第3話

 頼光の屋敷に綱が戻ると、大騒ぎとなった。

 戻ってきた綱の姿は、髪はほつれ、着物も土に汚れた状態だった。

 何事かと慌てて駆け寄ってきた頼光の家来たちに「問題ない」と綱は声を掛けて、頼光のもとへと向かい、頼光に斬り落とした鬼の腕を差し出した。

「逃がしてしまいましたが、腕を一本奪ってやりました」

「よくやった」

 綱の差し出した鬼の腕を見た頼光はそう告げると、従者に唐櫃からびつを持ってこさせ、その中に鬼の腕を収めさせた。

「おそらく、鬼はこの腕を取り返しに来るぞ」

 そんな恐ろしいことを頼光は涼しい顔をして言う。

「まことにございますか。では、どうすれば」

「とりあえずは、陰陽師の安倍晴明殿に相談しよう。あの御方なら、何か良い知恵を貸してくれるはずだ」

「わかりました」

「今宵はゆっくりと休むが良い」

 頼光の言葉に綱は深々と頭を下げると、そのまま引き下がった。


 綱は床についたが、なかなか眠ることができず朝を迎えてしまった。

 どうしても、唐櫃からびつの中に収められた鬼の腕が気になってしまい眠れなかったのだ。

『鬼はこの腕を取り返しに来るぞ』

 頼光の言葉が何度も頭の中で繰り返される。

 それは綱にもわかっていることだった。あの鬼女は必ず腕を取り返しに来るだろう。もし、腕を取り返しに来たらどうすればいいのだろうか。そのことばかりを考えていた。

「昨晩は眠れたか?」

 綱のことを迎えに来た頼光は開口一番にそういった。

 顔に疲れが出ているのだろうか。そんなことを思いながら綱は曖昧に頷く。

「安倍晴明殿は、道長様も信頼している陰陽師。きっと、良き策を伝授してくれるであろう」

 そう頼光はいうと、綱を連れて安倍晴明の屋敷へと向かった。

 空は青く晴れており、雲ひとつ無い、良い天気であった。

 頼光と綱は馬にまたがり、一条通を土御門方面へと進む。頼光には従者がひとりついているだけであり、他に供の者はついていない。これは綱が一緒であるからということがあるからだろう。

 頼光の家臣団には武勇に優れた四天王と呼ばれる四人がいた。卜部季武、碓井貞光、坂田公時、そして、渡辺綱である。その中でも綱は筆頭とされており、武勇においては他の三人よりも優れていた。頼光が供を連れていないのは、そんな綱が一緒だという安心感もあってのことだろう。

 安倍晴明の屋敷につくと、しばらく待たされ、烏帽子に白の水干という姿の老人がやって来た。この老人こそが安倍晴明であった。歳は七〇をゆうに超えているだろう。髪や顎に生えている髭は真っ白であり、顔にも多くの皺が刻まれている。

「また、とんでもないものを持ってこられたな」

 晴明は開口一番にそう言ってみせた。まだ唐櫃の中身は見せてはいない。それにもかかわらず、晴明は唐櫃の中身がわかっているかのような口調で言ったのだ。

「わかりますか」

「ああ、わかるとも。ちょっと待て、ここで開けなさるな」

 綱が唐櫃を開けようとしたところ、晴明は慌ててそれを止めた。

「そんな禍々しいものをわしの屋敷で開けなさるな。どうしようか……そうじゃ、お主の屋敷へ行こう」

 晴明はそう言って、綱のことを指さした。

 よくわからないまま、綱は晴明と頼光を連れて、己の屋敷へと向かった。

 綱の屋敷は頼光のような大邸宅とは違い、こじんまりとしたものである。

 屋敷の一番奥の部屋に何やら祭壇を作った晴明は、そこに唐櫃を置き、部屋の御簾に札のようなものを何枚も貼り付けた。

「よし、結界は完成した。あとは綱殿次第だ」

「私次第ですか」

「ああ。鬼は必ず、この唐櫃の中身を取り返しに来るだろう。決して、奪われてはならんぞ」

「わかりました。もし、奪われた場合は」

「知らん」

「え?」

「どうなるかは、わしにもわからん。命の保証は無いかもしれんな」

「では、どうすれば……」

「だから、奪われないようにするのだ。本日より七日間、物忌みをいたせ」

 物忌みとは、一定期間、飲食や行動を慎み、不浄を避けることで身体を浄化させることを指す。この物忌みは平安時代などに多く行われ、神事や仏事、陰陽道の教えなどの際に多く行われていた。

「物忌みの最中は、誰も屋敷にあげてはならぬぞ」

「わかりました」

 その日から、綱は七日の間、屋敷に閉じこもり物忌みを行うこととなった。

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