軽い命の運び方
※企画内マンスリーお題「【苦手なものと向き合え】」ティトンのパートです。
※流血描写注意。
踏み出した足の靴底があっさり地面を捉えたことを知り、ティトンは拍子抜けした。
たった今入ってきたばかりの扉が、右手に握っていたドアノブとともに溶けるように消える。あとに残されたティトンが現在いる場所は、鬱蒼とした森の中のようだった。
――水中じゃなかったかぁ。
じっくりと時間をかけて周囲を見渡し、差し迫る危険は無いと判断してから、顎に指を添えて考える。
示された【苦手なものと向き合え】というミッションから、ティトンが予想したのは不得手である水中戦。てっきり、入室と同時に足場の無い湖や海にでも放り出されるものと身構えていたのだが、杞憂だったようである。念のため戦槌で岩や木の幹を軽く叩き、手応えがあることに安堵する。スキル発動にも支障は無さそうだ。
時刻は夜ではないようだが、湿った大地を奪い合うように密集して生える樹木には枝葉が生い茂り、さらに、薄らとかかった
至る所に樹の根が張り出し、苔生した地面は歩きにくいが、落とし穴のような単純物理トラップは恐らく無い。このミッションの趣旨にそぐわないためである。この部屋でティトンが向き合わなければならない対象は、少なくとも、ティトン自身が「苦手」を自覚しているものであるはずだ。その点、発掘調査士であるティトンにとって、トラップ発見・解除はむしろ得意分野だった。
では、ティトンが向き合うべき【苦手なもの】とはなんだろう? 草木を掻き分け前進しつつ、ティトンは首を傾げる。
エデンを訪れ、クラン「エル・ブロンシュ」に所属するまでの間、ティトンは基本的に単独行動を常としていた。故に、一通りのことは自力でなんとかできるだけの能力を自負している。得意分野が多いわけでもないが、取り立てて【苦手】な分野も、これと言って浮かばないのが正直なところだった。苦手な食材や動物、現象、特定人物といったものも然りである。
とは言えダンジョンには、挑戦者の無意識や深層心理を見透かして利用する魔獣やトラップも少なくはない。今回もその類であれば、本人でも思いがけないような壁が立ちはだかることもあるだろう……そう考えた矢先。
茂みが開けてやや広くなった道の前方、ひときわ大きな樹の根元に、ティトンは人が寄りかかっているのを見つけて身を固くした。
薄暗闇のために見えにくいが、大きな鞄、腰に吊った剣の鞘といった出で立ちからして、どうやらティトンたちと同じ冒険者のようである。左肩には掌ほどの大きさの四角いハロが浮かび上がっており、靄の中でも目を引く薄紫色の淡い光が、その人影が死体や人形ではないことを明らかにしていた。小さく弱々しく、「うぅ」と男の苦しげな声が漏れる。
「だ、大丈夫ですか? どこか具合でも――」
慌てて駆け寄り話しかけようとしたところで、ティトンはぎょっとし、声を詰まらせた。
ティトンと同年代、二十台半ばと思しき男には、両腕が無かった。
右は肘のやや下、左は二の腕の半ばから無残に千切れ、いずれも破けた袖の下から折れた骨の先端や肉の断面が覗いている。大量の血が溢れ出してボタボタと滴り、男の体の下には巨大な血溜まりが広がっていた。
苦悶に激しく歪む男の顔は蒼白だ。呼吸は不規則で弱く、口鼻以外から空気が漏れるような不自然な音がする。両腕以外にも全身に無数の噛み傷を負っており、あまりの痛々しさに目を逸らしたくなる有様である。
彼の足下には、狼に似た魔獣の頭部が転がっている。目から光は失われているが、その口には、剣を握った人間の腕ががっちり咥えられたままだ。やや離れた場所には、少し前までは頭と繋がっていたであろう、巨大な魔獣の胴体が血の海に沈んでいた。赤黒く染まる青銀の毛並みと鋭い爪。ギガントウルフだ。
