ポケットのジャガイモ(下)
クエルクスが顎で天井を示しながら言った。カンテラの灯に薄らと照らし出されたコウモリは、鬼に似た形相をますます険しくし、目を血走らせている。ティトンとコトワリを囲むように陣形を組んで、クエルクス、イロハ、アロの三人は身構えた。
「来るぜ」
イロハの一言が合図。翼を広げて勢いよく滑空してきたコウモリにイロハの矢が放たれるが、硬い皮膚に阻まれ弾かれた。逆にターゲットとなったイロハの前にクエルクスが割り込み、「盾」のスキルを付与させた左手の剣でコウモリの爪を防ぐ。ギイン、と金属同士のぶつかり合いに似た耳障りな音。一瞬の拮抗状態を見逃さずに横から切り込んだアロが、遠心力に任せてコウモリの首へとチャクラムを叩き込んだ。
だが、チャクラムの刃は、頭を捻ったコウモリの牙でガチリと受け止められてしまう。
コウモリが両翼を広げて四方に向けて振り回し、三人は咄嗟に方々へ飛び退いて攻撃を回避する。その隙をついて離脱したコウモリが再度上空へ舞い上がり、天井付近を旋回しながらけたたましい威嚇の声を上げた。
「チッ、怖じ気づいたか。降りてこいボンクラが」
「うーん、あの高さじゃ、チャクラムは届かないかなー。イロハさん、どうー?」
「矢が通りそうな場所が思いのほか少ない。飛び回られると狙いにくいな」
三方から上空を睨み、油断なく身構えながら言葉を交わす三人に、ティトンはまだ半ば呆けたまま視線を注ぐ。
その頭上から、オマケとばかりに、コトワリが小瓶入りの液体を振りかけた。淡く発光する薄青色の液体は、ティトンの体にぶつかるや、光の粒となって空気中に霧散する。まるでその光を吸収したかのように、ティトンの首回りのハロが放つ光が強さを増した。同時に、全身に堪っていた疲労が引いて、体が軽くなっていく感覚を覚える。
コトワリ特製の、消耗したハロを回復させる特効薬である。
「平気ですか、ティトンさん」
「うん、元気出てきた! ありがと、コトワリ」
「どういたしまして。ただ、礼など言っている暇があるなら自省をしていただきたいところですね。こんなところをいつまでも単独でフラフラするなんて愚の骨頂ですよ。調査に夢中になるのも結構ですが、僕たちがどれだけ心配したと思ってるんですか」
第四層への道すがらにも精製をしていたのか、今日はコトワリの毒がいささか強い。それでも彼は、溜息をつきつき近くに転がっていた戦槌を拾い上げ、ティトンの右手に握らせてくれた。
コトワリの苛立ちは、心配と安堵の裏返しだ。
それが分かるから、ティトンは首をすくめて見せながら、「ごめん」と困り顔で笑った。
コウモリの下層への侵入を許したのも、仲間たちに心配を掛けたのも、全てティトンの咎。
だからこそ、尻拭いの責任も、ティトン自身にある。
その場に立ち上がり、左手の動きでコトワリに指示して後退させつつ、ティトンは目の前で彼の盾を担っていたクエルクスの少し前へと進み出た。右手の槌で床を叩くと、コォン、と硬い響きが長く木霊する。
「イエロー・ワン」
浮かび上がったのは、逆N字のジグザグ模様が象られた黄色い刻印。アロやイロハの注意が、一瞬だけ自分へ向けられるのを感じる。クエルクスたちが放つプレッシャーを警戒してか、コウモリは上空での旋回を続けて向かってこない。
ティトンは敵を刺激しないよう、ゆっくりと半円を描きながら床の上を移動し、イロハの数歩前にも同様の印を施す。イロハが弓を引き絞ったまま、一歩、二歩と後ずさった。
「イエロー・ツー」
一つ目と二つ目の印を一直線に結んで、黄色い光の線が現れる。このあとティトンが何をするのか、何が起こるのか、この仲間たちにわざわざ説明する必要は無い。ティトンは迷いなくアロの元へと進み、三つ目の印を床に施した。
新たに生じる二本の線。印と印が繋がり、計三本となった光の線が床に巨大な三角形を描き出す。
その中心地点は、広間中央――天井付近を飛び回るコウモリの真下。
「イエロー・スリー。セット!」
ティトンの一言で、クエルクスが、イロハが、アロが、一斉に後方へと大きく飛び退った。同時に退避済みのコトワリが、壁際で小さく体を丸めて両手で頭をガードする。
突如眼下に出現した眩い光の三角形にただならぬものを感じ取ったのか、コウモリが鋭い声を上げて滑空姿勢を取った。翼を畳み、牙を剥いて頭から勢いよく突っ込んでくる巨大な魔獣を。
帽子の唾に左手をかけ、ティトンは薄く笑って待ち受ける。
クラン「エル・ブロンシュ」において、ティトンの首の周囲に浮かぶ青色の「輪」は、盟主、イロハに続く大きさを誇っている。エデンの中でもかなり上位の部類と言えるだろう。
「ハロ」と呼ばれる固有能力の強さは、個々が有する輪の光の強さと大きさに比例する。エデンでも最強クラスのハロの持ち主である盟主は規格外として、イロハの背に輝く大きく見事な「輪」は、千里眼という彼の能力の特殊性・特別性を映し出していると言えよう。
