第0.7話


 ドアを叩く回数が律儀に3回。


 それだけで声を聞かずとも誰だかわかってしまう自分が嫌だ。

 

「…入ってもいい?」


 聞こえる控えめな声。


「入るわね。」


 しかし、次の瞬間には強引に押し入ってくるその緩急。


 思えば私はそれにいつも振り回されていた。


「…入っていいなんて言ってないんだけど?」


「入るなとも言われなかったから。」


「人の家を自分の家みたいに自由に歩き回るな。」


 ぶっきらぼうに答える私と、どこか余裕を持って微笑みながら私に接する麗華。


 ほんと、咲ちゃんはやってくれた。


 今の麗華は、過去1番に相手にし辛い。


「ふふ…なんだか、私に対する態度がすごく冷たくなったわね。」


 麗華はそういうと、許可もしてないのに私が横になっているベッドに腰を掛ける。


 本当に図々しい奴だ。


 しかし、私はそんな彼女が嫌いじゃない。むしろ愛らしいとさえ思ってしまう。


「…当たり前でしょ。」


 勿論、絶対に表に出してはならない感情だ。


 心と感情の一切を殺して、冷たくならなければいけない。


 隙を見せてはいけないんだ。


「どうして?」


「フッた相手と仲良くするとか、普通に無理でしょ。なんかしらんけど人の家に勝手に上がり込んでる、殆どストーカーだし。」


 私は強い言葉を使って、彼女を批判する。


 だけど、こんな酷い事、面と向かってなんて言えるわけがない。


 だから私は、ベッドが接している壁に向かって話しかけている。


「綾音はそんなことで怒るような人じゃないでしょう?」


「…何も知らないくせに。」


「知ってる。だから好きになった。」


 ことごとく私を上から見下ろすように、言葉を重ねる麗華。


 でも、これは駆け引きだ。


 きっと咲ちゃんの入れ知恵。どこか余裕を見せる事で焦った私からボロを出させようとしている。


「やめてって言ったじゃん。ノンケから向けられる好意が一番気持ち悪いんだよ。」


 だから私から発する言葉は、一辺倒。


 橘綾音に恋する高嶺麗華をただ否定する。


「どうしてそこまで性的指向にこだわるの?」


 だから、こう言った具体的な質問には答えない。無言を通す。


「私、誰かと恋仲になったこともなければ、誰かを好きになった事もない。」


 そうすることで、相手の方が少しだけ焦って先にボロを出す。


 こう言う所を、徹底的に叩いて麗華の戦意を削っていくのが私の戦い方。


「そうゆう問題じゃないから。」


「普通に男に抱かれたいとか言ってた女がさ、急に女の事を好きになるわけないじゃん。」


「それに麗華みたいに友達が少ないからって勘違いして、その友達を好きになっちゃうタイプがさ、一番無理。」


 心にも無い言葉を、麗華にぶつけてやる。


「…そう。」


 濃い付き合いをしてきたせいで、少しだけ声のトーンを落としたのが分かってしまうのが嫌だった。


 麗華が傷つく時、私の心はその何倍も傷つく。


 けれど、麗華のその傷はいつか治してくれる人が現れるから。


 早く諦めて、私から解放されて欲しい。


「…なら、私も出会い系アプリを使ってみようかしら。」


「…え?」


 しかし、その言葉には私も反応せざるおえなかった。


「綾音の断る理由が、私に比較する相手がいないからというのであれば、比較対象を作るのが手っ取り早いと思うの。」


 ドクドクと、嫌に自分の心音が聞こえる。


 出会い系アプリによって、麗華に出会いが訪れるのであればいい事のはずだ。


 今の時代、出会い系は昔ほど危ないアプリではない。きっとちゃんとした人とも出会える。


 これ好機と、麗華を送り出せばいい。


「いろいろ経験してくるから、それでもあなたの事が好きだと思えたら受け入れてくれる?」


「そ、そんな馬鹿な事考えるな!自分の身体大事にしなよ!?」


 一瞬で矛盾する私の言葉。


 内心で自分を鼻で笑う。


 …何が、身体を大事にしなよ、だ。


 アプリに危険なものは少なくなってるって、知ってるくせに。


 ただ麗華の身体に触れる人が、私以外にいるという事実が嫌なだけなくせに。


 好きと自覚してしまったのは、本当にダメだった。


 どれだけ考えて麗華を無理やり傷つけようとしても、それ以上の傷を自分の心が負ってしまう。


 よって、私の方が先にリタイアせざるおえなくなる。


 真冬さんを恨むわけじゃ無い。むしろ感謝すらしている。


 私はちゃんと失恋する為に、恋を自覚したんだから。それで前に進もうと決心できたんだから。


 だけど、この恋心は今、邪魔以外の何者でもなかった。


「なら教えて」


 麗華の方へ振り向いてしまったが故に、その意志の強さを感じる漆黒の瞳と私の瞳が合ってしまう。


 こんな時でも、好きがあふれて仕方ないのは重症だ。


「どうしたらこの気持ち、受け取って貰える?」


「だから…それは無理だってば。」


