ホームルーム 2

「と言うことがあったのよ」


 朝、騒がしい教室で先生が来るのを待つ間、純子との会話で時間を潰す。


「ええと、ごめんなさいね。私、エスパーではないの」


「それは初耳ね」


「だって言っていなかったもの」


「私も何も言っていなかったし、お互い様ね」


 そりゃあ、開口一番に「と言うことがあった」なんて言われて、「そうなのね」と返される方が驚きだ。もしそんな事があれば、超常現象(オカルト)か無関心の二択を疑わないといけなくなる。どちらがマシかと言われたら悩ましいところだけれど、オカルティズムの方がまだロマンチックかしら。


「それで。黙りこくっていないで、何があったのかを話してくれないかしら?」


「そうそう、それがね。昨日の放課後の話と、今朝の朝食の話があるんだけど、どっちを聞きたい?」


「あら、一つしか聞かせてくれないの?」


「私は素晴らしい話題を二つ持っているのだけれど、それを話すには持ち時間が短すぎるのよ」


 苦し紛れの屁理屈を、純子は鼻で笑って一蹴する。


「それは本当に驚きだこと。どうせ朝食の話なんて、また目玉焼きが破けてフランスの地図になったなんて話でしょう」


「失礼ね、最近は破いてないわよ。たまにしか」


「破いてるんじゃない。それで、放課後に何があったの?」


 言われて、軽く頭の中で整理する。放課後の出来事と言ったら、もちろんあの妙な男の子のこと。奇妙な「事情」については私も解っていないし、言わなくて良いだろう。それに、陰口を言うのも好きじゃないからぼんやりした子なんて表現も無しね。後は私の醜態も恥ずかしいから無し。と、なると。何を話せば良いのかしら。


「ええと、純子が帰ってから反省文を出しに行ったら、転入してくるっていう男の子がいたのよ」


「あら、こんな時期に珍しい。それで?」


「えー、まあ。それぐらいね」


 無言で純子と見つめ合う。純子の顔が良いだけに、無表情で見つめられるといたたまれないものがヒシヒシと。明け方に瞬く星の狭間の色をした瞳が、宇宙の冷たさでこちらを覗く。こうなりゃ我慢比べよ。


 周囲の喧騒を他所に見つめ合っていると、純子の目がスリッと細められる。コワイ。


「もしもその男の子が気に入ったなんて話をするつもりなら、私は辞書の失望の項に追記をしないといけなくなるのだけれど?」


「いやいやいや、まさかまさか。違うわよ、うん、違う。別に気に入ったとかじゃないんだけれど、ちょっと印象深かったっていうか」


「印象深い、ねえ?」


 目を三日月のように歪めて、口元を手首で隠す純子。これは変な勘違いをされている気がする。


「そう、印象深いと言っても変な意味じゃないのよ。同じ学年だからってことで菱田先生に頼まれてその子を案内したんだけど、行動がなんというか新入生みたいだったのよ」


「そりゃあ、新しい学校ですもの。新入りなのは当たり前じゃないかしら」


「そういう意味じゃなくて」


 そう。そういう意味ではない。ないのだけれど、どこが違うのかと言われると言葉に詰まってしまう。


「ああ、なんて悲しいのかしら。私が一人で家路をたどる間、友人は男の子と逢瀬を重ね、甲斐甲斐しく世話を焼いていたなんて」


 大げさに顔を覆って見せる純子。これは解ってからかってるわね。


「一人で帰ったのはあなたでしょうに。大体がひっそりもなにもありゃしないし、デートなんて大層なもんですら無いわよ」


「どこまでが本当のことやらねえ」


「一から十まで」


「百分率で?」


「あんたの指は何本あるのよ」


「十分納得するには、男の子のどこが気に入ったのか教えてもらわないことにはねえ」


 ああもう。純子はどうあっても色っぽい話にしたいらしい。日によって興味が頻繁に移り変わる彼女だけれど、今日は面倒くさい部類の純子だわ。


「だから気に入るもなにもないんだってば。本当に教室をいくつか案内して、図書室に向かうところで先生に引き継いだだけなんだから」


 純子が何かを言おうとするが、その時教室の前の扉が開く。そこから入ってきたのは藤堂先生。大して長く話していたつもりもなかったけれど、意外と待機時間は短かったらしい。救われた気持ちで純子に前を向くように促す。と、タブレットに個人チャットの着信表示。


 見なくても内容がわかるけれど、先生に見つからないようにこっそりと盗み見る。送信者は『鹿渡純子』、内容は『後でその子について詳しく聞かせてくださいな』。予想通りだ。チャットアイコンの木星ウサギが良い笑顔なのもまた腹が立つ。


 眼の前の背中に抗議の視線を送るけれど、当然のごとく、どこ吹く風。背筋を小指でなぞってやろうかとは思いながらも、昨日の今日で騒動を起こすわけにもいかないのでここは我慢のしどころだ。


 先生が名前順に点呼をするごとに、教室のあちこちから返事があがる。タブレットの物理アドレスでパッとやってしまえば良いのにといつも思うのだけれど、一昔前にタブレットだけ出席させる子が何人も居たせいで古式ゆかしい方法を復活させたらしい。いないことぐらい見ればわかるのに、昔の子はなんでそんな無駄なことをしたのかしら。


 点呼に応えながら、なんとなくタブレットで空のノートページを呼び出す。昨日の男の子、矢橋くん。彼はどんな顔だったかしら。それなりに話した記憶はあるのに、顔が平凡すぎて細部がよく思い出せない。つむじが二つあったことだけは思い出せるけれど、それぐらいだ。


 頬は確かこんな感じで、いいえ、もう少しほっそりしていたかしら。空のノートにぐにぐにと線を書きながら記憶をたどる。似顔絵というよりも素描のようなものということもあって、クラスメイト23人の点呼が終わる頃にはざっとした輪郭がノートに浮かび上がっていた。こんな感じの顔、だった気がする。純子に後でこれを見せてこの話題はおしまい。そう思った矢先、先生が連絡の最後にこう言った。


「それと、本日から新しい生徒がこのクラスに加わります」


 待って。


 藤堂先生が教室の扉を開く。


「入って下さい」


 ちょっとダサい髪型に平凡な横顔の男の子。華奢な体が黒板の前に立つ。


 男の子の名前が黒板に表示され、ペコリと下げる頭にはつむじが二つ。


 無意識のうちに個人チャットで純子にメッセージを送る。内容は一言、『あの子』だけ。


 頭を上げた転入生の顔は、既に手元のノートに素描されていた。


「矢橋保です。半端な時期の転入ですが、よろしくお願いします」

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