1章 大陸南方の旅

コーダ村にて①


 「うおおお!?」


 陸地まで到達した直後、俺はいきなり上空で投げ出され、そのまま真っ逆さまに地上に転落していく。


 どうやら太乙真人様は割と荒っぽい送り方をしてくれたようで、陸地の真上に到達したあたりで雲がくるっと裏返り、振り落とされてしまったのだ。


 とはいえそこは俺も仙人の端くれ。


 たかが高所から落ちたくらいで死ぬはずもなく、着地の瞬間に気功で身体を固め、地面を突き割りながらズン、と豪快に着地を決めた。


「いたたたた……! これ足痺れるから嫌いなんだよな。かといって軽気功だと風に飛ばされちゃうし……」


 俺はそう一人ごちりながら、膝下まで埋まった足を地面から引き抜く。


 地面には、俺の着地した場を中心に浅いクレーターが広がっていた。


「なんていうか……随分と荒涼としたところだなぁ。殺風景というかなんというか……」


 ぐるりとあたりを見回しながら、初めての西の大陸の景色を目に焼き付けた。


 俺のいた東の大陸に比べて随分と乾燥している印象だ。


 草もあまり生えておらず、どんよりとした空模様に冷たい風が吹き荒んでいる。


「……とりあえず街だな。教えを広めるにしても、同級生のみんなを探すにしてもまずは人の集まるところだ」


 俺はざっくりと方針を決めたあと、勘を頼りに適当な方向に歩き始める。


 勘というのも案外馬鹿にならない。


 勘とは即ち、人が持つ理屈を超越した超自然的な感覚が導き出した最適解だからだ。


 特に解脱して自然との一体化を果たした仙人は、風や草花、そこらの岩からだって情報を得ることができる。


 最初はその感覚がさっぱり理解できなかったが、長年の修行を経た今となっては、草花や木々の微かな声も聞き取れるようになっていた。


「チチチ!」


「おっと」


 俺が勘を頼りに歩いていると、突如として小鳥が俺の肩に停まり、耳元でさえずる。


『あっち!』


「人がいる方はあっちでいいのかな? ありがとう、教えてくれて」


 俺は、道を教えてくれた小鳥を撫でて礼を言いながら、目的地に向かって歩いていく。


 仙人として修行を積む内に、俺は動物の言葉も理解出来るようになっていた。


 彼らは小さくなればなるほど簡単な単語のような言葉しか話さなくなるが、それでもちゃんと知性があり、心がある。


 時に自然のメッセンジャーとなり、色んなことを俺たちに教えてくれるのだ。


 ただ方向は教えてくれても、いったいどれほどの距離を歩くのかまでは彼らは教えてくれない。


 何気なく教えてもらった行先が山三つ越えた後とか普通にあるから困るのだ。


 まあ不老の仙人である俺には、時間だけは腐るほどある。


 焦る必要はない。のんびりやっていこう。


 「ん?」


 そんな事を考えながら歩いていると、ふと右斜め後ろから、草の茂みに隠れてそろそろとこちらに近づいてくる生き物の気配を察知した。


 ……かなり大きいな、羆か? 


 明らかにこちらを狙っている様子だ。


 気配を消しているつもりだろうが、ガフガフと喉奥から漏れ出る獰猛な呼気を隠せていない。


 だが、それも面白いだろう。西の大陸にはどんな生き物が住んでいるか、この目で確かめてみるのも一興だ。


 俺がそんなことを考えていると――その気配が茂みから飛び出して、一気に俺目掛けて飛び掛かってきた。


「ガァッ!!」


「おっと」


 背後からいきなり首筋めがけて襲ってきた猛獣を、俺は特に危なげもなく片手で受け止めた。


 硬気功を施した仙人の体は、鍛え抜かれた鋼にも匹敵する。当然猛獣といえど歯が通るはずもなかった。


「ゲギャ! グゲゲッ!」


 口元に差し出された左腕に必死に齧りつきながらも、猛獣は硬すぎる肉の感触に苦しそうに呻いていた。


 というかなんだこの生き物? 初めて見るぞ。


 羆のように巨大なライオンの体に、太い毒蛇の尻尾。背中からは蝙蝠の羽根のようなものが生えて、額には曲がった山羊の角のようなものが生えていた。


 仙境にもぬえという、色んな動物の特徴を混ぜたような危険な妖魔が存在するが、こいつはその亜種だろうか?


