コーダ村にて⑥ 悪魔を憐れむ歌
そのまま五分ほど待ち続けただろうか、魔族の気配が一層濃くなり、村の直ぐ側まで来ているのが感じ取れる。
俺はより一層感覚を研ぎ澄ませ、現実と少しのズレもないように頭の中で情景を正確に再現した。
「どこだァァァッ!! 望月竜哉ァ!! この俺を生かしたことを後悔させてやるッ! 貴様だけは許さねえッ! 指を一本ずつ切り落として、あそこも切り落としてやるッ!!」
メリザンドは俺の名を叫びながら、しきりに村の建物を破壊して練り歩いている。
(おーおー、怒ってんねえ。しかしあんだけ完膚なきまでに負けたくせに、もっかい挑んでくる根性だけは買ってもいいな。ただの馬鹿かも知れんが)
その声を聞きながら、俺は思わず苦笑をこぼす。
わざわざ大きな音を立てて物を壊しながら歩いてるのは、そうすることで周りに威圧感を与えるためだ。
人の恐怖心が奴らの一番大きな糧である以上、自分の強さと恐ろしさをアピールしながら歩くのは、魔族としては当然の立ち回りなのだろう。
しかしタネが分かってしまえばなんてことはない。彼らは自分のことを世間に認めさせるために、悪事を繰り返して存在をアピールする子供のような存在に過ぎない。
村人たちも俺の説明でそれを理解しているのか、一人で暴れているメリザンドに向かって歩いていく。
そして、こう声をかけた。
「おやおや……そのように荒ぶられまして、一体我が村にどういった御用向でございましょう?」
「……あァ?」
村長が意を決して話しかけると、メリザンドは苛立ったように答える。
「あの男を、今すぐこの俺の前に差し出せッ! この俺様を卑怯な不意打ちでぶっ飛ばしやがった、あの舐めた小僧を!」
メリザンドは村長に唾気を飛ばさんばかりに食ってかかる。
卑怯な手など一個も使ってないが、魔族基準ではそうなのだろう。もっとも、真剣勝負で負けといて卑怯もクソもないが。
村長はそれに怯むことなく、苦笑を浮かべながら答えた。
「ははは……もしかして真人先生のことでございますかな? 申し訳ありませんが、あの方は少し前に村を発って、今は別の場所に居られることでしょう」
「なんだと……!? ならどっちの方に行ったか答えろッ! すぐに追いついて八つ裂きにしてやる!」
「いやあ、行き先についてもとんと……。風任せで旅をしていると仰っておりましたから、風が吹いている方に行けばもしかしたら会えるかも知れませぬなあ」
村長は事前に打ち合わせしておいた答えを言う。
実にいい感じだ。物腰は丁寧だが、今のところ全く怯んだり怖気づいた様子もない。
その態度の変化に気付いたのか、メリザンドの顔も不快げに歪められる。
「……おい、なんだお前その態度は。この俺様を前にニヤニヤへらへらしやがって……あの糞餓鬼になに吹き込まれたか知らねえが、てめえらごとき皆殺しにするのなんて片手間で済んじまうぞコラァ!」
メリザンドは村長に威圧しながら、片手で近くの小屋を焼き払う。
直接炎を人に当てたりはしない。何故なら、全く恐怖を感じていない相手に攻撃を当てても、中途半端にしかダメージが通らず、自分たちの攻撃が幻覚の一種であるとバレてしまうからだ。
「いやー、ははは……それは困りましたな。わしのような老い先短い老骨は死んでも悔いはありませんが、村にはまだ未来ある子供もおりますからのう」
「何いってんだ爺ちゃん! 爺ちゃんだって死んだら困るぞ! お菓子くれる大人が一人減るじゃないか!」
「こらっ! この悪ガキめ。お前は村の手伝いもろくにせんくせに、食い意地だけは人一倍ありよってからに!」
村長と村の子供のやり取りに、どっとその場で笑いが起きる。
メリザンドはその光景を唖然としながら見ている。
「いやいや、申し訳ありませんな。どうもヤンチャ盛りでして。それで、先生の行先についてでしたかな?」
「なんなんだよ、この俺様を前にしてこの空気は……なんだってんだァーッ!!」
そう怒りを顕わにしながら、メリザンドは全身から炎を吹き出して絶叫する。
「違うだろうがァ!! てめえら人間は、俺たち魔族を前にしたら、怯え竦んで、必死に命乞いするもんだろうがァ!! それが正しい態度ってもんだろうがァ!!」
