個人的な依頼

 そうして三人一塊で職員室に向かう道中は無言。すれ違った知り合い達からはまたなにかやったのかと言わんばかりの目で見られたけれど、今日は何もやっていませんからね。まだ。失礼な無言の問いかけどもに鼻息を粗くしながらも、職員室に入る。


 昨日の今日で職員室に入るというのも気が重いけれども、幸いにしてお叱りではおそらくないのが救いだ。扉をくぐると、昨日も顔を合わせた先生がこちらをチラと見て、またかという表情をする。けれど、後ろから入ってきた矢橋くんを見ると納得の表情になって視線を戻した。


 転校生なのだから、職員会議か何かで伝達はされているのだろうけれど、納得の表情とはどういうことだろう。昨日、菱田先生が言っていた事情とやらに関係するのかしら。疑問に思いながらも、藤堂先生の机へ。と思えば、その奥の矢橋くんが昨日座っていた応対用のソファーへと案内される。先生に座るように促され、なんとなく矢橋くんと並んで座った。


「矢橋くん、あなたがクラスに馴染もうとしていないと聞きましたが、言いたいことはありますか」


 藤堂先生は対面に座るが早いか矢橋くんに質問を投げかける。


「そんなことはありません。ちゃんと、ヒト並にコミュニケーションを取ろうとしています」


「しかし、外から見ればそうは見えていないようです。そうですね、及川さん」


 突然始まった詰問に驚いていると、急に名前を呼ばれて反応が遅れる。先生のめったに見ない苛立った表情もあって喉が渇くが、生唾を飲み込んで頷いた。私の知る先生との明らかなズレに戸惑っている間にも、先生は話を続ける。


「あなたは自分がなぜ学校に通っているか理解しているのですか。理解していないのでしょうね。あなたにとってコミュニケーションは義務です。その行うべきことを行わないのであれば、学校に来なくても構わないのですよ」


 嘲るような声でまくしたてられる言葉。矢橋くんはそれを俯きながらじっと聞いている。でもちょっと待って欲しい。


「あの、コミュニケーションを取るのは個人の自由なのでは」


 グミュンと先生の顔がこちらを向き、鋭い眼光に身が竦む。それを見た先生はゆっくりとまばたきを一つし、目を細めて言った。


「確かにそれは人の自由です。ですが、彼にとってはそうではないのですよ」


「それって」


 それって、どういうことだろう。これが昨日言っていた『事情』に関わることなのかしら。例えば、それらしい答えが見つからないけれど、病気か何かで言語野のリハビリに来てるとか?


「どういうことですかねぇ」


「どみぃ?」


 訪ねようとした瞬間、後ろから聞こえる生ぬるい声。こうも立て続けだと、意外と慣れるものね。振り返ると、菱田先生が目を細めて立っていた。顔はいつもの笑い顔、けれど声に少し苛立ちが混じって聞こえる。


「菱田先生、聞いての通りです。これは自らの本分を果たそうとしていないのですよ?」


「藤堂先生、学生の本分は『勉強』ですよ。それに、『彼』です」


 そのまま無言でにらみ合う二人。剣呑な雰囲気でつばを飲む音すら大きく響きそう、いつの間にか職員室も静まり返って、先生方がこちらを伺っているのが見える。喧嘩をするのは止めないけれど、せめて私を挟まないでほしい。そもそも、なんで私がここに居るのかしら。用事は多分終わったわよね。きっとそう、終わった。そうに違いない。ということにしておこう。


「先生、その話って私が聞いても良いものですか?」


 藤堂先生の顔がまた勢いよく振り向くけれど、その顔を努めて意識しないようにして一息に言い切る。


「そうですね、今日は帰っていただいて構いません」


「いいや、居てもらいましょう。少し付き合ってくれるかな?」


 藤堂先生が少し考えてから許可をくれそうだったところに、菱田先生が割って入る。なんなのよ、もう。


 藤堂先生が「菱田先生?」と呼びかけるのにも構わず、菱田先生は人形のようにうつむいて座っている矢橋くんの肩に手を置く。


「及川さん、君には彼がどう見えるかな」


「どう、って。背丈は普通で、華奢で。あとは、変わり者の男の子だなあと」


 ボケッとした子と言いたいところだけれど、一応オブラートに包む。この状況で口を挟みにくいのはわかるけれど、自分のことなんだからもう少し意思表示をしなさいよとは思わないでもない。あまり良い評価ではなかったと思うのだけれど、菱田先生は満足気に笑うと、いきなり矢橋くんの両の鼻の穴に指を突き入れた。


