辺境都市コーカンド⑤ 心の内に在るもの


 あれからどれほどの時間が経っただろうか?


 既に夜は深まり、屋根の隙間から差し込む光もなくなった頃、すっかり場は煮詰まっていた。

 

 流石に警戒されて上がりづらくはなったものの、相手も俺の運気の操作によって上がることが出来ずに居た。


 親は最初から十一枚カードを引けるので、恥も外聞もなく配られた手札の時点でイカサマで上がってしまえば、勝てなくもない。


 しかし、そうはできない事情がある。


 何故なら手役の宣言は、全員が賭けるか降りるかの選択をして以降でないと出来ないことになっているからだ。


 相手が最初から完成した手役を持っていようと、俺が降りてしまえばそれまでのことだ。


 降りる際にはチップを一枚だけ払わなければならないが、そんなもの痛くも痒くもない。


 俺から巻き上げるにはそれこそある程度運で打ち勝つ必要があるが、それが出来れば苦労はないだろうな。


 相手のイカサマを上手く躱しつつ、俺の強運をぶつけるという、そんな見えないせめぎ合いを続けていたその時――とうとうその均衡が崩れた。


「それだ。悪いな」


 そう言って俺はパラリと手札を返す。


 俺もいい加減手役を覚えてきた。234、456と言った並びの数字を三つ作るのが倍付けのスリーラン。


 そしてそのスリーランで1から9までの並びを作ることをストレートと言い、三倍付けが足される。


 ――そして更に、それらの手役を全部同色で完成させた場合、純血ピュアブラッドという役が重なって、更に五倍付が加算される。


「赤の純血ピュア・ブラッドのストレート。十倍付けだな。しめてチップ12000枚ってとこかね? テーブルの上のだけじゃ足りないな」


 そう言って、俺は既に高く積み上がったチップに、更なる追加を要求する。


「ふ、ふふ、ふざ……ふざけんじゃねえぞてめえぇぇッ!! 何をやりやがった!? さっきからおかしな上がり方ばっかしやがって、こんなことが現実に起きるわきゃねえだろうがァ!!」


 親役の男はそのあまりの理不尽さに激昂する。


 そうだな、普通はここまで確率が偏ることなんてまずないだろう。


 だが、お前は今までそれをイカサマでやってきたんだろう?


 巻き上げられる側になって初めて痛みを知るといったところか。ここでふとこれまでやってきたことを振り返られるならまだ救いようがあるが、そんな奴が悪党などするはずもない。


「だが実際に起きてるだろ? それともなんだ、俺がイカサマしたとでも言いたいのか? お前がやったように」


「…………!?」


 俺がとうとうそう口にすると、親役の男はハッと目を見開いたあと、ぐっ、と悔しげに顔を歪める。


 ――しかしやがて、ちっ、と舌を鳴らしたあと、その男は言った。


「囲めッ!」


 そう号令をかけた瞬間――部屋の中の体格のいいならず者たちが、俺の側を一斉に囲う。


「……兄さん、確かにあんたは大した奴だ。博打打ちとしては俺より上かも知れねえ。だが……あんたやり過ぎたよ。ここらじゃあルールなんてもんはねえ。最後には結局、強いもんが勝つのさ」


「そ、そんな……! 勝ったのにそりゃあんまりだよ!」


 俺に代わり、おっちゃんが悲壮な声を上げる。


「馬鹿が一攫千金なんて身の丈に合わねえ夢を見るからこんなことになるんだ。お前もそこの兄さんと一緒に明日には仲良く川の底だ。欲をかいた自分を恨むんだな」


「やれやれ……都合が悪くなったらすぐに暴力に訴えかける。君らのような三下のやり口は実に単調だ。――その程度こと、俺が予測出来ないと思ったのか?」


 そう言うや否や――俺は周囲を取り囲む二人の男の顎を瞬時に跳ね上げる。


「おぺっ」


「かふっ」


 そう間抜けな声を上げながら、体格のいい男たちは膝からカクンと崩れ落ちた。


「なっ……!?」


 その光景に言葉もないのか、親役の男は唖然とした顔でこちらを見やる。


「意識を刈るついでに頭の中の気をグルグル回しておいた。目が覚めても視界が回り続けて、三日は吐き気が止まらんだろう。まあしばらくすれば収まるから、それまで我慢することだな」


