第0.9話

 背後から聞こえる布の擦れる音に、私の心臓は今にも破裂しそうな程に脈打っていた。


 …本当は、断るべきだった。


 だけど、仕方ないじゃん。


 もし私が断ったら、麗華はママと咲ちゃんとお風呂に入るんでしょ?


 …そんなの、許せるわけない。


 それが私を釣る為の作戦だとしても、大人しく釣られるしかなかった。


 しかし私は麗華の事をなるべく見ないようにしながら、脱衣所でその決断をひたすら後悔していた。


「…綾音」


 そんな時に不意にかかられる声。


 ビクッと身体を大きく跳ねさせて、過剰に反応してしまう。


「…な、なに。」


「…脱がないの?」


 後ろを振り返らないように返事をすると、少しだけ不安そうな麗華の声が返ってくる。


 そうやって麗華を不安にさせているのは意気地無しの私だと、頭の中ではよくわかっている。


 けれど…


「…ねぇ麗華。一応私達…その、両想いなわけじゃん」


「…うん。」


「そんな二人がさ、裸の付き合いをするって…やっぱりまずいと思わない?」


 私の言葉から、少しだけ沈黙が訪れる。


 それからまた布が擦れる音が聞こえだす。


「…意識、してくれてるの?」


 そして、その音に混じって聞こえる言葉に、私の心臓はまた跳ねる。


 なんと答えようか迷うけど、私から両思いの話を出したのだから変に隠すのもおかしな話だ。


「…当たり前じゃん。」


 私は少しだけぶっきらぼうな言い方で、呟くように言う。


 そもそも好きな女の子相手に意識しないわけがないだろ、と言ってから思う。


 麗華の面倒臭くて可愛い部分が本当によく現れてる質問だ。


 …そんな風に思っていると、それは突然やってきた。


「ちょっ…!?!?」


 後ろから抱きしめられる感覚と肩に乗る重み。ぎゅっと締め付けてくるのはお腹に回る細い腕。


 それらを認識した瞬間、大きく飛び跳ねた心臓がうるさく暴れだす。


「…嬉しい。」


 そして、私の肩の重みの原因であるそれ…麗華の頭がすりすりと私の顔に擦り寄って、殆どゼロ距離で囁かれたその言葉。


 本当に喜びを噛み締めたような声。過去に私を幾度となく惑わせてきた声。


 私がゴクリと唾を飲み込んだ音は、確実に聞こえていたと思う。


 それからどうにか麗華に言葉を返そうと、視線を少し動かして…また心臓が大きく跳ねて目を見開いた。


 さっきまで長袖を着ていたはずなのに、視界に映るのは真っ白で骨ばった肩。


 長ズボンを履いていたはずなのに、足元に見えるのは長くて綺麗な生足。


 ドクドクドクドクと、口の代わりに心臓が悲鳴を上げる。


「…それにね、綾音。」


 声が出ない私の代わりに、麗華はそう呟いて…


「…私は、期待して誘ったよ」


「…っ」


 …ほんの数秒だけ、私の首筋に歯を立て、舌を這わせた。


「…先に、入って待ってる。」


 そして麗華は最後にそれだけ言い残して、私の背後にあった感覚の全てが消える。


 すると聞こえるのは浴室に繋がるドアの音。


 残ったのは、背後に居た麗華はやはり何も纏っていなかったという事実。


 …そこでようやく自分が呼吸をしていなかった事に気が付いた。


 胸に手を当て、肩をおおきく上下させ、呼吸を整える。


 それから私は壁に背を預け、ずるずると滑って床にへたり込む。


「…勘弁してよ」


 そして両手で顔を覆って、ようやく安静が訪れると私は一人呟いた。


 …あんなの、無理だ。


 どこで覚えたんだと言いたくなるほどの、最高の殺し文句と求愛行動。


 あの浴室で私を待つのは据え膳だ。


 食わぬは自分ではなく相手を辱めるし、ならばと食ってしまえば不幸にする。


 意図的なのか、欲に従っただけなのか分からないけど、麗華の追い詰め方がえげつない。


 こんなのどうすればいいと言うのだ。


 いっそ麗華を放置して自室に戻ってしまいたい。


 …でも、そうして麗華に嫌われて、男のところに行ってくれるならいいが、他の女の所にでも行かれたらたまったものじゃ無い。それだけは絶対に嫌だ。


 しかし、だからといって浴室に足を踏み入れたら後戻りはできないだろう。


 はっきり言うけど、私だって欲に塗れている。麗華の事が好きだし、そういう目で見てるんだから当然で。


 しかも、あそこまでお膳立てまでされている状態。麗華の裸体に我慢なんてできるわけがないだろう。


「…本当に嫌になる」


 どんどん追い詰められているのを、ひしひしと実感する。


 自分が恋を自覚した事。


 麗華の恋愛対象に"女"がいる事。


 どちらか一方が欠けていれば、こんなに悩む必要なんてなかったのに。現実は両方とも真実で、私を苦しめる。


 必死に考えて、考えて。


「…耐えろよ、私。」


 そう呟いた私は自分のパーカーに手をかけた。


 私の導き出した結論は、根性論だった。

 