「先生、何を」


 思わず立ち上がってしまうが、菱田先生はそれを手で制して見ているようにと言う。いきなりD級コメディの世界に来てしまった気分になったけれど、よく見てみればどうもおかしい。どうして矢橋くんは平然として、不思議そうな顔してるのよ。痛みとか、息苦しさとかないわけ?


「菱田先生、いったいこれは?」


 矢橋くんは問いかけるけれど、もう少し慌てたほうが良いんじゃないかしら。混乱していると、藤堂先生が不機嫌そうに口を開く。


「菱田先生、及川さんに教えるつもりですか」


「私はロマンチストでしてね。これも縁だと思うのですよ」


「そうではなく」


 そこで藤堂先生は一度こちらを見て、言葉を選ぶようにしながら言った。


「彼の事情については生徒に明かすべきではないと言っているのです。ましてや多感な時期に。私は最初から反対でした」


「だからこそ、価値があるんですよ」


 もう、さっきから主語のはっきりしない会話ばっかり。これで教師っていうんだから。これがクラスメイトなら堪忍袋の尾の一つか二つでも切れるところだけれど、それ以前に矢橋くんの鼻の穴が気になってしょうがない。私が平静でいられる理由の幾分かは、矢橋くんが鼻に指を突っ込まれたままの間抜けな顔でいるためだろう。


「あの、いい加減で指を抜いてあげたほうが良いんじゃないかなと思うんですが」


 醜態三つを見ていられなくなり、口を挟む。けれどそんな些末なことは、次の菱田先生の言葉で吹き飛ばされてしまった。


「大丈夫だよ、彼はアンドロイドだからね」


 今、彼はなんと言った?


 仮にも教職にある人間が言うに事欠いて、生徒を『アンドロイド』と、『人まがい』と言ったのか。私の心が理解を拒み、私の理性に潜む者が怒りに燃える。「菱田先生!」と女性の咎める声。藤堂さんが青筋を立てている。そうだ、もっと怒れ。人が人をモノとして扱って良い道理など伝えてはならない。けれど、願いの叶わぬからこそ願われるとは悲しいことで。


「これの扱いは慎重にと、昨日に決まったはずです」


 続く彼女の言葉に打ちのめされる。そうだ。記憶をたどれば、彼女はこの子を『彼』と呼ばずに『あれ』『これ』と物のように呼んでいたのである。これは誰のジョークだろうか。悪趣味にもほどがある。この場にいる私以外の誰もがこの少年を人として見なしていない、周囲で顔色一つ変えずにこちらを伺う聴衆たちですらだ。心に浮かんだ困惑が私の中に広がり、怒りすらも塗りつぶしていく。もう時間がない。この怒りが消えて良いはずがないのに、それを表す術を持たぬまま、ついに私の心は困惑に覆われた。


「ええと、何の冗談ですか」


 困惑のまま、心情が漏れる。


「だってロボットっていうと表情なんかは人間とぜんぜん違うものじゃないですか。先生も授業でそう教えてくれたのに」


 そう、矢橋くんは反応こそ鈍いけれど、表情や仕草は紛れもなく人間のものだった。体の一部を機会に置き換えたサイボーグと言われるのなら百歩譲って受け入れられるけれど、ゼロから作られたアンドロイドとは思えない。困惑する私に、菱田先生がいつもと変わらない優しい声で、私に教えるように話す。