「な、何をしやがった……て、てめえは一体!?」


 奴は、俺の方に恐怖の籠もった眼差しを向けて言った。


「俺の名は"龍華真人"、望月竜哉という。俺は逃げも隠れもしない。夜討ち闇討ち不意打ち、なんでも歓迎するよ。君らじゃあ何をやっても俺には勝てない」


「……舐めやがってェッ!」


 そう言うと、親役の男は激昂して剣を抜いて襲い掛かってくる。


「ほい」


「あぺっ」


 しかし俺は、何の危なげもなくそれを受け流したあと、相手の顎を掌打で打ち抜いて片付けた。


「はい終わり。……じゃあ、どっか金を隠しているところを見つけますか。勝ち分はしっかり回収しないとね」


「お、おい兄さん!」


 俺がそう言って家探ししようとすると、おっちゃんがそう声を上げる。


「ま、まずいぞ! ここの賭場は、裏街を仕切ってるドノバン一家の持ち物で……」


「あー、もうそういうのいいから。報復に来たら来たでその時相手したらいいだけだから。それよりも……ほら!」


 俺はそう言って、気絶した親役の男の袖をまくって見せる。


 そこには――本来山札に含まれていない、大量のカードがボロボロとこぼれ落ちてきた。


「なっ……!?」


「分かるか? こいつら、イカサマしておっちゃんから有り金巻き上げてたんだよ。配られた手札が異常に良くても、その後が全然駄目で結局上がれないなんてことがいっぱいあっただろ。それはこいつらが全部仕込みしてただけだ。おっちゃんがぬか喜びしてる様は、さぞや滑稽に映っただろう」


「く、くそっ……!」


 そう言うや否や、おっちゃんは気絶している男の胸ぐらを掴んで殴ろうとする。


 しかし俺はそれを片手でその拳を止めた。


「やめとけよ。騙されたからって気絶した相手を殴るなんて恥ずかしいと思わないのか? 自分から望んでここに来たおっちゃんはともかく、あんたは無関係な家族まで巻き込もうとした。完全な被害者と言えるほど上等な立場じゃないよ」


「うぐっ……」


 俺の言葉に、おっちゃんは痛いところを突かれたのか、苦しそうな顔で呻く。


「ほら」


「!?」


 次に俺は、気絶した親役の懐から店の権利書を取り出して、おっちゃんに差し出す。


 おっちゃんは慌てて手を伸ばしてそれを受け取ろうとするが――俺は権利書をひょいと上にあげて手が届かないようにした。


「な、なんで……!?」


「あんた、ずっと俺の後ろで手札を見てたよな。どう思った?」


「ど、どうって……」


 おっちゃんはその言葉に少しだけ考えたあと、絞り出すように言った。


「な、何がなんだか分からなかった。兄さんは、普通に上がれそうな手札を一から崩したり、ほとんど完成しているような手札を放棄して降りたり……かと思えば、バラバラの手札に全賭けしてあっさり手役を完成させたり……何をやってるのか全く理解できなかったよ」


「それがイカサマありきの博打で勝つってことだ。通常のやり方では勝てない。相手のイカサマの逆手を取って上がるんだ。どうだ、自分でも出来そうか?」


「む、無理だ、俺には……。相手のイカサマにすらろくに気付かなかったのに。それを逆手に取るなんて……」


 おっちゃんは自信を喪失したかのように頭を抱えて言う。どうやら完全にトラウマになってしまったらしい。


 その様子を見て、俺は店の権利書をぺらっと投げ渡した。


「もう賭場には来ちゃダメだ。俺がたまたまここに来たのは、あんたが家族とやり直す最後の機会を神様が与えてくれたんだ。あんたはここで九死に一生を得た。次はないよ」


「……! あ、ああ!」


 おっちゃんは権利書を拾い上げると、それを押しいただくようにして懐に抱え込む。


「ありがとう、本当に、本当にありがとう……!」


「礼は良い。他の奴に顔を見られない内にさっさと逃げろ。もし俺のことを奴らの仲間に聞かれたら、変にかばったりせず全部話していいぞ。また家族を巻き込みたくないだろ?」


 それに何度もコクコクと頷いたあと、慌ててその場から立ち去ろうとする。


 しかしふと足を止めて、俺の方を振り返った。


「に、兄さんはこれからどうすんだ? きっと追われるぞ。奴らは執念深い。捕まったら殺されるかも……」


「あはは! そりゃあんたが心配することじゃないよ。もう裏世界に首突っ込んだり、変に嗅ぎ回ったりしないほうがいい。俺なら大丈夫。この程度の三下が何百人押し寄せてこようとどうということもない」


