puddle in puddle

※企画内マンスリーお題「水」




「やっと雨上がったね!」

「ねー。わーい、ばしゃばしゃー」

「おいガキども、あんまりはしゃぐな。真っ直ぐ前見て歩け」

「はーい」

「わーい」

「聞け? オレは子守じゃないんだが?」

 急な夕立は急に終わりを告げた。赤く斜陽が差し始めたエデンは、雨が暑気を連れ去ったおかげで、この季節にしては心なしか涼しい。

 ティトン、アロ、そしてクエルクスの三人で簡単なクエストをこなし、商店街・ハビラで雨をやり過ごしたあとの帰り道。エル・ブロンシュの拠点へと続く舗装路の上には、あちらこちらに大きな水溜まりができている。

 にも関わらず、先頭を歩くティトンは足下に一切注意を払わず空を仰いでいるし、アロに至っては水溜まりから水溜まりへと踊るように飛び移っては派手に飛沫を跳ね上げている。後方をついていくクエルクスの眉がいつにも増して吊り上がるのも仕方のないことだろう。

 そして彼の眉の角度の変化に気付こうか気付くまいが、その程度のことで二人……特に、自由奔放の精霊のような少年・アロが、自粛などしてくれるはずもない。

「ばしゃーん」

 青い翼に似た上着の裾をふわりとなびかせ、気の抜けるような声とともに、アロの右足が新たな水溜まりを踏みつけた――かと、思いきや。

 サンダルの靴底が踏んだのは、乾きかけの硬い石畳だった。

「……あれー?」

 予想と異なる感触にバランスを崩し、両手をぐるぐる回してどうにか踏み留まったアロが、足下を見下ろして首を傾げた。困惑の声を聞きつけて振り返ったティトンが、追いついてきたクエルクスが、同様に足を止めて目を瞬かせる。

「アロ、どうかした?」

「水が逃げちゃったー」

「あ? 水は逃げんだろ」

 アロが怪訝そうに指差した地点をじとりと睨み、クエルクスが不機嫌な声を出すとほぼ同時に。

 石畳の上の水溜まりの一つが、「動いた」。

「は?」

「え?」

「ほらねー」

 驚きの声を上げるクエルクスとティトン、そしてドヤ顔のアロの視線の先で、音もなく道の上をするすると滑った「水溜まり」は、少し離れた地点でぴたりと動きを止める。そうなるともう、一帯に点在する他の水溜まりとは、全く見分けが付かなくなった。

 眉間に皺を寄せて目を細め、水溜まりのような「何か」を凝視する三人。すると、そのさらに先に進んだ道の向こうから。

「こっちだ、急げ……って、あれ?」

「ちょ……イロハさん、早いですって……え、みなさん? 今、帰りですか?」

 耳に馴染みのある声が飛んだ。

 見れば、手に弓を構えたイロハと、丸底フラスコを片脇に抱えたコトワリが、三人の姿を見つけて目を丸くしている。拠点から走ってきたらしく、イロハは軽く肩で息をしており、コトワリなどはぜぇぜぇと喘ぎながら膝に手をつく有様である。

「イロハさん、コトワリさん、ただいまー。わざわざお迎えー?」

「二人とも、そんなに急いでどうしたのさ?」

「この程度の距離でそんなになるか?」

「す、すみません、ね、脆弱な、もので……って、それどころじゃなく!」

 がばりと顔を上げたコトワリの背をぽんと叩きつつ、すでに息を整え終えたイロハが、困ったような笑みを浮かべて肩をすくめた。

「お迎えじゃなくて悪いな。あんたたち、『水スライム』にエンカウントしてないか?」

「みずすらいむー?」

「体の組織構成が、ありふれたスライムよりもさらに水に近い上位種だね。そこそこレアだし、ダンジョン以外でお目にかかることはないと思うんだけど」

 アロが大きく首を傾げつつ、魔獣にも詳しいティトンへ視線を投げかけると、間髪入れずに説明が返ってきた。その内容に頷きで同意しつつ、空のフラスコを見せながら溜息を漏らすのはコトワリである。

「ダンジョンで見つけたポーションの精製を頼む、と、店ではなくクランに持ち込まれたんですけどね。封を開けてみたら、中からスライムが飛び出してくるんですから参りましたよ。捕まえようにも、動きが速すぎて取り逃がしてしまい……」

 イロハのスキル・千里眼に協力を求め、ここまでスライムを追跡してきた、という顛末らしい。苦々しげなコトワリの顔を眺めつつ、成程、と三人は納得したものの、クエスクスはぶっきらぼうに言う。

「放っておけばいいんじゃないか、スライムの一匹や二匹」

「水スライムは飲料水に身を潜ませて、他の生物の口から体内に潜入するA級危険種だよ。ダンジョンだと湧き水や古井戸を好んで生息してるんだ。寄宿主の体を内側から消化液でじわじわ溶かして栄養にするから、人の生活圏に野放しにすると無残な犠牲者が出」

「ほれガキども、やれやるぞー、さあやるぞー、とっととやるぞー」

 ティトンの怒濤の情報提供を受けて即座に掌を返したクエルクスは、腰から二本の短剣を抜き放って早々に臨戦態勢を整えた。ティトンも彼に倣って戦槌を構え、顎で石畳を指し示してイロハとコトワリに告げる。