メリザンドは咆哮をあげて右手を振り上げたあと、巨大な火球を上空に作り出す。
「それをなんだてめえらはァッ!! この俺を前にしてニタニタヘラヘラと……俺は久しぶりに会いに来た親戚のおじさんかァ!? もっと俺を恐れろ!! 偉大な魔族を敬えッ! 怯えすくみ上が……痛!」
「――うるさいっ!」
そう威嚇するメリザンドの額に向かって、ガツンと石が命中する。
先程の子供が、メリザンドに向かって石を投げたからだ。
子供は魔族の虚仮威しにも怯むことなく、勇気を出して反撃に転じたのだ。
「お前らなんか怖いもんか! 兄ちゃんが言ってたぞ、お前ら魔族は本当は弱くて哀れな存在だって!」
「そーよ! あんたのせいで壊れた小屋、直しなさいよっ!」
そう言って、子供たちは一斉にメリザンドに石を投げて攻撃し始める。
しかしメリザンドは何も出来ない。勇気を出して自分に向かってくる相手には急速に力が失われてしまう。それが闇の者の特性だからだ。
「やめろ、やめろォ!! 石を投げるんじゃねえッ!! 殺すぞガキどもォ!! ぐあっ!」
その時、子供たちの投げた石がちょうど眉間に当たり、メリザンドは大きくバランスを崩す。
それを見計らって、子供たちがわっ、と群がって一斉に木の棒で叩き始めた。
「今だ、皆やっちまえ!」
「僕の聖剣の切れ味を見せてやるっ!」
そう言って子供たちが囲んで叩きのめしても、メリザンドは情けなく蹲ることしか出来ない。
そんな中、ある一人の女の子が声を上げた。
「みんな、ダメーっ!」
いつも人形を抱いて話を聞いていた、一番年少の女の子だった。
「いじめちゃ、だめっ!
困惑する少年たちを押し退けて、彼女はメリザンドに近付く。
――そして、蹲っているその頭にぽん、と手を乗せて言った。
「かわいそ、かわいそ。こわかったね〜。もうだいじょうぶ! 痛いのもうないないだからね〜」
「あ、ああ……!」
その瞬間、メリザンドは絶望した様な顔をして、幼女の優しい笑顔を見上げる。
そして、周囲を見渡した。
そこには子供にさえ負けて蹲る自分に向けられる、心底哀れむ村人たちの目。
恐怖や憎悪とは真反対の、矮小なものを見つめる目であった。
「やめろ……やめろォッ! 俺をそんな目で見るなァ!! 俺は誇り高い魔族の……黒瞳の、黒瞳のメリザンド様だァ! 人間ごときが俺を哀れむんじゃねェッ!!」
そう必死に虚勢を張るも、もはや化けの皮が剥がれ、ボロボロと身体が崩れ落ちていく。
腕を振り回しながら絶叫するも、もはや誰も恐れるものはいない。
――そしてメリザンドが完全に崩れ落ちた後には、真っ白な灰の山だけが残されていた。
「お、おお……!」
「終わった、のか?」
「お見事!」
困惑する村人たちを他所に、俺はその灰の中に手を突っ込んで、あるものを捕まえる。
そしてそれを、村人たちの前にかざした。
「ご覧ください。これが皆さんが恐れていた魔族の正体です」
「キィ!」
俺が尻尾を持って吊り下げていたのは、小さなトカゲだった。
「こ、これがあの……!?」
「信じられない……こんなものを恐れていただなんて……」
もはや魔術どころか人語を解すことも出来ない、ただジタバタと藻掻く矮小な生き物を前に、村人たちは困惑の声をあげる。
「闇の者というのはそういうものなのです。本当は小さく矮小なものを、虚仮威しによってその何十倍、何百倍にも大きく見せることが出来る。だが実際はこの程度です。恐れる必要はないという意味、分かって頂けましたか?」
「こ、こんなもののために、私の子が……!」
そう言って、一人の女性が泣き崩れる。
恐らく魔族に殺された被害者の家族だろう。この事実を前にして、悔しさと虚しさが込み上げてきたようだ。
「悔しいのは分かります。弱点が分かったとしても、家族を失った怒りや悲しみはそう簡単に癒えるものではありません。……ですが、魔族もまた必要だからこの世に存在しているのです。こいつらは人間にとって、とても重要な役割を果たしてくれています」
「ま、魔族が、人間にとって、でございますか……?」
俺の言葉が理解できなかったのか、村長はそう聞き返す。
「そうです。魔族は俺たち人間に、恐怖や絶望に立ち向かい、打ち勝つことの尊さを教える役割を果たしています。どんなに無理だ、困難だと思えることも、やってみれば案外なんとかなる。それを示すために、彼らは大自然の意思によってその存在を認められています」
