昼休み 2

 転校生、矢橋くんの転入はクラスに15分だけ活気をもたらした。物と情報の行き来する量に反比例するように、アーコロジティ間での人口の移動が減少している昨今。その物珍しさを加味してもなお15分しか話題に上らなかったというのは、悪い意味で珍しいかもしれない。それというのも、あの子の受け答えがこれでもかというぐらいに無難だったからだ。


 いつからこのドームにいるのかと聞いてみれば、二週間ほど前からとの答え。どこから来たのかと聞いてみれば、たった50キロメートル先にあるドーム出身。誰か兄弟はいるのかと聞いてみれば、一人っ子。何が趣味なのかと聞いてみれば、これといって趣味はない。なぜ来たのかと聞いてみれば、父親の都合。


 特に毒にも薬にもならないような新顔に、やることの多いイマドキのクラスメイトたちはすぐさま興味を無くしてしまったのである。そうして、新しく机の置かれた教室の廊下側後方でゆっくりと食事をしているあの子を、私は牛乳風味の経口調整液を吸い上げつつ眺めていた。


 まったく、あの子は何をやっているのか。本当のあなたはもうちょっとこう、ボケっとして、何処かズレたところのある、妙な子のはずでしょ。何を常識人のふりをしているのよ。


「はいはい、そんなに睨んでないの」


「だぁれが睨んでるってのよ」


 食事を終えたクラスメイトたちの談笑に混じってささやかれた純子の言葉に、思わずささやき声で返す。少しだけ腹立ち紛れの視線になったことは認めるけれど、別に睨むとまでは力を込めていない、はず。


「あの平凡な子にずいぶんとご執心じゃない。そんなに気になるの?」


「だからそういうのじゃないって、やめてよ」


「そうかしら、私は気になるけれどね。平凡すぎて。今どき希少じゃないの、あんなに毒のない男の子って」


 目の前の席で頭を椅子の背に乗せながら笑う純子。その邪気のありそうな笑みに、私も椅子の背に体重を預ける。二人してなんとなく横目で『転校生の席』を見ながら、私はため息を付いた。


「そうよね、あなたは一体感が好きだものね。そりゃあ気に入るわ」


「あら、誰が気に入ったのかしら。気に入るのと気になるのは別のことだし、普通であることは一体感と何ら関係ないことですもの」


 そんな邪な誘導に引っかかるほど、純子との付き合いは短くない。


「あの子となんの接点もないあなたほどじゃないと思うけどね」


「まあ、こましゃっくれたことを」


「あんたも子供でしょうに」


「子供大人の区別というのは時間方向の保存量なのよ。言う人間には依存するけど、言う時間には依存しないの」


「それはエネルギッシュでよろしいこと」


 そう返すと、純子の頬がサッと赤らむ。怒り、って感じじゃないわね。彼女の潤んだ瞳に、不覚にも心が高鳴る。これは、照れかしら。……なんでよ。


「おはようからおやすみまでなんて、恥ずかしいことを言わないでちょうだいな。もう」


「あなたの感性は本当に解らないわねえ」


「あら、私の感性は『みんなと同じ』よ」


「つまりてんでバラバラってことじゃないの」


 いつものように中身のない話をしながらも、やはり二人して矢橋くんを横目で眺める。確かに純子の言葉にも一理有る。昨日案内したボケっとした印象の矢橋保と、給食をマイペースに食べ続ける特徴のない転校生が、どうしても滑らかに繋がらないのだ。


 良いにしろ悪いにしろ、印象は印象だ。感じ方が変わることはあっても、印象そのものが消えてしまうなんてことがあるだろうか。ましてや昨日の今日。


 そんな事を考えていると、ふと気になることがあった。勘違いかもしれないので、念の為指を折って数える。何を始めたのかと純子がこちらを胡乱げな目で見るが、まずは確認。ひのふのみの、ええと、もう一回。ひのふのみの。間違いない。


 あの子、何を口に入れても同じ回数だけ、22回きっかり咀嚼してから飲み込んでいる。やっぱり変な子だわ。転校生の矢橋くんは、やっぱり昨日案内した矢橋保だったのである。


 そうと判って途端に機嫌が良くなった私に前の席から赤ん坊を見守るような生ぬるい視線が突き刺さるが、今は機嫌が良いので放っておくことにした。そしておかげさまで、昼休みが終わるまで私の気分は上向いたままだったのである。

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