 俺はそう言ったあと、更に続ける。


「おっちゃん、今ある幸せに感謝しなよ。本当の幸せは金や地位じゃない。何気ない日常の中に見出す心の安らぎのことを言うんだ。今回のことでそれが身に沁みて分かっただろう。もう二度と、それを投げ捨てるようなことはするんじゃない」


 そう告げたあと、俺は何度もこちらを振り向きながら立ち去るおっちゃんを、賭場から閉め出した。



 * * *



 「はぁ……はぁ……!」


 コーカンドにある小さな雑貨屋の店主、フリオは裏通りを息を切らせながら走っていた。


 空は既に白み始め、夜明けが近いことを示している。


 先程までの時間は一体なんだったのだろうか。夢のような、そして悪夢のような時間だったことは確かだ。


 一度は何もかもを失って絶望する他なかった状況を、たまたま現れた一人の若者が破滅から救ってくれた。


 あの若者は何だったのだろうか?


 少し変わった服を着て、珍しい黒髪以外は何の変哲もない若者だった。


 本当に神の使いか、あるいは神そのものが地上に顕現して、自分を助けに来てくれたのかも知れない。


 フリオはそんな事を考えながら、夜明けの道を急ぐ。


 ようやく馴染みのある道に出たと同時に、フリオははっと見覚えのある顔を見て立ち尽くす。


 そこでは、妻と娘が必死な形相で自分の名を呼びながら探し回っていた。


 そして――フリオの姿を見つけて、ハッと目を見開いた。


「あんた!」


「お、お前!」


 そう告げると同時に、二人は互いに駆け寄る。


 そして、その影が重なろうとした瞬間――


「一体どこをほっつき歩いてたんだいっ!」


「ぐはっ!」


 フリオの頬を、強烈なビンタがバチンと振り抜いた。


「この馬鹿っ……! 普段からろくに仕事もせずにふらふら遊び歩いて……挙げ句の果てには朝帰りだなんて! 一体どれだけ迷惑かければ気が済むんだい!?」


「お、お前なあ! 俺だって色々大変……」


 そう言い返そうとしたフリオは、相手の顔を見て思わず次の言葉を飲み込む。


 妻は、一晩中探し回ったせいか疲れで目も落ち窪んで、まぶたの部分だけは涙で赤く腫れていた。


 そして娘も、赤く腫らした目で、一晩中自分のことを探し回ってくれていたのだ。


 その自分が、欲に駆られて二人の未来を危うく闇に閉ざそうとしていたのも知らずに。


(お、俺は、なんてことを……なんて馬鹿なことを!)


 フリオはここに来て、自分のやっていたことの愚かさをようやく痛烈に自覚するに至った。


 ――おっちゃん、今ある幸せに感謝しなよ。


 助けてくれた青年の声が頭の中に反響して、ようやくその言葉の意味を心から理解できた。


「す、すまん、二人とも、本当にすまん……! 許してくれ、この通りだッ!」


 フリオはその場に土下座し、地面に額を叩きつけるように何度も何度も謝った。


 自己嫌悪で消えてしまいたかった。自分などいないほうが、この二人は幸せになれるのではないかと心の底から思った。


 だが、この二人はこんな自分のことを必要としてくれている。


 神様が、この世界が、どうしようもない自分に、この二人を引き合わせてくれた。


 それをあの不思議な青年が教えてくれたのだ。


 自分には何も足りないものなどない。ありとあらゆる存在に生かされている――そのことに気づいたとき、フリオの心の中に、全てに対する愛と感謝が溢れ出した。


「ありがとう……本当にありがとう! 産まれてきてくれて、俺のそばにいてくれて……」


「ちょ、ちょっと、あんたどうしたの? 急に謝ったり泣き出したりして……」


 妻はおろおろと慌てふためくも、これまでとは別人のように生まれ変わったフリオは、そのことにすら感謝した。


「も〜、パパったらさっきからなんか変だよ? さっさとお家帰ろうよ。あたし一晩中探し回ってお腹すいたし」


「ああ、帰ろう……家へ帰ろう。俺たちの家へ」


 そう何度もうわ言のように呟いて、フリオは家族とともにようやく帰宅を果たす。


 普段はボロくてしょぼくれて見えた自分の小さな雑貨屋が、今は黄金にも勝る宝物のように輝いて見えた。

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