 風呂に入って、麗華に軽く…本当に軽く、それこそ親友同士なら稀にするくらいのえっちな事をして速攻でお風呂からあがる。


 そのために、自分の理性を制御し、本番は絶対に行わない。


 これなら、不完全燃焼にはなるがその場凌ぎの中間策にはなる。苦しいことには変わりはないが…


「…よし。」


 下着まで完全に脱ぎ終え、洗濯カゴに押し込む。


 それから、髪を縛り、ずるいかもしれないけど身体に短いタオルを巻きつけた。


 浴室のドアノブに手をかける。


 そして…


 ゆっくりとドアノブを回し、覚悟を持ってそのドアを開いた。


 大丈夫…麗華の幸せを思えば、大丈夫だ。耐えられる。


 そんな風に自己暗示して、ゆっくりと視線をずらした。


「っ…」


 しかし…考えが甘かった。


 最初に視界に映った麗華を見て私は息を呑んだ。


 半透明の湯に浸かる麗華は、文字通り一糸纏わぬ美しすぎる裸体を惜しげもなく晒して待っていた。


 見える身体は全体的に細いのに、不健康という訳ではない。女性として出るべき所はむしろ平均より全然大きい。


 真っ白な肌は熱に弱いのか、ほんのり紅くなっているのもいやらしく私の欲を煽る。


 …正直、想像以上の美しさだった。


 麗華に見惚れてドアの前で立ち尽くす私。


 麗華はそんな私に気づくと、安心したように微笑んだ。


 その表情の変化に、麗華がどんな気持ちで湯船に浸かって私を待っていたのかが想像できて、胸がキツく締め付けられた。


「…開けっぱなしにしてると湯気が外に出ちゃうわよ。」


 相変わらずその場から動けない私に、麗華は潤った唇を開けて優しく声をかける。


 意識はあるのに、最早無意識に言われた通りドアを閉じる。


 完全に私は緊張と情欲にやられていた。


 そして麗華は見たこともない妖艶な笑みを浮かべて、私に手を伸ばした。


「…来て、綾音。」


 その呟きに誘われて、気づいたら私は麗華の手を取り、ゆっくりと湯に足をつけ、浴槽に座らされていた。


 見れば、女の子らしく膝を曲げた体育座りで、裸の麗華は正面に座っている。あらゆる部分が、完全に私に向けて晒されていた。


「…私の身体…変じゃない?」


「綺麗すぎてびっくりしてる」


 殆ど無意識の私は、麗華が不安そうに聞いてきた言葉に食い気味に即答してしまった。


 不安そうな表情だった麗華の顔が、ポッと更に朱く染まり、頬が綻ぶ。


 …もう、どうにかなりそうだった。


「…そっち、行ってもいい?」


「っ…ぅ、うん…い、いいよ…」


 そんな中で、更に仕掛けてくる麗華は本当にやっかいな相手だ。


 こんな状況で私が断れる訳ないのに。


 私が許可を出すと、麗華は浴槽の底に手をついて四つん這いになる。


 スタイルがいいせいで綺麗なお尻が突き上がったり、胸が強調されたり、上目遣いが扇情的だったり。


 …完全に私の目には毒だった。


 そのまま私の方に寄ってくると、麗華はくるっと器用に体を反転させて、私の足と足の間にお尻を食い込ませて座る。


 そして私の腕を取り、自分のお腹に回させた。すると、私が後ろから麗華を抱きしめるような形になった。


 いつもは私の方を向いて座らないと気が済まない麗華が、私に背を向けている。そのことから麗華も相当緊張しているのだと察してしまう。


「…綾音はやっぱり、素肌でも柔らかくて気持ちいい。」


 そんな麗華は、少しだけ私の方に体を倒して身体を預けてくる。


