終話

海と花は屋上で本を読んでいた。

明日は卒業式、二人にとって最後の至福の時間だった。

「…うふふっ」

ふと、花が口元を本で押さえて朗らかな笑い声を上げた。

海はその声に反応し、顔を上げた。

「どうしたの?」

「えへへ、何でもないよ。嬉しかっただけ」

ふふふ、と笑顔を咲かせる花を見て、海も自然と口角が上がった。

つられて笑ったことが気恥ずかしくて、海も口を本で押さえた。

落ち着く本の匂いが胸いっぱいに広がった。


「花。あたしは高校卒業してもこうして花と本読んだりするつもりでいたけど…花は違うの?」

海が本のページを捲りながら言った。

「そりゃ今と違って会える頻度も多くはないと思うよ?でも、こうして二人で本を読む時間が完全に無くなるわけじゃないでしょ?」

花は海の言葉を黙って聞いていた。

「花はあたしと離れたくないって言ったよね。あたしも同じ気持ち」

花が目を見開いた。

「大学生になっても、もっと大人になっても友達でいようね!」


花が立ち上がって海の手を取った。

花の目はきらきらと輝いて見えた。

「うん、うん!ずっと友達!」

ぱっと笑顔を咲かせた花の様子に、海は純粋に嬉しくなった。

「……あはは!うん!ずっと、友達」

海はかけがえのない友達をこれからも大切にしようと、密かに心に誓った。




「……ねぇ海ちゃん。約束しよ?」

花が先ほど読んでいた本を手に取って、表紙を海に見せた。

「あ、その本」

海と花のお気に入りの本で、花が一等好きな恋物語だった。

「えへへ明日で高校生じゃなくなっちゃうから、ちょっとくらい酔っちゃってもいいよね」

花は慣れた手つきでページを捲った。

そして、一つの台詞を指さした。

「……海ちゃん、誓ってくれますか」

花はまるで演劇の舞台に立っているかのような立ち振る舞いで、話し始めた。

「僕は全てを捨てたとしても貴女の隣に立ちたかった。しかし、それでは心優しい貴女は傷ついてしまうのですね」

花は物語終盤の台詞を歌い始めた。

敵国同士の皇族である王子と姫が、最後の逢い引きをするシーンだ。

「僕は貴女を心から愛しています。貴女には幸せでいて欲しい。どうか僕のことは忘れて、貴女にあるべき生き様を貫いてください」

花は丁寧にお辞儀をして見せた。

海も後に続く台詞を口にした。

主人公であるお姫様の台詞だ。

「そんな…そのような苦いことを仰らないでくださいまし。私が貴方に抱いている想いは、忘れろと言われて忘れられるようなものではなくってよ」

海はちょっと恥ずかしかったが、花は満足そうだった。

花にとってのお姫様がそこにいた。

海が咳払いをして続けた。

「………私も全てを捨てる覚悟はできておりました。私、貴方と同じ墓に入りたいとまで思っておりましてよ。でも…どうしても考えてしまうのです。全てを捨てて手に入れた幸せは、いずれ私たちを破滅へと導いてしまう」

花と海はお互いに歩み寄った。

「私と貴方、きっと考えていることは同じですわね」

「ええ、貴女の幸せこそが僕の至上の幸せでありますから」

花が海に手を伸ばした。

「姫、僕と踊ってくれますか」

海は花の手を取った。

「こちらこそ、お願い致しますわ」


物語のお姫様は、王子の居城で開かれたパーティーで、王子と踊ったことが一番の思い出だった。

最後の瞬間までその思い出が色褪せないよう二人は月明かりの下で踊った。

幻想的でうら悲しい場面だった。


海と花は体育の授業で習ったフォークダンスを屋上で踊った。

風の音が、まるでパーティーの音楽隊のようだった。

向かい合って互いの身体に触れたところで、海はつい口を出してしまった。

「………逆の方がいいんじゃない?」

先程まで花が王子役、海が姫役を演じていたため、流れでフォークダンスも花が男性役の形をとっていた。

しかし、海と花にははっきり差と言える身長差があったため、何となく見栄えが気になってしまったのだ。

花は頬を膨らませ、不満げに海を見た。

「いいの!」

ぷいっとそっぽを向いた花に思わず海は笑ってしまった。

「海ちゃんはお姫様だもん」

海はそう言われて、了解するしかなかった。


二人はくるくると回りながら踊った。

風も二人を取り囲むように流れた。

花が続きの台詞を言い始めた。

「ああ、なんて幸せなんだ!僕はこの夜を一生忘れることはないでしょう」

花のエスコートで海がターンを決めた。

「ええ、私も忘れませんわ」

再び向かい合って、ステップを踏んだ。

そこからしばらく踊っていた。

二人とも授業でのフォークダンスには苦手意識があったが、この時間はとても幸せだった。


少し疲労を感じたところで、ダンスは自然に終わった。

海は姫の台詞を続けようとした。

「私たちはこうやって生きて顔を合わせることは、もう叶わない」

気がついたら花が姫の台詞を歌っていた。

「では、死んだ後でならどうなのでしょう」

海はそれに言及することなく、花の演技を見守っていた。

「身分や立場に邪魔されることなく、貴方と愛し合うことができるのかしら」

花は胸の前で手を組み、祈るように告げた。

「貴方は死してなお、私と踊ってくださる?」

海は花に膝まづいて花の手を取った。

「もちろんです。死んだ後は僕が貴女を迎えに行くことを誓わせてください。……待ち合わせは貴女の墓の前で」

海がそう言うと、花は満開の笑顔を咲かせて愛おしそうに海を見つめた。

「ええ、待っておりますわ。次に貴方に触れる時は、誰にも邪魔されることのない、私たちだけの舞台の上で」

花と海は声を揃えて言った。

花が指し示した、物語のフィナーレを飾る台詞だった。


「棺桶の上で踊りましょう」



物語は加速する。

王子と姫は愛おしさに思考を奪われた。

二人が交わした約束は呪いだった。

死んでも消えない、愛という名の呪いを互いにかけあった。

王子と姫は互いに甘い愛を囁きながら、日が昇るまで踊り続けた。

二人は肉体を超え、魂で交わっていた。




花は悦に浸っていた。

まさかこんなにも簡単に、海から欲しかった言葉を貰えるとは思っていなかった。

海に対する花の異常な執着心。

海はそれに最後まで気づくことはなかった。

もしかしたら海はあの誓いの真意を理解していないのかもしれない。

ただの戯れだと思っているかもしれない。

海はあの誓いを、御伽噺のような素敵な約束だと捉え、今日の出来事を思い出として生きていくのだろう。

時が経つにつれて、その思い出も色褪せていくのだろう。

だが、それでいい。

どんな形であれ、花は成し遂げた。


大好きなお姫様と、死ぬまでそばにいることを約束したのだ。


いや、約束ではない。


花にとって、これは呪いだった。



下校時間が近づいたため、花と海は屋上を後にした。

花が屋上の扉を閉める直前、一際強い風が屋上に吹き乱れたが、海が気づく前に扉が閉められた。

「…………思い出なんかにさせない」

「…? なんか言った?」

「何でもないよ」

花は柔らかな笑顔で答えた。

(離さないよ。これからずっと死ぬまで……)







「死んでも一緒にいようね。海ちゃん」


















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棺桶の上で踊ろう 御涼東 @sz_30

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