コーダ村にて③ 魔族襲来
――その日から辺境のコーダ村には、奇妙な噂が流れるようになった。
なにやらおかしな服を着た若者が、ふらっと家を訪ねては、「飯を食わせてくれ」と頼んでくるらしい。
最初は怪しげな浮浪者だと警戒したが、意外と身綺麗で上等な服を着込んでいることもあり、人の良さそうな顔をしていることから、村人は男を家に招き入れた。
そして、男はひとしきり飯を平らげたあと、「何か手伝えることはないか?」と聞いてくる。
家事を手伝ってくれるということなので、村人は誰もが嫌がる馬屋の馬糞浚いをやってくれないかと頼んだ。
すると男は嫌な顔一つせずに引き受けて、馬屋に入っていく。
しばらく面倒で手を付けていなかったので、丸一日はかかるだろうと踏んでいたが、若者はほんの数分もせぬ内に出てくる。
あまりの惨状に諦めたのかと思い尋ねると、若者は「もう終わった」と言う。
慌てて村人が中を確かめるとそこには――糞など一つも落ちていない、ピカピカの馬屋の風景が広がっていた。
ついでに屋根の穴も補修されていた。
村人が礼を言おうと振り向くと、若者は既に姿を消した後だった。
村人たちはやがて、あれはきっと家事手伝いの妖精『ブラウニー』なのではないかとまことしやかに噂し始めたのであった。
* * *
「いや普通に村の中歩いてるけどね。妖精みたいに幻の存在でもないから直接聞きにくればいいのに」
俺は村の広場で、分けてもらったパンを齧りながら一人そう呟く。
どうやら俺の存在が村人の中で奇妙な噂になっているらしい。
確かに村人たちにご飯を御馳走になり、そのお礼で家事をしてあげたりもした。
実際仙人である俺は、別に飯を食わなくても生きてはいける。
生きてはいけるが、食わないと腹が減ることには変わりがない。
仙境と違ってこの辺りは大地の精気が薄い。備えとしてなにか食っておかないいざという時にへばってしまうからだ。
しかしわざわざ家を訪ねて食事をたかるのは、腹を満たすためと言うよりも、村の人たちとコミュニケーションを取る意味合いのほうが大きい。
どうもこの村の人々は何かに怯えているらしく、あまり外出しないので関わりを持つなら自分から行くしかないのだ。
仙術を使えば掃除なんかも簡単に終わるので、俺は飯も食えて村人たちからも感謝されて一石二鳥という寸法だ。
「さて、今日はどの家にいくか……ん?」
俺が次に訪ねる家を物色していると――ふと、上空に何か黒い点のようなものが浮かんでいるのが見えた。
かなり遠いがなんとなく分かる。あれは人間だ。少なくとも、人型の何かであることは間違いない。
俺は、初日に少しだけ会話して仲良くなった、衛兵さんに尋ねる。
「すいませーん、ちょっと聞いていいですかね?」
「お、どうした? お家の妖精ブラウニーじゃないか。色々活躍は聞いているぞ」
衛兵は俺の姿を認めて、ニヤニヤと笑いながら言った。
「やめてくださいよ、そんなんじゃないですから。……それより、あれ何ですかね? 村の人のお知り合い?」
「え?」
そう尋ねると、衛兵は俺の指差す方に目を凝らす。
そして次の瞬間――真っ青な顔になりながら、大声で叫んだ。
「ま、魔族だぁぁぁーーッ!! 魔族がやってきたぞォーー!」
「!?」
その瞬間、村の空気が騒然となり、衛兵は門の上にある警鐘をカンカンカン、激しく打ち鳴らす。
すると全員が手元の作業を放り出して、慌てて家の中に逃げ込んでいった。
「おい! お前も早く逃げろ! 魔族に見つかったら連れて行かれるぞ!」
「そうなんですか? でも俺、帰る家もありませんし」
「そ、そうか、旅人だったな。あーもう! だったらそこらの物陰にでも息を潜めていろ! とにかく見つかるなよ!」
そう言って、衛兵も村の中に逃げ込んでしまう。
戦わないのか、と少し驚いたが、彼は装備も貧弱で一人だけだ。
衛兵というよりも、見張り番に近い役職なのかも知れない。
外に出ているのは、道端でパンを食っている俺一人となり、村の中は一気に静寂に包まれた。
「なんだか、随分大事になっちゃったな。そんなつもり無かったんだけど……」
「あァ? なんだこりゃ、人間どもが一人もいねえじゃねえか。めんどくせえなァ、そこらの家ぶっ壊して、何人か攫ってっちまうか」
俺がそう一人呟いていると、先程まで離れていた魔族とやらが、ついに上空まで到達して村全体を見下ろしている。
その姿は、一見そこらの二十代の若者風の男であった。
ジャラジャラと顔周辺にピアスを開けて、シルバーアクセサリーと革の上着に身を包む姿……こういう奴、前の世界でなんて言ってたっけな。
そう"ギャル男"だ。
しかしその肌は青く、背中には蝙蝠の羽根と黒い鈎付きの尻尾を生やし、口元に長い牙を生やした、まさしく悪魔といった出で立ちをしていた。
その若者はキョロキョロと村全体を見回したあと、俺の存在に気付いたのか、こちらにピタリと目を留めた。
「……おい、そこのてめえ」
「ん? なんだ?」
俺は残り少ないパンをもしゃもしゃと齧りながら答える。
「食いながら喋ってんじゃねえ! てめえは逃げねえのか? 村の連中は、俺を恐れて皆家の中に引きこもっちまったみてえだぞ?」
「なんで? お前はなんか危ない奴なのか?」
その問い掛けに、目の前の若者は「はぁ?」と呆れながら言った。
「俺は、魔皇軍食料調達部隊所属、"黒瞳のメリザンド"様だ! てめえら下等な人間どもを、魔貴族様方の食卓に供する為にやってきたんだよォッ!」
「そりゃあ大変だな。まあ頑張ってくれ」
俺が裾についたパンの食べかすをパンパン、と払いながら言うと、奴は額に青筋を立てながら腕を振りかざした。
「そーかァ、ならこれを見てもそのスカした態度で居られるか試してやるァ!!」
メリザンドとやらは、かざした右手の上にバレーボール大ほどの赤黒い火球のようなものを生成したあと――おもむろにそれを俺の顔目掛けて投げてくる。
――しかしそれは、俺の顔の横をかすめたあと、背後の井戸の屋根に直撃した。
ドン!