「ひ、左腕と引き換えに、なんとか首を落とした、が……気を、抜いた瞬間に、頭だけで飛びかかってきて……右腕を……」
「喋らないで」
喘ぎ喘ぎ男が絞り出すのをティトンは制した。魔獣が完全に事切れているのを確認してから男の足下に膝をつき、バックパックを下ろして中を漁る。目的のものに手が触れ、引っ張り出そうとした瞬間。
「殺してくれ」
男にきっぱりと頼まれ、ティトンはぴたりと動きを止めた。
そして悟る。「そういうことか」、と。
「この失血じゃ、助からない……これ以上苦しむくらい、なら、いっそ一息でラクに……ダンジョンの中だから、どうせ、生き返るんだ、し……」
話す間にも、男の口からゴボリと血が溢れ落ちる。内臓にもダメージがあるかもしれない。これほどの深手を負いながら、痛みで気を失わないのが不思議なほどだ。
淡々とした男の訴えは、ティトンの耳から入ってこそくるものの、頭の中は虚しく素通りしていく。「ダンジョンの中だから生き返る」という、その言葉だけをティトンの思考に鮮烈に刻みながら。
馬鹿げた戯言に聞こえるが、これは正しく、真実だ。
エデンの各所に存在する「ダンジョン」と呼ばれる領域内においては、肉体的損傷であれ毒であれ、致死量以上のダメージを受けて行動不能に陥ってしまったとしても、相当額の財産と引き換えに安全圏で「生き返る」ことができる。これはエデンの住人にとっては常識であり、故に一般空間とダンジョンとは、ある種の異世界であると認識されていると言っていい。
そしてダンジョン探索中、即死に至らないまでも回復が難しいような重傷を負った場合……「意図的に肉体を死亡させて生き返る」という選択をすることも、冒険者たちにとってはまた、ダンジョン攻略における常識だった。
どうせ死ぬのなら苦しむ時間を少しでも短くしたいと思うのは当然であり、例え死ぬほどのダメージではないとしても、怪我人を伴ってダンジョン探索を続ければ集団にとって足手まといとなる。財産の召し上げという痛手に目を瞑りさえすれば、生き返ることは保証されているのだから、「自死」や「仲間へのトドメ」は自然な発想と言えた。
これはティトンが所属するクラン「エル・ブロンシュ」においても例外ではない。無論、可能な限り回避は試みるが、「さっさと死んで復活したほうがメリットが大きい」と判断すれば、各々なりの考えや葛藤こそあれ、自ら死を選ぶことも、仲間を手にかけることも、最終的には厭わない。
クランでの死亡累積数・死亡率ともにダントツであるコトワリに至ってはことさら顕著で、「足手まといは早めに離脱しますよ」「さっさとトドメを刺していただけませんか」などと簡単に口に出す。クエルクスやイロハは、眉をひそめたり表情を曇らせたりはするものの、本人に頼まれ、かつ、必要と見なせば決断は早い。呪術師であるアロに至っては、抵抗もほとんど無いようだ。
しかし、ティトンは違う。トドメを刺さずにすむよう、最後まで他の道を模索する。
仲間たちを批難する気は毛頭無い。むしろ合理的であり、ことダンジョンにおいては適切だと理性では分かっている。だがティトンの本能が、気持ちが、仲間の命を奪うことをどうしても拒むのだ。
よって、この部屋でティトンが向き合うべき【苦手なもの】。
それはどうやら、【人の命を割り切ること】のようだった。
「頼む……両手がこのザマじゃ、自分で死ぬこともできない……」
男の声に、ティトンは思考から現実へと呼び戻される。
オオーン、と、靄の向こうから遠吠えらしき鳴き声が聞こえた。一頭ではなく、複数、多方面である。顔を険しくし、周囲に素早く視線を走らせるティトンを、男が息も絶え絶えに諭す。