「し、自然の意思と……」
「そうです。自然には意思があり、そこに存在するもの、起きること全てに意味があります。彼ら魔族もまた、人類から見れば敵ですが、広い星の視点で見れば家族なのです」
その言葉に、村人たちは考え込む。
まあ無理もないか。さっきまで憎しみ合って殺し合っていた仇が、いきなり家族と言われても受け入れ難いものがあるだろう。
だが俺は、更にこう続けた。
「それに……例え家族や最愛の人を失ったとしても、その絆が失われた訳ではありません。彼らの魂は皆さんの魂と深いところで繋がっており、また輪廻の果てで再会するよう定められています。永遠の別れ、永遠の喪失などというものは本当は存在しない、ただのまやかしです」
「な、何故そのようなことがお分かりになるのですか? 死んだあとのことなど誰も分かるはずが……」
分かりようもないことを断定口調で話す俺に、村長が恐る恐る尋ねる。
「俺は生きながらに死んで、その転生の仕組もこの目で見てきました。今は信じられなくても構いません。皆さんも生きながらに死者の領域に至るか、肉体を失った時に全てを思い出すでしょう」
そう前置きしたあと、俺は全員にこう尋ねる。
「……さて、その上で皆さんに決めていただきたいことがあります。こいつをどうしますか? もはやこいつには魔族としての力も知恵もありません。ただのトカゲです。元に戻るにしても、数百年単位の時間が掛かるでしょう」
俺の言葉に、村人たちは互いに顔を見合わせる。
トカゲは、俺の手の中で逆さに吊り下げながら、「プイ」と情けない声を上げた。
「結局のところ俺は部外者です。奪われた悲しみも、襲われる恐怖も実際に味わった当事者ではありません。なのでこいつは皆さんの手に委ねます。どうされるかはお好きにどうぞ」
|「…………!」
そう言うと俺は、先程泣き崩れた女性に近づいて、その手にトカゲを握らせる。
村人たちは一斉にそちらを見やり、どうするか凝視する。
彼女が決めるなら、村の人たち全員が納得するだろう。
その女性は、そのトカゲを見て憎々しげに顔を歪めながら、ぐっ、と手に力を込める。
「キュウ!」
トカゲが苦しそうに呻く声を上げながら、ジタバタと藻掻く。
女性は下唇を噛みながら、今まさにトカゲを握りつぶそうとしたその時――突如として体から力が抜け、その場にポトリと取り落とした。
トカゲは最初、キョトンとした顔でパチパチ瞬きしていたが、やがて慌てて地面を這いながら、シュルリと岩陰に入り込んでしまった。
「ああっ」
逃がしたことに思わず声を上げる村人を他所に、俺は女性ににこりと微笑みかける。
「よい決断をされました。あなたの選択を心から尊敬します」
「ほ、本当にこれで良かったのでしょうか……? わ、私は、息子の仇を討つべきだったのでは……」
仇を取り落とした両手を呆然と見やりながら、女性は不安そうに言う。
「それを決めるのは俺じゃありません、あなた自身ですよ。……ですが見て下さい。少なくとも大地はあなたの選択を心から喜んでいるようです」
そう言って俺が指差した先には、今まさに地平線の彼方に沈もうとしている夕日と、それに照らされた草木や花が光を反射して輝きを放っている。
鳥や虫たちが歌いながら元気よく飛び交い、小動物が野を駆け回りながら、自然の恵みを享受していた。
「おお……!」
その風景を前に、村人たちは言葉を失う。
我が子を奪われた女性は、それを見て声もなく泣いていた。
彼らにしてみれば普段見慣れた土地の風景のはずだが、だからこそいつもと違う何かを感じ取ったのだろう。
「普段見慣れたはずの風景を見て、心震えるほどに感動させられる時、それは自然が皆さんに最大限の愛と感謝を伝えようとしています。――おめでとうございます。この土地は祝福されました。もはや魔の存在は近付くことすら出来ません。来年以降の豊作は約束されたようなものです」
俺がそう宣言すると、村人たちから爆発するような喜びが湧き上がった。
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