と爆発音を上げたあと、井戸の屋根は派手に吹き飛んで爆発炎上する。
その様を得意げに眺めながら、メリザンドは言った。
「どうだ! これが魔族の力だ! 脆弱な人間などでは足元にも及ぶまいッ!」
「へえ、井戸をぶっ壊すのがお前らの力なのか。確かに地味だが効果的な嫌がらせだな。後で村の人たちが困りそうだ」
「…………ッ!」
俺のその反応に、メリザンドは怒りに顔を歪めながら言葉を失う。
そして、再び右手を上に掲げて、先程より一際大きな火球を生成しながら言った。
「てめえはたっぷり怖がらせていたぶってから殺してやろうかと思ったが……気が変わった。――二度とその舐めた口聞けないよう、骨ごとこの世から抹消してやるァ!!」
そう叫ぶとメリザンドは、今度こそ俺めがけて大火球を飛ばしてくる。
俺はそれを特に避ける必要性もなく、立ったまま平然と受けた。
「……はははは! ブァカがッ! 身の程知らずにもこのメリザンド様に楯突くからだ! この俺に舐めた口聞いたことを、地獄の底で後、悔……」
土煙が晴れていく同時に、メリザンドの声がどんどん尻すぼみになっていく。
何故ならそこには、周りにこそ焼け焦げたクレーターが出来ているが、その真ん中には傷一つない俺が佇んでいたからだ。
「……けほっ、確証がなかったから試しに一発受けてみたが……やっぱりそうだな、お前ら妖魔と一緒だ」
「なん、なんだ……てめえは一体……!」
「――"一歩も動くな"、黒瞳のメリザンド」
「!?」
俺がそう命じると、メリザンドはピクリとも動けなくなり、青い顔をさらに青白くしながら、ただ呼吸を荒げていた。
そんな相手に俺は、肩に手を置いて耳打ちした。
「……俺はお前ら闇の者が知られたくない最大の秘密を知っているぞ。お前らが食っているのは人間ではない。正確には、"食われることを恐れる人間の心"、だろ?」
「……!?」
その言葉に、メリザンドははっ、と息を呑む。
「お前ら魔性の存在は、不安や恐怖、憎悪や絶望といった
「な、なにを……!」
「生憎俺はこう見えて結構長く修行しててな、もうとっくに不安も恐怖も乗り越えてんだ。お前らの攻撃は負の感情を一切持たない俺にはまるで通用しない。万が一にも勝てる道理はないと知れ」
俺はそう言うと、メリザンドの額の前に人差し指を突きつける。
「俺の名は"
そう伝えた次の瞬間――俺はメリザンドの額を指で弾く。
「ぐがあああぁぁぁぁァッ!!」
いわゆる"デコピン"という奴だが、相手が異常に弱体化していたことと、俺の気を込めた一撃が重かったこともあり、メリザンドは地面と平行にすっ飛んだあと、バウンドしながら丘の向こうに消えていった。
「あらら……やりすぎたか。まあ死んじゃいないだろ」
俺がそう言って腕を引っ込めると、村の中に静寂が帰ってくる。
そしてしばらくすると、ポツポツと様子をうかがうように、家の中から村人が顔を出してきた。
「あ、あんた、大丈夫だったのか!? 凄い音がしてたみたいだが……」
「ああ、そりゃ井戸がぶっ壊された音ですよ。俺自身には傷一つついてません」
俺がそう言って未だ火が上がってる井戸の方を指すと、村人たちはああ、とガッカリしたような声を上げた。
だがまあ、ふっ飛ばされたとはいえ上を覆う屋根だけだ。井戸が埋められた訳じゃないので、立て直せばこれまで通り使うこともできるだろう。
「そ、それよりもあんた、凄かったなァ!? 鎧戸の隙間からこっそり見てたんだが、あのいけ好かない魔族を一発で吹っ飛ばしちまうなんて!」
集まってきた村人たちの中で、一人の男が声を上げた。
「あたしも見てたよ! あんた、細っこいのに随分強いんだねえ! 魔法使い様か何かかい!?」
「おお、あんた馬屋の掃除してくれたあんちゃんじゃないか!」
「今まで魔族が来て誰も殺されたり攫われなかったなんて初めてのことだ! いや、あんた大したもんだよ!」
そう言って回りを囲いながら、村人たちは口々に俺を讃える。
……あれ、もしかしてこれって教えを広めるチャンスなのでは?
それに気付いた俺は、ぱん、と高らかに両手を鳴らしたあと、村全体に響くような大声でこう呼び掛けた。
「――それではこれから、女性や子供でも簡単にできる、魔族の撃退法を皆さんに伝授します! 住人の皆さんは広場に集まってくださーい!」
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