 そうする事で合わさる素肌と素肌。私の方にタオルが巻かれている分、その面積は少なくはなっているが、正直あまり意味がなかった。


「…ね。ぎゅってしてほしい。」


 しかも、麗華はこう所でこうゆう事を言ってくる女だから。


 うるさい心臓に鞭打って、私はお腹に回っている腕に少し力を入れる。


 細いウエストと、それに比例しない柔らかな肌をより強く感じて、頭がおかしくなりそうだった。


「…違う。」


 しかし、麗華は私のその行動に不満を漏らして、私の腕を掴む。


 何が納得いかないんだろうか。こんなにも満身創痍の中、精一杯リクエストに応えたのに。


 そんな風に思いながら、安易に私の腕を麗華の好きにさせたのが間違いだった。


「…っ…れいか…!!」


 …麗華は私の両手を自分の胸に持っていき、手のひらで包むようにそれを掴ませた。


 思わず声を出して、手を退けようとするがぐっと押さえつけられて動けない。


 むしろ抵抗すればするほど、麗華はぎゅぅっと押しつけるから、手のひらがその弾力をより強く感じてしまう。


「…来てくれたってことは、そういうことでしょ。」


 自分の胸に私の手を押し付け、熱い吐息を吐きながら、私を誘うその言葉。


 完全にそう言う雰囲気なのは、火を見るよりも明らかだった。


 …しかし私の頭はこの時、逆に冷静になっていた。


 最初、麗華の身体を見ているだけで興奮してしまう程で、理性を保てないかもしれないとも思った。


 けれど、こうして直接性的な行為をしてみると、麗華への罪悪感と恐怖の感情で興奮は塗り替えられた。


 どうやら、私は本当に麗華のことが好きらしい。


 麗華への愛が性欲を上回った瞬間だった。


「…ごめん。」


 だからゆっくりと唇を動かし、しっかりとした口調でそれを口にする事が出来た。


 その瞬間、私の手を押さえつけていた麗華の手が緩んだ。


 そして、どこか諦めたように手を離し、私の手も麗華の胸から離れていく。


「…それは、なにへの謝罪」


 さっきまでとは打って変わって、覇気の無い声。


 それに対して胸を痛めつつ、それでも麗華の為にと私は心を鬼にする。


「やっぱりこんな事、ダメだと思った。」


 私がそう言うと、麗華はビクッと体を跳ねさせる。


 それから少し間を開けて、麗華は小さくため息をつく。


「…ハッキリ言えばいいのに」


「え?」


 そして発されたその言葉。


 私にはそれだけでは、麗華が何を言いたいのか理解できなかった。


 ポカンとしていると、麗華は体をまた反転させて、私の方に身体の全てをさらけ出すようにして座り直した。


「…裸を見たらやっぱり違ったって。今まで抱いてきた女の方が良かったって。」


「…触ってみたら、全然良くなかった。あなたの身体じゃ興奮できなかった。…そうやって言ってくれればいいのに。」


 そして麗華が口にした言葉に、大きく目を見開く。


「そ、そんなわけないでしょ!?」


 思わず、声を荒げて反論してしまう。


 麗華の身体に問題なんて一つもない。むしろ、さっきまで馬鹿になる程その綺麗な身体に見惚れていた。


 今だって、なんとか麗華の顔だけを見つめて、首から下へのピントをぼかしている状態なんだ。とてもじゃないけど、興奮できなかったなんてあまりにも説得力がない言葉だ。


「…嘘つき」


「嘘じゃない。本当だよ。」


「なら…今すぐに抱いてよ。」


「…それとこれとは話が違うんだよ。」


 私との問答に、眉間にグッと皺を寄せる麗華。


 更に直接的な表現まで使う麗華からは、納得がいかないと言うのがひしひしと伝わる。


「将来、麗華は絶対素敵な男性と結婚するから。そして幸せになれるから。…その時に、女とセックスした事を絶対に後悔する。」


「だから、麗華の事は抱けない…」


 私は麗華のその赤みがかった頬に手を添えて、優しく諭す。


 私がここまで頑なに君に手を出さないのは、心の底から愛しているからだ。それが性欲に優ったから。


 私は麗華の将来を取った。だから、普通の道に戻ってほしい。


「…それ、本気で言ってる?」


 そう願った私に、麗華はどこか冷めた表情で私を見つめて首を傾げた。


「…本気だけど?」


 なんだか異様な雰囲気になった麗華に、少しだけ驚きながらも私は力強く頷いた。


 私は本気で麗華の事を考えて…


「…ならあなたは、ただの臆病者ね。」


「…え?」


 そこまで考えて、それを口にして補足しようとした瞬間。


 麗華の口から飛び出たその言葉に、私は固まる。


 麗華は頬に添えられた私の手を剥がすと、私から距離を取り、元いた場所に戻って、元の体勢でゆっくりと座った。


 そして深いため息を一度ついてから、私をその鋭い視線で見つめ直して唇を再び動かした。


「『麗華の事を幸せにする自信がない。』『麗華を抱いた責任を取る自信がない。』『一生麗華を傍に置いておける自信がない』」


「…なに、を…」


「自分に自信がないだけのくせに、それを『ありもしない未来の私』や、『勝手に決めつけた私のセクシャリティ』のせいにしないで。」


 臆病者…その言葉の意味をハッキリと言語化されて、私は何も言えなくなった。


 ガツン…と、鈍器で頭を殴られたような衝撃と、どこか核心を突かれたように跳ねる心臓。そして荒くなった呼吸が麗華の言葉を肯定しているようで、身体が震える。


「あなたが恋を諦める理由なんかの為に、私は男に抱かれたりしないわよ。」


「つまり、あなたが私に手を出さない理由はどこにも存在しない。あなたが私から逃げるための理由は存在しないの。」


「その事を踏まえてもう一度聞くわ…」


 真剣な表情で私を見つめてくる麗華に、ドクドクと、嫌に心臓がなる。


 動揺を隠せない私に、麗華は容赦なくその綺麗な唇を動かし続けた。


「私の事は抱けない?私の身体では興奮できない?」


「まだ自分を守る為に私の事を傷つけ続ける?」


「一生それを続ける…その覚悟はある?それともまた違う逃げ道を作る?」


「あなたの"好き"は、その程度のものなの?」


「私を傷つける事が、あなたの愛?」


 怒涛の口撃に、私は完全になす術を奪われて項垂れた。


 揺れる水面に映る自分の顔が、酷く醜い物に見えた。


 私が麗華の為にとやってきた事を、全部否定された気分だった。…いや、完全に否定された。


「…麗華の…言う通りだ…」


 そして呟いた言葉が、私の全てだった。


 麗華に言われて、自分がただの臆病者であると納得してしまったのだ。


 レズビアンだからとか、ノンケだからとか、麗華の為だからとか…


 現実は辛くて、麗華にそんな辛い気持ちを抱いてほしくないという思いは嘘じゃ無いし、今でもできればそうあってほしいと思っている。


 けど、それは裏返すと、自分では麗華を幸せにする事ができないから他人に麗華を託すという逃げたやり方でしか無い。


 そして麗華自身はそれを全く望んでおらず、私の事を求めている。私が私の理想を勝手に押しつけている。


 そう思えば、私の心の奥の奥に隠していた感情が溢れ出す。


「…私、怖いんだよ」


「…私とシた事を後悔されて、嫌悪されて、無かったことにされるのも」


「…付き合ってみて、やっぱり女は無理だって言われて捨てられるのも」


「…全部、耐えられない。」


「…だったら、最初から私は麗華と恋人になんかなりたくない」


 溢れ出す涙。震える身体。


 私の本音は、こんなにも醜くて、自分の事しか考えていない最低なものだった。


 ─…ノンケと付き合って捨てられるのは、レズビアンである私の方だから。


 そんな単純な理由。


 麗華の言う通り、それを麗華の為にと美談にし、必死に隠していただけだった。


「そんなの、性別問わずみんな同じでしょ」


 泣きじゃくる私の肩に手が触れ、さっきまでの厳しい声音ではなく、優しい声音の声に慰められる。


「未来の事なんて誰もわからないわ。」


「あなたがノンケの私を怖がるように、私だってレズビアンのあなたが怖い。」


「さっきも言ったけど、私の身体なんて綾音にとって全然魅力がないんじゃないかとか、抱いた後にやっぱり違ったって思われないかとか。」


「やっぱり女同士だから、身体の相性って特に大事だと思うし、上手くいかなかったらどうしようって。」


「性的な事に関して、常に不安でいっぱいなの。私には知識も経験もないから。」


 麗華が私に教えてくれる不安。


 私がノンケの事が苦手なように、麗華だって自分とは違う性的指向に戸惑っているんだと知る。


「でもね、そんな不確定な未来に一々構ってられないの。」


「私も綾音も、今を生きてる。」


「今を幸せに生きれない奴が、未来を語れるわけないし、ましてや他人の未来なんか語る資格はない。」


「だから、今あなたの目の前にいる私から逃げないで。」


 そう言って、麗華の手に私の顎は持ち上げられ、無理やり視線を合わせられる。


 その力強い視線が、私との違いだった。


 麗華は私と結ばれる為に、前も見えない真っ暗な道を進んで歩いている。


 傷つく事を恐れてその場で足踏みをしているだけの私とは違う。


 同じなのは、根本的な考えだけだった。


「もし、本当に私の身体に生理的な問題がないと言ってくれるのなら…」


「今、目の前であなたを求める私を、幸せにしてあげて欲しい。」


 そう言う麗華の表情が、自分の全てを賭けた最後の言葉だと言っている。


 私がここでまた逃げて、断れば麗華はきっとこの恋を完全に諦めるのだろう。


 そうすれば、麗華は別の誰かと結ばれて、あの時は失恋してよかったなと笑える時が来るかもしれない。


 私が言い訳に使っていた、麗華にとっての最善の未来が訪れるかもしれない。


 だって私なんか何も持ってない、ただのレズビアンだ。


 麗華に普通の幸せをあげることなんてできない。


 もしこの先麗華が私と過ごした時間を後悔した時、その時間を返してあげることもできない。


 それでも私は、麗華の手を取る覚悟があるのだろうか。


 …


 長いまつ毛を伏せて、ただ私の答えを待つ麗華が視界に映る。


 そんな麗華を見た瞬間、私の手は麗華の頬に添えられていた。


「…分かった。」


 そして答えた私と、その言葉に驚くように目を大きく見開いた麗華。


「正直、麗華を幸せにしてあげる自身も、責任を持つ覚悟も…私にはまだ何一つない。」


 言葉の通りだ。私は麗華の未来に何の保証もしてあげられない。


「…でも、本気で麗華の事は好きだし、愛してる。」


 それでも私は本気で麗華のことが好きだ。その気持ちに嘘はないし、むしろその気持ちだけが私の真実だ。


 私は見開いた瞳を大きく揺らす麗華を見つめながら、息を大きく吸い込んだ。


「…だからっ!…こんな私だけどよければお付き合いしてほ…」


「…綾音っ!!!!!」


「う、うわっ!?…ちょ、麗華…」


 そして、私が一世一代レベルの告白をしようとした所…


 言い切る前に麗華に飛びつかれて遮られてしまった。


 ぴったりと素肌を押し付けて、腕と足で私にしがみついて、麗華の大好きな私の首筋に顔を擦り付けて…


 とにかく喜びを体全体で表現する麗華。


 私の告白は邪魔されるわ、返事はしてくれないわで、散々な事になっている。


 おかげで緊張感だとか、未来への恐怖心だとか、全部どこかへ飛んでいってしまった。


 けれど、麗華のその自分の感情に正直な所が私は大好きだったんだ。


 愛しい麗華の髪に、手を置いて撫でる。


「…ほんと?」


 すると、震える声で麗華は問うてくる。


「本当。」


 それに対して、私は迷いなく答える。


 もう、ここまできたら迷ってる暇なんてない。自分の気持ちを隠す必要もない。


 ただ、麗華の求める答えを与えてあげるだけだ。


「…わたしのこと、すき?」


「好き。」


「…あいしてる?」


「愛してるよ。」


「…わたし、あやねのかのじょ?」


「うん。世界一可愛い恋人だよ。」


「っ…」


 舌ったらずに、全ての不安を口にする麗華を即答して肯定してやる。


 この身体の震えは、私のせいだ。


 麗華はここまで来るのに、どれだけ私に傷つけられたのだろうか。


 未来には何もしてあげられないけれど、過去に私が与えてしまった傷の責任だけは私がなんとしても取らなければならない。


「あやね…あやね……あやね…」


 縋るように私の名前を呼ぶ麗華に、愛しさが止まらない。


「…ごめんね。全然かっこつかなくて。」


「そんなことないっ…私の大好きな、誰よりも優しい綾音だったよ。」


「…麗華。」


 あんなカッコ悪い告白を、泣いて喜んでくれるのはこの世で麗華くらいだろう。


 胸がじんわりと暖かくなる。


「綾音、好き…大好き…」


「うん。待たせちゃってごめんね…それと、私の事を諦めないでくれてありがとう。」


 ありったけの気持ちをぶつけてきてくれる麗華を、ようやく私は真正面から受け止めることができる。


 ずっとずっと躱し続けてきた私に、それでも諦めなかった麗華。


 この幸せも、全部麗華が一人で掴み取ったものだ。私は何もできなかったし、間違え続けた。


 それでも、麗華が求めてくれるなら、私はこれからを死ぬ気で頑張るだけだ。


「…んっ…あやね…」


 しばらく抱き合って、その幸せに身を置いていると、麗華は私の名前を呟いた。


 そして、首筋には私のよく知る生暖かい感触。


 更に、私の手をとった麗華は、その手を麗華の股下に誘導する。


「…うん。わかってるよ。」


 それが麗華の求愛行動なのは、火を見るより明らかであった。


「…でも、今はやめよう。」


 しかし私は、その誘導された手を優しく解き、行為を断った。


 すると、麗華の身体がビクッと跳ねて、ゆっくりと私の首筋から顔を上げる。


 私を見つめる麗華は、可哀想なくらい涙や鼻水で顔をぐちゃぐちゃにしていた。


 それでも可愛くて仕方ないと思うのは、果たして元の顔がいいからなのか、恋人フィルター様々なのか。


 私は麗華の頬に手を置いて、優しく撫でる。


「お互い泣いた後で酷い顔だし、私ダサすぎるし、ムードも全然ないから。」


 そして行為を断った理由を教えてあげると、麗華の眉間にこれでもかと皺がよった。


「…ムードとか、どうでもいい。今すぐして欲しい。」


「麗華って意外と性豪…?」


 思わず聞き返してしまうくらいに、私は麗華の直接的な求愛に苦笑した。


「…まだ逃げるの?」


 そんな私に、イラつくような声音で咎めてくる麗華。


「…ふはっ!すごい顔…全然信用されてないね私。」


 その私を見下ろす凄まじい剣幕に、私はやはり笑うしかなかった。


 麗華はきっと、私が本当に恋人となった証が早く欲しくて仕方ないんだと思う。


 これまで幾度となく、麗華から逃げてきた私だから。


 信用されてないと同時に、それほどまでに私に執着してくれていると言う事だ。


 改めて、私は今まで何をしていたんだろうという気持ちになる。


 そして、だからこそ麗華にとっての大切な初めては、ちゃんと幸せな気持ちにしてあげたかった。


 私はそんな可愛い麗華の腰に手を回し、逆の手で麗華の後頭部を自分の方に押す。

 

「…大丈夫だよ。もう逃げない。」


「…綾音?」


 そして、お互いの顔と顔の距離が近づいた時、麗華の眉間から皺が消え、状況を理解できない様子の呆けた表情になる麗華。


「…酷い顔なのは許してね。」


 私はそんな麗華に、上部だけの謝罪をして…

 

「ぇ…?…んっ!?」


 …深くない、ただ浅くもない。


 舌はいれないけれど、唇を薄く開けて麗華の唇を食べるように。


 そんな口付けを、私は麗華に押し付けた。


 逃げようとする麗華を、あらかじめ頭と腰に置いていた手で抑えてそれを阻止する。


 そうして何度も口付けを繰り返すうちに、麗華の抵抗が弱くなり、やがて動かなくなる。


「…ぷはっ…ふぅ…。」


 それを合図に、ようやく私は麗華から唇を離して満足気に呼吸を整えた。


「ぇ…ぁ、あ…なっ…」


 麗華は目を大きく見開き、口を半開きにして私の唾液を溢しながら、完全に放心している。


「麗華ちゃんのファーストキス、綾音さんが奪っちゃったね。」


「…だから、これの責任はちゃんと取るよ。」


 そんな麗華をぎゅっと抱き寄せて、優しく身体全体に手を這わせる。


 これくらいの責任、私だってとってあげられる。


 私は、腕の中でビクビクと震える麗華の耳元に唇を寄せた。


「…今夜、私の部屋においで。」


 そして、そう囁くと、麗華の身体は可哀想なくらい大きく跳ねてから、きゅっと強張ってしまった。


「ふは!なにさ、耳まで真っ赤じゃん麗華。さっきまで超カッコよかったのに〜。」


 そして、あまりにも赤く染まった形のいい耳を見て、ケラケラと笑う。


 悪いけど、麗華はもう私のものだ。


 そうなれば私にはもうだいぶ心の余裕が生まれているし、そもそも麗華とは経験の差がある。


 私が初々しい麗華をコントロールするのはわけなかった。


 可愛く羞恥心に悶えている麗華の耳元に、再び唇を押し付ける。


 そして、今度は私が麗華を逃さないように、優しく囁いた。


「…今更やっぱなしとか、無しだから。」


「…怖気付いて逃げんなよ、高嶺麗華。」

 

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