対してティトンの刻印魔法は、スキル自体は「一方向に攻撃魔法を放出する」という単純なものである。四属性使い分けや複数印の連結連動発動といった強みこそあるものの、単に炎や水で攻撃するだけのスキルなど、エデンでは珍しくもなんともない。
故にティトンの「輪」の大きさは、スキルの高い持続性、および――「威力」へと還元される。
「トリガー!」
コウモリの鼻面がティトンに激突しようかという寸前、ティトンは叫んだ。
瞬間、眩い閃光を放った床から凄まじい雷撃が迸り、巨大な柱となって轟音とともに天井へと昇り上がる。
雷はコウモリの巨躯を一瞬で消し炭にし、だが、今度は天井を貫くことなく、花火のように爆ぜて暗闇に散っていった。
特効薬による回復分も含めた全力ギリギリのハロを込めた渾身の一撃は、当然、使った本人の消耗も激しい。雷鳴も稲妻の欠片も、魔獣の気配も完全に消えたのを確認し、ティトンはその場にべちゃりと座り込んだ。
「あー、やばかったぁ! 死ぬかと思ったぁ」
両脚を投げ出して天井を仰ぎ、ティトンは可笑しそうに言うが、彼の元に四方から集ってきた仲間たちがつられて笑う気配は無い。
むしろ……どうやら、全員が大なり小なり、怒っているらしい。
しかめ面が平常運転のクエルクスはともかく、いつでも穏やかなイロハやコトワリ、大概にして上機嫌のアロまでがとなると、よほどの事態である。むっつりと口を一文字にした四人の表情に、さしものティトンも笑いを引っ込めて身を小さくした。
「え? 何? ……っていうか、そう言えば、みんなどうしてここに」
狼狽しつつ、一度は有耶無耶にされた疑問をティトンが再度持ち出そうとしたところで、彼を見下ろせる位置まで歩み寄ってきた四人が各々の鞄や懐やポケットに手を入れたかと思うと。
「ほら!」
少しの苛立ちを含んだ声とともに彼らが突き出してきたのは、ティトンにとって見覚えのある、紙に包まれた丸っこい物体だった。
そのうちの一つは包装がめくれかかっており、中から覗くのは、見慣れた土色の皮。
眼前に並ぶ四人の手と、その上に載せられた四つのジャガイモに、ティトンは言葉を失う。
「これ、ティトンのおイモでしょ。クランに忘れてたよー?」
「オマエがジャガイモを忘れるなんて、明日は嵐か大雪か? いっそ芋の雨でも降らす気か?」
「訊けば単独でダンジョンに潜っているという話ですし、非常食も持たないまま半日以上帰ってこないんですから、いくらあなたが遺跡マニアの化け物だろうが心配になるじゃないですか。ダンジョン狂いもほどほどにしてください、こちらはいい迷惑ですよ芋野郎」
「……って感じで、みんなこのイモを見て居ても立っても居られなくなった。で、アンタがここにいるのが見えたんで追ってきた、ってワケ」
順に説明する、あるいはコメントする、あるいは怒りをぶつけてくる仲間たちの顔と、その手の上のジャガイモを、ティトンは口を半開きにしてただただ眺めた。
一人一つずつ持っているのは、二手以上に分かれて捜索する状況に陥った場合を想定したのか、はたまた、単に一人あたりの荷物の重さを軽減させるためか。
ティトンは黙って両手を差し出した。四人の手から渡された四つのジャガイモを全て器用に受け取れば、いつでも肌身離さず持っているはずのジャガイモが、不思議と、いつもよりずしりと重い。
そしてティトンは唐突に、自分が不覚にもジャガイモを忘れてきてしまったわけを悟った。
四つのイモを両手に持って、ティトンはにっと歯を見せて笑う。
「ありがと、みんな。助けに来てくれて」
その満面の笑顔でようやく安堵できたのか、四人も表情を緩め、「当然だろ」とばかりに微笑んだ。
コートの裾を翻し、パンパン、と手を叩いてスタスタと歩き始めたのはクエルクスである。
「さあガキ共、用は済んだし、とっとと帰るぞー、さっさと帰るぞー」
「そうだな、盟主さんも心配してるだろうし。エンカウントしない帰還ルート、先導するよ」
クエルクスに促されるまま、スキルを発動させながらイロハが、そして他の三人がぞろぞろと続く。
「わーい、今日の夕飯なーにかなー? ティトンは何が食べたいー?」
「ええとね、そうだな……ジャガイモかな!」
「その両手のイモでも喰らっててください」
カンテラの灯だけが頼りのダンジョンは暗いが、木霊する五人の声は明るい。
もしも今、あのときのように生き埋めになってしまっても、きっとみんなが、すぐに助けに来てくれる。
だから――「ジャガイモがなくても大丈夫」。
歩を進める度にポケットの重さを感じながら、ティトンはどこか誇らしい気持ちでそう思うのだ。
Fin.
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