 少なくとも、まともな人間からみれば恐怖の象徴となり得る危険な魔獣なのは間違いなかった。


「グルルルル……!」


 いい加減埒が明かないと思ったのか、獣はかすり傷一つつかない俺の腕から口を離したあと、唸りながらジリジリと後退する。


 どうやらこちらに怯えているらしい。


 このまま去ってくれればそれでもいいが、まだ諦めた様子がないので、やむなく俺は声帯のチャクラから言霊を発した。


「"動くな"」


「グッ!?」


 その一言で獣の足は地面に根を張ったように動かなくなり、焦ったように上体だけをバタつかせる。


 言霊とは肉体を超越して相手の魂に直接語りかける技術だ。これを受ければ、たとえ頭で別のことを考えても身体が言うことを聞いてくれない。


 実力差のある相手にしか通用しないが、野生の動物なんかは大体これで言うことを聞いてくれるので、とても便利な技なのだ。


 俺が動けない相手に近づくと、獣は怯えてジタバタと暴れ始める。


 しかし俺が顎下に手を入れてたてがみを撫でてやると、獣は落ち着きを取り戻したのか、喉を鳴らし始めた。


「グルルルル……」


「よーしよし、いい子だ。恐れる必要はない。俺は敵じゃない。お前もまた俺なんだ。俺たちは魂で繋がっている。分かるよな?」


 俺がそう語りかけると、獣はゴロンとその場に寝そべり、腹を見せながらゴロゴロと甘えた声を出す。


 どうやら完全に懐いたらしい。獰猛な獣も、こうなってしまえば可愛らしいものだ。


「おや? お前メスだったのか。たてがみがあるのに……見た目は似ててもライオンとは全く別の生き物なんだな。よしよし……」


 俺はそんなことを言いながら、獣の腹をワシャワシャ撫でくる。


「実はちょっと俺はこれから人の住む処を目指さなきゃいけなくてな。お前を連れてはいけないんだ。悪いがここでお別れだな」


「ガァッ!」


 俺がそう言うと、獣は喉を鳴らしたあと、突如として地面に伏せるような姿勢を取る。


 そして、俺の道士服の袖を噛んで、グイグイと引っ張ってきた。


「ん? なんだって、背中に乗れって?」


「グルルルル……」


「ははは! 連れてってくれるのか? 分かったよ、なら一緒に行こう!」


 そう喉を鳴らして答える獣に、俺は言われるがまま背中の上にまたがる。


 そしておもむろに、ぐっ、とその四つ足で立ち上がったあと、猛然と駆け出した。


「おおっ!」


 その速さに、俺は思わず声を上げる。


「速いな! まるで風になったみたいだ!」


「ガァウッ!!」


 俺がそう褒めると、獣は嬉しそうに元気よく応える。


「そうだな、これからしばらく一緒に過ごすなら、お前の名前も決めてやらないとな! ……たくさん食べそうだし、強そうだから"饕餮とうてつ"なんてどうだ?」


「グァ!」


 その名前に、獣は嬉しそうに蝙蝠の羽根をばたつかせながら、大きな咆哮をあげる。


「ははは! そうか、気に入ったか! なら一緒に行こう饕餮!」


「ガゥ!!」


 元気よく返事をしながら、饕餮は大地を勢いよく蹴る。


 ゆっくり行くつもりが思わぬ特急便を手に入れて、俺は怒涛の勢いで人里目指して駆けていった。

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