あのん、オレ、は、こんなことで、こいつを嫌ったりなんか……ッ! しねェ……」

「……ふん。言っていればいいわよ。キョウスケなんか、もう知らないんだから!」

 なんとかあたしのうでから逃れたキョウスケ。

 あたしはといえば、今度は屋上に転がっていたモップを振り回して、キョウスケを攻撃する。

「! ……オイオイにな。いくらお前が怪力だからって、しかも武器まで持ったって、オレは、女の子に手ェ出せねぇんだよ! 怪力ゴリラとか散々言ってごめんなさい」

「とりあえず謝るんだね」と、あたしはツッコミを入れる。

「ちょっ、そんなん当たったらマジで死ぬって……! 女の子のチカラかよ⁉」

「……銀行強盗退治した時に、率先してあたしにキケンな役やらせといて、よくそんなこと言えるね? バカキョウスケ」

 でもなぜだろう。

 苦しむキョウスケを見ていると、胸の奥の方が、「つらい! やめて!」って叫び声をあげてる。

「だーから、ごめんって! あん時は悪かったと思ってる。これからは、悪魔コースのミッションの時にも、お前とあやみをオレが守るから……ッ!」

 ガツッ、と音がして、振り回したモップの柄がキョウスケの頭に当たった。

 人を傷つけるなんて、幼稚園の時以来だ。

 しかも今回は武器まで持って。

 あたし……サイテーだ。

 こんなんじゃ、また会ったときに怒られちゃうね。

 ────?

 怒られる……?

 誰にだろう。

 ……誰に?

「ッ、いい加減、目ぇ覚ませ! にな! 、海に沈めっぞ!」

 キョウスケのその言葉に、ハッとした。

 ネックレス? あたしの大事な……

 ────……

 ──あたりを見渡すと、砂の上に落ちてたネックレスを発見!

 よ、良かったあぁ〜!

 ──キョウスケ、その、ありが……

 ぱちん、とそこで、はじける意識。

「なっ! 海に沈めるですってぇ! そんなことしてみなさい! 逆にあんたを、マリアナ海溝の底の底の底の方に沈めてやるんだからっ!」

 キョウスケが、頭を押さえながら、ニッ、と笑った。

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