「じきに仲間が、集まってくる……無抵抗のまま食い散らかされる前に、やってくれ。このままじゃ、あんたも、巻き込まれる、ぞ……」
ギガントウルフは群れを成す魔獣だ。仲間に対する情が厚いことでも知られている。怒れる複数の成獣を単独で相手取るとなれば、ティトンと言えど無事では済まないだろう。まして男を守りながらの防御戦では、まず勝ち目は無い。
ティトンはゴクリと喉を鳴らした。
目の前にいる瀕死の男は、まず間違いなく、実在しない人間だ。この室内で起こる全ての事象は、ティトンを試すための悪趣味な幻と考えていい。
そして今回与えられたミッションは、【苦手なものを克服しろ】でも、【苦手なものに挑め】でもなく、【苦手なものに向き合え】である。
よって、ティトンがどんな選択をしようとも、恐らくこのミッションはクリアできる。こうしてティトンが己の【苦手なもの】を自覚し葛藤すること、それ自体が、【向き合う】ということなのだから。
だからきっと、男の望むとおり、トドメを刺せば全ては終わる。
そして逆に、自ら手を下すことを拒み、男を置き去りにこの場から逃げ去っても、それも一つの選択肢として認められるのだろう。そしていずれにせよ、幻以外の犠牲者は出ない。もしも万一、男が本物だとしても、ダンジョンの仕組みに則って生き返る。男が望むとおりに。
だとしても。
ティトンは先ほど探り当てた物を鞄から取り出す。この部屋に入る直前、コトワリに託された二本の小瓶のコルク栓を引き抜くと、男の両腕の傷口に一本ずつ、その中身をぶちまけた。薄橙色の光が飛沫のように弾けて、滴り続けていた出血の勢いが弱まる。苦悶に歪んでいた男の表情が束の間だけ和らぎ、だが、すぐに驚愕に変わった。
「何、を」
「ごめん、そのお願いは聞けない。僕自身に向き合えてないことになるから」
「は……?」
困惑する男を無視し、ティトンは男の患部に布を巻いて念入りに止血を施すと、男の鞄や鞘を外してその場に捨て置いた。自分のバックパックを腹側に抱え、戦槌をベルトに挟み込むと、小さな背中に血塗れの男を無理矢理担いで立ち上がる。荷物と両腕が失くなっても、大柄な男の体がずしりと重い。生暖かい血がべとりとティトンの背を濡らし、血溜まりに足下が滑った。
それでも歯を食い縛り、男の両足を引きずって、ティトンは歩き始める。先ほど辿ってきた道の続き、薄暗い森の中へ向けて。
「おい、何をしてる、置いていけ……いや、それよりトドメを……!」
男がティトンの背中で身をよじって声を荒らげた。ティトンは負けじと言い返す。
「絶、対、嫌だ」
遠吠えが徐々に近くなる。一歩一歩、もどかしい足取りで、けれどティトンは進む。
今ごろそれぞれに【苦手なものと向き合っている】はずの仲間たちは、必ず次の階層へと辿り着くだろう。ティトンはそう確信していた。
コトワリと合流すれば、一命を取り留められる回復が望める。イロハやアロやクエルクスがいれば、魔獣を退け、安全圏への道を拓いてくれる。そう考えるからこそ、背負う男が幻かどうかに関わらず、ティトンは彼を背負って行くのだ。
殺すことなく救うために。
靄を透かした道の向こうに、徐々に白く眩い光が見えてきた。森の終わりは恐らく、道の終着点にして、この部屋の出口。
――例え、魔獣に追いつかれて殺されたとしても。結果、失敗したとみなされ振り出しに戻り、再び同じ状況に挑むことになったとしても。
ティトンは何度でも同じ行動を取る。絶対に、何が何でも、背負える命は割り切らない。
それが、ティトンが【苦手】に向き合い、導き出した唯一解なのだから。
Fin.
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます