幕間:道中にて


 ――コーダ村から離れて、約一日半くらい経っただろうか。


 その間一つ山を越えて、かなり陸地の内部に入ってきたと思う。


 しかし西の大陸は広大なのか、ここまで進んでなお果てが見えない。


「よーし、ここらで少し休憩にしよう」


「ガァッ!」


 俺がそう言って背中をポンポン、と叩くと、饕餮も咆哮を上げて足を止める。


 ひとまず日が中天に昇ったので、昼食でも摂ろうかと言う算段だ。


「俺は魚でも捕るからさ、饕餮はどこかで狩りでもしてきなよ。それで火を起こして一緒に食べよう」


「ガウッ!」


 俺が背中から降りながら言うと、饕餮はその場から立ち去っていく。


 俺は別に饕餮を餌付けしている訳ではない。饕餮は足が速く結構狩りも上手いので、餌なんかやらずともそこらで適当に小動物を狩って獲ってくるのだ。


 言霊で魂を縛っているわけでもなく、ただ単に饕餮が付いて来たいらしいから一緒に行動しているだけだ。


 俺も結構仙人として動物と心通わせるようになって長いが、ここまで付き合いのいい獣はなかなか居ない。


 あるいは俺の行動から何か学びを得ようとしているのかも知れないな。


 俺はそんなことを考えつつ、近くの川に向かう。


 ここらじゃ樹の実や山菜も採れそうにないので、川魚をメインで捕まえていくことになる。


「よっ」


 俺は裾をまくり上げて川の中に入ったあと、熊のように造作もなく魚を払い飛ばす。


 魚は"気"を読むのに長けた生物だ。殺気や欲望のような人の意識を敏感に感じ取って、釣り針や銛なんかも下手だとスルリと避けてしまう。


 手で捕まえるには相応の修練が必要だが、露骨な気を発さないよう頭の中を空にして、素早く周りの水ごと掬い上げれば簡単に捕まえることが出来る。


「ま、こんなもんかな」


 俺は大した手間もなく三匹ほど川魚を川辺に投げたあと、石で囲った生け簀を作ってその中に捕った魚を閉じ込める。


「ひゅるる」


 そして、呼気を吐きながら舌先で風を操って、小さなつむじ風を作り出したあと、近くの枯れ草や枯れ枝、落ち葉などをあっという間に一箇所に纏める。


 この手の仙術は太乙真人さまと同じく、崑崙山の偉い大仙人である普賢真人ふげんしんじんさまから教わった。


 その名も飛龍旋息ひりょうせんそく


 師匠は腕っぷしは滅法強かったが、こういう小手先の技は苦手なので、仙術は基本色んな仙人の先輩方に頭を下げて教わって回ったのだ。


 その分無理難題も言われたりもしたが、こうして役に立っているのを見ると、覚えておいて良かったと思える。


「ぽう」


 そして、ぼっ、と口から呼気を吐き出して、集めた枯れ葉に火を付ける。


 これも、黄竜真人こうりゅうしんじんさまという偉い人から教えてもらった火龍燔吐かりょうぼんどという技だ。


 体内の気を炎に変えて口から吐き出すという。あの方は一息で辺り一面を焼き払うほどの威力が出ていたが、俺にはそこまでは無理だ。


 ちょっとした火種に使えるくらいだろう。


 その後、俺は捕った川魚を尖った木の枝に刺して、ジリジリと炊き火で炙る。


 川魚の内臓はエグみが凄いが、慣れるとそれが癖になる。


 ちなみに鉄の胃袋を持つ仙人でないと食あたりを起こすので、普通の人は捨てるのがオススメだ。


 俺がそんなことを考えつつじっと魚の焼け具合を見守っていると――突如として、トス、と足元に矢が突き立った。


「ん?」


 驚いていたのも束の間、馬蹄の音を鳴らしながら怒涛の勢いでこちらに向かってくる一団が見えた。


 数は十騎ほど。身なりが汚く、明らかに人相や柄も悪いことから、野盗などの物盗りの一派であることは容易に想像できた。


「がははは! こんなところで煮炊きしてる命知らずの小僧がいるぞ!」


「ここは俺らの縄張りだってことも知らずにバカな野郎だ!」


「黒目黒髪とは珍しいなあ。身ぐるみはいで奴隷にしちまえば高く売れるんじゃねえかァ?」


 そう明らかにこちらを嘲るような下卑た笑いが聞こえてくる。


「んー、面倒臭い。龍華真人の名において命ずる。"背の上の者たちを振り落とせ"」


「!? ヒヒーンッ!」


「おわぁ!? なんだこいつ、急に暴れ出して……!」


「おい、どうなってんだ! 全然手綱が効かねえぞッ!!」


「落ちっ……落ちるっ! ぐはァ!!」


 俺がそう一言言霊を発すると、馬がまるでロデオのように一斉に跳ね回り、野盗たちはそれに振り落とされまいと必死に手綱にしがみつく。


 一派はすっかりパニックに陥り、何人も落馬して、戦う前から戦闘不能に陥ってしまった。


 すっかり馬上に誰も残っていないことを確認すると、俺は自分の元に馬を呼び寄せる。


「手を貸してくれてありがとう。全員自由にしてやらなきゃな」


「ぶるるる……」


 俺はそう言うと、一頭ずつ手綱と鞍を外して、馬たちを解放していく。


 最後の一頭が遠くに駆けていったのを見送ると、俺はうずくまって呻いている野盗たちに近付いて言った。


「あらら、大丈夫? 随分派手に落っこちてたみたいだけど」


「く、そが……! ふざけんじゃねえぞ! これが大丈夫なように見えるってのか!? ぶっ殺すぞ!」


 この一団の頭目らしき、髭面の大男がそう叫ぶ。


 凄んではいるものの、その足はぐんにゃりとおかしな方向に曲がっており、立ち上がることすら出来そうにない。


 他の者たちも、手足を折って呻いたり、失神して泡を吹いているような者たちばかりで、とても戦えるような状態ではなかった。


 まあ受け身のやり方も知らないような者たちが走っている馬から振り落とされれば、こうなるのは火を見るより明らかだろう。


「見えないねえ。でもまあ、仕方ないんじゃない? 俺の身ぐるみはいで、奴隷にしようとしてたんだろ? 俺には然るべき末路にたどり着いたようにしか見えないね。それに、お馬さんも君らみたいなのを乗せるのは嫌だってさ」


「…………! やっぱりさっきのは、てめえが何かしやがったのか!?」


「だとしたらどうする? やる気か? その足で」


「ぐああああッ!」


 俺がチョンチョン、と爪先で野盗の折れた足を軽く突くと、奴は絶叫を上げながらもんどり打つ。


「ま、安心しなよ。俺は殺すまではしない。君らの裁きは自然に委ねるつもりだ。巡りがよければ生きる目もあるだろう」


「ま、待て! ……ぐわッ!」


「ガアアアァッ!!」


 俺がそう言って立ち去ろうとしたその時――野盗たちの上に伸し掛かるように、饕餮が前足で頭を踏んづけて喉を鳴らす。


「ひ、ひぃぃぃぃっ! ば、化け物ォ!」


「き、キマイラだぁーー!」


「食わないでくれえ!! 死にたくない!!」


 饕餮を見て絶望的な悲鳴を上げる野盗たちを余所に、俺はそのたてがみをフサフサと撫でながらそう語りかける。


「こらこら、饕餮そんなばっちいもん食べたらお腹壊してしまうよ。それよりあっちで一緒にお昼にしよう」


 すると饕餮はぐるぐると喉を鳴らしたあと、自分の足元の連中から興味が失せたのか、ブスン、と鼻を鳴らして足を退けた。


 俺は饕餮のスリスリ攻撃をあやしながら、野盗たちに言った。


「ここで俺に会えたのは僥倖だったな。君らはもうこれ以上誰かを傷付けたり、奪ったりしなくて済む。君らの骸は鳥獣の糧となり、虫によって分解されてこの大地を肥やすだろう。その施しによって君の魂は浄化され、やがては天へと還っていく」


 そう言ったあと、俺は更に続けた。


「もし万が一生き延びることが出来たら、自然の慈悲に感謝して今後は真っ当な生き方を探すことだ」


「…………!」


 俺の忠告に野盗どもはぼんやりとした目を向けたあと、やがて痛みが限界を迎えたのか、がくりとそのまま意識を失う。


 それを見届けたあと、俺はさっさと焚き火の方に向かう。


 あいつらだって元は祝福されて産まれてきた命だ。勝手に悪と断じて裁くようなことはしない。


 神や聖者も、魔族や盗賊も全ては複雑な自然の成り行きで産まれてくる。不要な命などどこにもなく、各々がその魂の格に応じた役割を演じているに過ぎない。


 つまりはロールプレイングのようなものだ。


「おっ、随分と大物を捕まえてきたじゃないか」


「ガウッ!」


 焚き火まで戻ると、かなり大きなバッファローのような野牛が地面に横たわっていた。


 どうやらひと噛みで仕留めたらしく、喉元に深々と牙が食い込んだ跡が残されていた。


「こいつは見事なもんだ。……でも、あまりに綺麗に仕留めすぎたせいで、まだ自分が死んでることに気付いてないみたいだな」


「ガァウ?」


「ほら、出ておいで」


 俺がそう言って、斃れた野牛の額をペシペシと平手で軽く叩く。


 すると――その叩いていた部分から、白い光の玉がするりと出て、俺の周囲をくるくると回る。


 これが生き物の魂魄だ。ヒトであろうと動物であろうと昆虫や植物であろうと、万物に魂は宿る。


 役割を終えた魂は、肉体を離れ空へと還っていく。


「今までお疲れさま。あなたの肉体を戴きます。輪廻の果てでまた会いましょう」


『…………!』


 魂はそれに応えるようにパッ、と一瞬光ると、そのまま空に吸い込まれるように消えていった。


 俺はそれを見送ったあと、呆然と空を見上げる饕餮に言った。


「……よし、じゃあ飯にしよう! 饕餮も少し魚食べるかい?」


「グルルルル……」


 その提案に、饕餮は嬉しそうに喉を鳴らしたあと俺の顔面に頰を擦り寄せる。


 その後は、共に焚き火を囲んでゆっくりと食事を摂ったのであった。

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