「確かに、既存のロボットは受け答えはできても、ロボット特有のちぐはぐさを消すことはできなかった」


 けれどね、と続ける菱田先生の口調が次第に早口に、興奮した様子に変わっていく。


「それは私達がこの世界で生まれ育ったからだと考える人達がいたんだ。ロボット達の人工知能が私達と違って見えるのは、マシンの中の離散的な時間の上だけで育ってきたからにすぎないと。だったら、それを確かめてやれば良い。人工知能に人と同じ体と、人と同じ時間と、人と同じ社会を与えるのだ」


 いつの間にか、菱田先生は両手を自由にし、大げさな身振りで一席ぶつように話していた。


「これが正しいのならば、我々はついに私達以外の知的生命体を見出し、『遭遇』することになる。そして彼はその卵なのだ」


「何が生命ですか。機械に命があるように見えたとして、誰がその命を保証するのです。たかだか数兆個の数字が作る、網目にしか過ぎないのに」


 それに水を差したのは藤堂先生だった。


「それは私達にも言えることですよ、藤堂『先生』」


「ならば、尚の事人間がおこなってはならない御業です」


「あの、それで結局なんでアンドロイドの話を私にしたんですか?」


 また言い合いに発展しそうになるのを先んじて制する。情報が一度に入ってきて、脳みそも酔っ払いそうだ。何でも良いから、とにかくこの場を離れたい一心で話を進める。私の問いかけに菱田先生は我に返ったようで、いつもの生ぬるい笑顔になってとんでもないことを言い始めた。


「そうだったね。実は及川さんには彼を手助けして欲しい、正確に言えば馴染めるように力を貸してあげてほしいんだ」


「え、いやです」


 思わず即答すると、菱田先生が置き去りにされたトイプードルのような顔になる。やっぱり可愛くない。一方の藤堂先生は、あの規律の鬼と同じ人物とは思えないほどほくそ笑んで、ご満悦である


「当たり前です。多感なこの時期の子供が、犬猫ならいざ知らずこのような訳のわからないものを受け入れるわけがないでしょう」


「あの、そういうわけでもないんですけれど」


 藤堂先生の言葉を否定すると、彼女は驚いたようにこちらを見る。そんなに驚くようなことかしら。


「彼がアンドロイドなのかはともかく、先生の頼みはわかりました。だけど、なんで私がそんなことをしなくちゃいけないんですか。学級委員とやらでもないのに」


 先生方二人の印象がガラッと変わる一時だったけれど、そもそも私がこの子を助けてやる義理はない。第一、私の体調が万全でないのは先生方も知っているはずだ。


「学級委員とは、ずいぶん懐かしいたとえをするね。けれど、別に一日中支えてやってくれというわけじゃない。そんなことをしたら彼の学習の妨げにもなるしね。ただ、気がついたときに少し水を向けてくれる程度で良いんだ。」


 そんなことを言われても、困る。思わず渋面になるが、菱田先生は構わず「どうかな」と、どうしても世話を焼かせたいようだ。助けを求めて藤堂先生を見るが、そこに救い主はいなかった。


「私も彼の監視を頼むつもりでした。手助けをするかは及川さんの『良識』に委ねますが、目をつけていてくれませんか」


 なんでさ。


「なんで私なのよ」


 思わず素の言葉が出てしまうが、気にしている余裕がない。これ以上こんな面倒事に巻き込まれるのは御免だ。けれど、先生方は先程までの言い合いを忘れたかのように顔を見合わせ、異口同音。


「縁があったからでしょうか」


「これも御縁かな」


 昨日寝坊なんかするべきじゃなかったわ。思わず気が遠くなる思いだったが、ふと思いつく。本人に拒否させれば良いのよ。


「ねえ、矢橋くん。あなたも私にいちいち世話なんか焼かれたくないわよね」


 私が話を振ると、今までボケッとしながら黙って会話を聞いていた矢橋くんが驚いたようにこちらを見る。この間の抜け具合を見ると、アンドロイドというのが信じられなくなるけれど、それが逆に人間らしくないという意味でロボットらしくもある。


「僕は先生に従うだけですから」


 ああもう!


「あなたの事でしょう。あなた自身で考えたらどうなの」


「僕の考えよりも、先生方の指示のほうが優先ですよ」


「優先順位じゃなくて、あなたの考えた結論を聞きたいのよ」


「僕の考え、ですか」


 問い詰めると、矢橋くんは「考え」とつぶやき、文字通りに俯いて考え込んでしまう。ロボットならもう少しパッと結論が出ないものかしら。何故か誰も口を開かず、職員室の一角に静けさが訪れる。それほど長い時間はかからず、矢橋くんは顔を上げ、言った。


「僕は及川さんが力を貸してくれると助かります」


「なんでよ」


 反射的に訪ね返すと、一丁前に頬をかきながらこう言った。


「知り合いが他にいないもので」


「当たり前でしょうよぉ」


 膝から崩れ落ちそうになりながら、言葉尻まで情けなくなる。こりゃ確かに目が離せないわ。二つの無言の圧力と、一つの何も考えていないような視線、そして感じてしまった説得力によって、私はついに首を縦に振る事になったのであった。


 先生方から「このことは秘密に」と念を押され、「それでは明日からお願い」と声をかけられつつ職員室を出た。寄り道もせずに階段を登り、教室の前まで来たところでせき止められていたものが溢れかえり、壁にもたれかかる。


 歯の根が合わないまま暗くなってきた外を見れば、ひどく疲れた顔をした自分の顔が特殊加工の施された窓ガラスに映る。特殊加工なら、現実もよしなに加工して映してくれれば良いものを。深く息を吸って、心を鎮める。


 この時間だ、誰もいないだろうと思って扉を開けたのだけれど、そこには純子が一人、退屈そうな顔で端末をいじっていた。脇にはタブレットも置いてあるところを見るに、宿題でもしていたのだろうか。扉を開く音に振り返った彼女、私だとわかるといつもの胡散臭い表情になりかけるが、すぐに驚いたような顔になってこちらに駆け寄ってくる。


「萌音、あなたどうしちゃったのよ。こんなに青い顔で」


「ああ、顔青いんだ。窓ガラスだと、そこまで解らないから」


 純子が慌てているのはいつもならば小気味が良いのだけれど、今はいつもの彼女に会いたい。


「なんだ、先に帰ってるのかと思ってたのに」


「そんなこと言ってる場合じゃないでしょ。今保健室に連れて行ってあげるから」


 そう言って私の前にかがみ、おぶさるように促す。違うの、違うのよ、純子。体じゃないの、確かに体も疲れているけれど、体ではないの。


 眼の前の背中に体を預け、純子の胸の前で腕を交差させる。私の膝裏を通ろうとする腕を避けて、純子に囁いた。


「大丈夫、大丈夫だから、少しだけこのままで」


 その言葉に純子が息を呑むのが伝わったが、彼女は何かを尋ねることもなく静かに手を握ってくれた。


「しょうがないわねえ」


 そう言いながら握りしめる手のひらとその背中から温もりを受け取り、職員室の無機質な空気で冷えた体に熱が戻っていく。10分、あるいは5分、もしくはもう少し短い間そうしてから腕を引き抜き、純子から離れる。


「もう帰っているものと思っていたのに」


「あら、あなたが残っていてと言ったんじゃない」


 何を言っているんだこいつは。たしかに私はごめんなさいとジェスチャーをして職員室に向かったはず。


「私、ごめんなさいってジェスチャーしなかったっけ」


「ええ、していたわよ」


「ならなんで帰ってないのよ」


 そう言うと、純子はいつもの胡散臭い笑みで言った。


「だって、あなた私の返事も聞かずに行っちゃうんですもの。つまり、返事を聞きに戻ってくるってことでしょう?」


「そんなわけ無いでしょ」


 思わず脱力する。口から出任せなのはわかっているけれども、先ほど無力であることを実証した『常識』なるもの以外に反論のしようがない。純子がいつもの純子で安心したけれど、これはこれで腹が立つ。とはいえ言い返す道もないので、「もうそれで良いわよ」と投げやりに返して荷物をまとめることにした。私が言い返さないことに不思議そうな純子だったが、それ以上何かを尋ねることもなく他愛もない話をしながら帰路につく。その友情に感謝しつつ、互いの家のある区画への分かれ道までには憂鬱な気分もいくらか晴れたのであった。


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