ホームルーム 1

 本日の天気は晴れ。外気温は摂氏38度、内気温は摂氏15度、室内気温は摂氏20度。私達の街がある地域は「エコロジー特区」というやつで、巨大企業が立ち並ぶ街やアミューズメントを売りにしている街とは違い、四季がある。つまり、一世紀前の環境に似せて作られているという事を売りにした街だということ。そのこだわりようは筋金入りで、遠くの地域と連携した鳥の輸送プロジェクトで渡り鳥の渡りを再現したり、巨大なドームで覆われたこの地域なら快適な四季を再現できるはずなのにわざわざ梅雨みたいな期間を設けたりと、凄まじい情熱だ。もっとも、調子に乗って空梅雨再現プロジェクトなんてのをやった年には、余計なことをするなとブーイングの嵐で技術者さんたちの涙の雨だったらしいが。


 正直に言えば、わざわざ肌寒くしておいて部屋を暖房で温めるなんて馬鹿らしいと思うのだけれど、四十歳ぐらいより上の人達からはこれこそが日本の四季だと大好評らしい。そのあたりは合理性では表せない人の心というやつなのだろう。人が人のために操る科学の中にこそ愛の心が必要なのだ。


「私はそう思うわけです」


「それで。他に言っておきたいことは?」


「つまりですね、愛によって私の行動を評価してくれても良いんじゃないかなあと」


「思いますか?」


 神経質そうな顔つきの女性が、神経質そうな声で、神経質そうな言葉で質問をする。


「思ってくれれば嬉しいと思うのですが」


「残念ですが、先生はそうは思いません」


 彼女、つまり私の担任の藤堂清見(とうどうきよみ)先生が無表情で告げた。切れ長の目にスラッとした顎、素の顔が怒ったような顔なので怖い人と思われがちたが、本当はそうでもない。大抵の場合は。


 その大抵の場合「以外」というのは例えば今みたいにお説教をする場合で、罰則に手心を加えてくれないので規律の鬼と私は呼んでいる。主に私の心の中でだが、クラスメイトと話してみるに皆同じ思いらしい。


 四方八方から見ても規則にうるさい藤堂先生が担任だったのが運の尽きと言うもので、結局朝の出席確認が始まるまでに間に合わなかった私は廊下で先生とお話中なのであった。


「わかりました、先生。見方を変えましょう。たしかに私は朝の点呼が始まるまでに間に合いませんでした。このことは認めます」


 情に訴えるのはやはり無理だった。ここは方針を変えよう。


「結構。それで?」


「けれど、私が教室に入った時点で点呼は始まったばかりで、私の名前は呼ばれていなかった。点呼の意義が存在の確認のためであることを考えれば、名前を呼ばれて返事をすることが重要だとは思いませんか?」


「つまり?」


「少しだけ手心を加えていただければなと」


「1800字で良いですね?」


 先生の言葉に思わず話す口が止まる。


「あの、先生。1800字というのは」


「規定上、四百字詰め原稿用紙5枚相当の反省文を書かせるところですが、情状酌量により1800字以上の反省文で勘弁してあげます」


「いや、あの、それは変わっていないのでは」


「足りませんか?」


「1800字、放課後までに書かせていただきます!」


「今日中に職員室へ持ってくるように」


 そう言うと藤堂先生はこちらに背を向けて一階の職員室へと歩き出す。私はその背中に歯茎をむき出して威嚇をすると、ため息を吐きながら教室に入って自分の席につき、そのまま突っ伏した。


「全く、時刻は人間が生み出した最悪の代物よ」


「昨日はコンピュータにも同じこと言ってたじゃない」


 思わず恨み節が漏れて出たのを、前の席の女の子が拾う。


「それは同率一位だからよ」


 顔を見なくても判る、彼女の表情は胡散臭い笑い顔に決まっている。なんたって、声色がいつもの笑い声だ。


「その前は階段にも」


「それも同率一位」


 苦虫をかじりながら顔を上げると、豊かで長い金の癖っ毛の下に色の薄い白い顔。そのまんなかに小高い山がちょんと乗って、裾野に二つ並んだ夕方の東の空の色をした瞳が細められた瞼の隙間から覗いている。


「随分と平等だこと」


「私の世界は多彩なの」


 瞼と同じように弧を描いた薄い桃色の唇は、何も音を発さなければそれこそ絵画のようなのに、口を開けばこれである。


「まったく呆れた。呆れたついでに、良いことを教えてあげましょうか」


「なによ」


 鹿渡純子(かどじゅんこ)。日本とどこかヨーロッパの国のハーフ二人の間に生まれた女の子。他の国はそれぞれ四分の一で、半分が日本人だからおおよそで見れば日本人だと主張する、小学校に上がってからの腐れ縁である。


