三話

静寂を裂いたのは花だった。

花はずっと変わらない笑みを浮かべていた。

海に告白を断られてもなお、笑っていた。

まるで最初からこうなることを分かっていたようだった。

「そっか………あは、やっぱりダメか〜」

予想外の花の声色に、海は困惑した。

涙も止まってしまった。

「…あれ、え?」

わけがわからないと顔に書いてある海を見て、花は再びにこりと笑った。

花は海の正面に回り込み、今度は両手で海の手を取った。

まるで幼子に話しかけるような、海を安心させるような慈しみを纏った声音で語った。

「ごめん、は私の台詞だよ。怖かったよね海ちゃん。私のことずっと友達だと思ってたもんね。私も海ちゃんのことは大事な友達だと思ってる…でもね、卒業式が近づくにつれて海ちゃんといられる時間が着々と消費されてることに気づいたの。気づいちゃったらもう怖くって」


花は海の両手で自分の頬を包み込んだ。

瞳が蕩けたかのように甘い視線で海を見た。


「どうすれば海ちゃんとずっと一緒にいられるかなって、ずーっと考えてたんだぁ」

花がそう言った途端、足がもつれてしまうほどの強い風が屋上に降り注いだ。



「まだそんなお子様向けの本読んでるの?」

発言した本人にとっては何気ない一言だったかもしれない。

しかし、その言葉で花は心臓を止められたように、動けなくなった。

花は物語が好きだった。

特に好んでいたのはお姫様が活躍する恋物語。

いつか私もこんな素敵な人と出会ってみたい。

物語の主人公になれるような、心が綺麗で可愛らしい人とお友達になりたい。

そしてその人と過ごす日々で素敵な物語を綴りたい。

そんな夢を抱きながら生きていた。

自らの人生を物語として捉えていた花は、お気に入りの物語を侮辱されて、自分の生き様まで否定されたように感じたのだ。

他人の言葉に敏感になる年齢の花は、その出来事から心を閉ざしがちだった。

その固く閉ざされた花の心の扉を開いてくれたのが海だった。

「あ、その本」

幾度目かの席替えで隣になった海が、花の鞄からはみ出していた本を目敏く見つけた。

「いい話だよねー。あたしもその話好き」

そう言ってふわりと笑う海に、異常なほど心惹かれたあの日を、花は鮮明に覚えている。



強く風が吹きつける屋上で花は話し続けた。

「私、海ちゃんに話しかけられた日からずっと海ちゃんのことが大好きなの。私が物語好きな変わり者だって知っても、海ちゃんは笑いかけてくれた…すごく嬉しかった!こんなに大切な人ができたのは生まれて初めてだったよ…」

花にとって海はお姫様だった。

「心が綺麗で笑顔が可愛くて…大切な人のために勇気をだして行動できるかっこいい人」

過去に花が気弱なことを理由に男子生徒に絡まれていたところを、海は救出したことがあった。

「私の大切なお姫様なの。だから……高校卒業して離れ離れになるのが怖かった」

海は花の頬に涙が伝う光景を初めて見た。

気弱だが、不思議と強かな面も持ち合わせていたので普段涙を見せることはしなかったからだ。

花の涙が強い風に流されて行った。

「恋人だったら簡単に離れられなくなると思って…、本当は海ちゃんの隣にいたいだけなの。何か特別な名前の関係になりたいわけじゃないの。なのに……海ちゃんの気持ちを考えずに先走ちゃった………改めてごめんね…」

花が海に抱いていたのは恋心ではなく、異様なまでの独占欲だった。


「花………」

海は自分の手を取って、涙を流し続ける花を見つめていた。

海は気づいた。

「お姫様に会えたから、私は幸せだよ」

花が放課後よく海に言っていた言葉だった。

お姫様は自分のことだと、今知った。

屋上に一瞬暖かな風が吹いた。

海は花を抱きしめた。

海も泣いていた。

「そっか…そうだったんだね。あたしたちすれ違ってたんだね。あたしはろくに花の話を聞かずに勘違いして、花は寂しくて自分の気持ちを勘違いしちゃったんだね……」

海も花のことが大好きだった。

恋愛感情とは言えないが、花に幸せな未来で生きてほしいと思うくらいには花のことが大事だった。

「……きっと、あたしたちが恋人になっても本当に幸せにはなれない」

万が一恋人として過ごしたとしても、確実に海の葛藤が邪魔をする。

だから海は花の告白を断った。

「でも、違うんだよね。花はあたしと恋人になりたかった訳じゃないんだよね。あたしは…花を傷つけなくていいんだよね」

花は海を抱きしめ返した。

「うん……!」

海は胸がすく思いだった。

屋上の風はもう、海にとって脅威でも何でもなかった。






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