「さっき僕たちが見たのが、それだと思う。今はまだ、このあたりの水溜まりの中に潜んでるはずだよ」

「この中、ですって?」

 周囲を見回したコトワリが露骨に嫌そうな声を出すのも無理はなく、舗装路にできた水溜まりの数は二十を下らない。イロハのスキルは単純には可視範囲を拡大するものなので、水かスライムかを見分けるとなると勝手が異なる。

 うっかり取り逃さないよう、五人は大きめに円を描いて陣形を作り、スライムが潜んでいるだろう範囲を取り囲んで睨みを効かすが、水溜まりの水面は凪ぐばかりだ。

「もう、手当たり次第踏んづけちゃえばー?」

 早くも睨み合いに飽きたのか、チャクラムをくるくると回しながら踊り出たのはアロである。思わず身を固くした四人の視線の中、宣言どおり気の向くままに水溜まりを踏みつけていくと、その中の一つが先ほど同様、踏みつけられる前にその位置を変えた。目にも留まらぬ速さである。

「速っ」

 そう漏らしながらイロハがすかさず放った矢が狙いの水溜まりを射貫くが、その体が地面に縫い止められることはなく、簡単にすり抜けて逃げられてしまう。クエルクスの剣やアロのチャクラムも同様で、それどころか、スライムの動きが速すぎて掠らせることすら難しい。

 プレッシャーが効いているらしく、幸い、スライムはまだ包囲網の中に留まっているが、誰かが一瞬でも気を緩めたらあっという間に外へと逃げ出してしまうだろう。焦りを覚えながらティトンが早口に呼びかける。

「水スライムの弱点は体内の核で、一応の形があって掴むことができるのもそこだけだ。けど、核も透明だし体内での位置は変わるから、直接破壊は難しいと思う。あと魔法攻撃耐性がめちゃくちゃ高いから、僕の炎や雷もほとんど効かないよ」

「でしたら、凍らせて捕獲するのはどうですか?」

 コトワリの提案に、彼を含んだ四人の視線が一瞬だけアロへと向けられる。蛙のようにジャンプを繰り返しながらスライムを追うアロが、「うーん」とピンク色の髪を揺らして唸った。

「速すぎて無理ー」

 アロのスキルの発動範囲は、彼の両手を広げた範囲内に限定される。その狭い中にスライムを押さえ込んでおくことが、まず最大の難関なのである。

 ならば、と。

「――グリーン・ワン」

 動き出したのはティトンである。前方の足下に戦槌を叩きつけると、石畳に刻まれたのは、二重丸の中に三本線が引かれた緑色に光る印章。

「みんな、そのまま逃がさないようにしてて!」

 一言告げるや、彼は走り出した。「おっけー」「ああ」「了解」「わ、分かりました!」と、武器を構えて口々に応じる仲間たちの前をすり抜けつつ、その足下に、ティトンは宣言とともに二つ目、三つ目の印章を押していく。三つの印の間に緑色の光の線が現れて繋がると、それは歪な三角形を描いた。

 水溜まりのようなスライムは、なお、三角形の内側のどこかにいる。

「少し下がって! それから、アロ」

 視線は前方に注いだまま、まずは仲間全体に、それから一人だけを指名して、ティトンは言った。どこか楽しそうな笑みとともに。

「このあとはよろしく」

 返事は待たず、帽子の唾を左手で摘まむと、彼は唱える。


「トリガー!」


 緑色の三角形が眩く輝いたと同時、激しい風が地面から空へと、渦を巻きながら噴き上がった。スキルの効果範囲内に点在していた水溜まりが一瞬にして全て吹き飛ばされ、ごく小さな水滴となって上空へとまき散らされる。


 ただ一つ。散り散りにはならなかった、スライムの本体を除いて。


 空高く打ち上げられた水スライムが、最高到達点で一瞬だけ静止し、そこから地面へと真っ逆さまに落下し始める――その寸前。

 クエルクスの両手を踏み台にして跳躍したアロが、両手を広げてスライムへと飛びついた。


「チェーンジ、アイス!」


 上空で生じた冷気は周囲の水滴をも凍らせて、微細な氷の粒が四人の頭上にキラキラと降り注ぐ。




「わーい、つめたーい」

「アロ、僕も僕も、貸して貸して、じっくり観察したーい!」

「おいガキども、溶かすなよ、壊すなよ、絶対逃がすなよ」

「だったらクエルのスキルで『盾』にすれば、溶けないし壊れないし絶対逃げないんじゃない?」

「おー、ティトンかしこーい」

「あ? クランまで維持しろと? オレのハロがもたんが?」

 氷状に変化させて凍らせた水スライムを、アロとティトンで交互に取り合いつつ運びながら、エル・ブロンシュへ続く道を辿っていく。楽しげな二人と、またも眉を吊り上げているクエルクスの後ろを、げんなり顔のコトワリと、その背をぽんぽんと叩くイロハがのんびりと追っていく。

「あの客、どう落とし前つけてやりましょうねぇ……『これは水スライムですよ』ってお伝えしつつ、鼻から塩水流し込んであげましょうか……」

「まぁまぁ、大事には至らなかったから良しとしよう、な? それにレアモンスターらしいし、ひょっとして、加工して精製すればいい値の品になるかもしれないぞ」

「た、確かに……! アロさん、そのスライム、あとでちゃんと返してくださいね!」

「うん、分かったー。倉庫から『カキゴーリキ』出しておくねー」

「食べませんよ!」

 賑やかな声が雨上がりの空に響く。

 アロが頭上に掲げ持つ氷から滴る冷たい雫が、見事な夕焼け色に染まっていた。






 Fin.

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る