 どこで学んできたのやら。出会った始めの頃はもう少し少女らしい話し方だったのに、いつの間にか薄ら笑いが似合う話し方になってしまった、可愛げのない少女。それでも、数少ない私の話し相手であった。


「一限、またロボットの代講らしいわよ」


 そうら来た。純子の「良いこと」は大抵の場合、純子にとっては良いことだ。もちろん他の人、つまり例えば私にとって良いことかなんておかまいなし。


 それにしても、ロボットの授業だなんて。口には出さず、オエッとえずくジェスチャーをする。別に海の向こうのAAA(Anti Artificial-intelligence Association)とかいう人たちみたいにロボットが嫌いなわけじゃない。ただ、なんというか、ロボット達の授業はつまらないのだ。


 大昔はロボットと人間の先生が一緒になって授業をしていたらしいけれど、今では知識の詰め込みはロボットが、それ以外を人間の先生がやっている。だからと言って、知識を覚えるのが嫌というわけじゃない。タブレットで本とかも読むし。じゃあ何が嫌なのかというと、ロボットたちの授業が定型通りなところ。


 確かに人間の先生よりもロボットの方が授業は正確だし、いろんなことを知っている。けれど空の青い理由も、空の青さが美しい理由も、空の青さをガラス越しにしか見られない理由も知っているのに、「憎らしいほど青い空」とは一度も言わない。それがたまらなく退屈なのである。


「楽しみね」


 まあ純子みたいに、それが好きな人もいるのが不思議なところだけれど。


「あんな型通りな授業を。純子、やっぱりあんた変わってるわ」


「それがいいのよ。クラス全員との一体感があるんだもの」


 すっかりやる気が無くなって、背もたれにもたれかかる。純子の冗談だかわからないような答えを右から左へと聞き流して生返事を返すが、純子も何か同意を求めていたわけでもないようで、前を向いてしまった。


 もさっとした金髪が前の席で揺れるのを眺めながら、渋々タブレットの授業アプリを起動する。


「そういえば、菱田先生はなんで今日休みなのか知ってる?」


 ロボットの到着まで手持ち無沙汰だったので、右隣りに座っていた男の子に、一時間目の理科を教えることになっていた先生について聞いてみる。


「ん、ああ。なんか大学の知り合いの研究の手伝いで出張だってさ」


 出張。これじゃあ話が続かない。また暇になってしまった。病気とかなら「心配だね」とか数分の世間話にはなったのに。そもそも男の子も男の子だ。最初から知ってる情報を全部出すから、会話が終わっちゃったじゃない。まったく、何でもかんでも論理立てて話せば良いと思ってるにちがいない。これがロジカルシンキング世代ってやつね、まったく。本当に、まったく。


 やるせない思いで窓の外を眺めると、ガラス二枚越しの青空の下、この学校の管理している雑木林の上を鳥が飛び回っているのが見えた。遠すぎて種類まではわからなかったけれど、なんとなくツグミなら良いな。たとえ本来のやりかたをなぞっているだけでも、どこか遠くへ飛んでいきたい気分になってしまった。渡り鳥なら仲間と一緒だしね。


 上に下にと飛び回る鳥たちと、意識だけでも一緒に飛び回ってしばらく。教室のドアが開く音で、現実に引き戻された。視線を向けてやれば、四本脚の上にのっぺりとした人間の上半身が乗ったロボットが教室に入ってくる。我らが「教師」の登場だ。


 可愛げのない授業をするロボットは、見た目まで可愛げがない。もう少し人間に似せれば良いのにと思わないでもないけれど、昔いたそんな見た目のロボットたちは外側だけ似ているせいでぶきみのたに(?)とか言う現象がおきて人気が出なかったらしい。


「おはようございます。みなさん」


 教壇に立ったロボットが物理ケーブルを黒板に繋げながら言う。


「出席状況は問題ありません。それでは、予定を変更して理科の解説の時間を始めましょう。」


 その言葉と同時に、手元のタブレットと眼の前の黒板がリンクされた通知。黒板が見慣れた白い画面に切り替わり、授業アプリの上端に同じものが映る。使っている時は色が白なんだから、「白板」って言ったほうが良い気がするんだけど、古くからの慣習を大切にする一部の大人たちが頑なに黒板と呼ばせ続けているらしい。このあたり、ロボットなら白板って変えちゃいそうなものだけれど、その合理性が今は退屈の元凶になっているのだから悩ましいものだ。


 こっそりとため息を付いて、学生の本分を全うするため、クラスのみんなと同じように手元のタブレットを覗き込んだ。

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