 最早、道筋から逸脱した私はがむしゃらに抵抗の意志を見せる事しかできない。


 こんなのじゃ、麗華が納得してくれるわけがない。


 けれど一度崩されたペースは、簡単には戻せない。今はとにかく、全てを否定して返すしか無いんだ。


「…そう。」


 しかし、どうしてか。


 ここにきてどこか諦めの雰囲気を出す麗華に、疑問を覚える。


 でもその態度は、これから言われる言葉の布石でしかなかった。


「さっき、出会い系アプリを使うって言ったでしょ。」


「世間に疎い私が、どうしてそんな単語を出せたと思う?」


 心臓が嫌な跳ね方をした。


 私は麗華の出した問いを、即座に理解してしまった。


 ドクドクドクドク…心臓が痛いくらいに、警笛を鳴らす。


 時が止まって欲しい、この先の言葉を聞きたくない。


 …けれど、そんな世紀の怪奇事件は起こるはずもなく。


 無情にも麗華の唇が形を変えた。


「…本当はね、もう使ったのよ。」


 まさか、自分がここまでダメージを負うだなんて思ってもなかった。


 いや、ダメージなんて優しい言葉じゃ足りない、ほとんど致命傷だ。


「…うそ…だよね?」


「本当よ。」


 一粒の望みをかけて、口にした言葉はあっけなく潰される。


 考えて、考えて…その発言が嘘だと証明できる何かを考えた。


「あ、あはは!どうせあれでしょ?咲ちゃんの入れ知恵とか…何?それで私が嫉妬するとでも思っ……」


 何とか思いついたタネ達を並べて追求していく途中…麗華の表情が目に入り、声を出すのをやめてしまう。


「その時に出会ったといい感じだから今度…」


 そして、その表情を裏付けるその言葉。


 …我慢なんて、できるはずがなかった。


「きゃぁ…っ」


 聞きたくもない話を遮り、麗華をベッドに押し倒し、馬乗りになって見下ろした。


「…綾音?」


 驚愕の表情を浮かべて私を見上げる麗華。


 ぁぁ…本当に、自分が嫌になる。


 私は、麗華の為にと、今まで積み上げてきた全てを台無しにしてしまった。


 もう言い訳のしようなんてないし、取り繕う事だって出来ない。


 ただ、確認だけはしたかった。その口から真実が聞きたかった。


 …嘘だって言って欲しかった。


「…シたの?」


「…え」


「…答えて。」


 麗華の肩を抑える手に力がこもる。


 揺れる麗華の黒い瞳。反射した自分の顔が、醜かった。


「…触らせたの?」


「ぇ…ぁっ…」


「ここも、ここも…」


 私の手が、麗華の触れた事のない部分を這う。


「…私以外の女に、私だって触れた事ない場所に…っ」


 名前も顔も知らない女が、憎かった。


 …だって相手は私と同じだ。


 私がどれだけの思いで、麗華を普通の幸せに導こうとしているか知らないで。


 そんな奴に触れさせるなら、私が…私が…っ!!


「お、落ち着いて綾音…っ」


 きゅっと、服の袖を握られて、興奮状態だった理性が少しだけ戻ってくる。


 そうして緩んだ私の手の力、その隙に麗華は起き上がって私を抱きしめた。


「…ま、まだ…まだだから…まだシてないから。」


 私を落ち着かせるように、呪文のように繰り返されるその言葉。


 酷い安堵感に襲われる。


 ただただ、麗華が汚されていない事実に、醜くも喜んでしまっていた。


 そして、次に私を襲うのは罪悪感だった。


 理性をなくして、あれだけ大切にしていた麗華を押し倒した。


 最低だ。


 一瞬でも、誰かに汚されるくらいなら自分が…なんて思ってしまった自分に吐き気を覚える。


 もう、誰でもいいから助けて欲しかった。


「麗華はちゃんと…優しい男と結婚しなきゃだめなんだ…」


「こっちにきちゃダメ…絶対に幸せになんてなれないんだから…」


「…お願いだから、ちゃんと普通の世界に戻ってよ。」


 譫言のようにゆっくりと語った私の想い。


 もうきっと私の気持ちはバレているから、開き直ってお願いをするしかなかった。


 私の視界は完全に滲んでいる。


 大粒の涙が溢れ出て、止められそうになかった。


「…それが、私の事を受け入れてくれなかった本当の理由?」


 私の話を静かに聞いていた麗華は、泣きじゃくる私の頭を撫でながら優しい声を出す。


「本当に、優しい人。」


 そして麗華はそう言って私の横髪辺りに、キスを落とした。


 私の負けで勝敗が決した瞬間だった。


 完全にダムが決壊した私は、麗華の首筋に顔を埋めて、ただひたすらに泣くことしかできない。


 ただ1人、好きな人の幸せすら守れなかった自分。ただただ悔しくて仕方がなかった。


「今はまだ私の事を受け入れなくてもいいから、答えて欲しい。」


「…私の事、好き?」


 もう答えなんてわかっているくせに、麗華は意地悪く私の耳元で聞いてくる。


 それに対して、洋服を握ることで返事をした。


「…答えてくれてありがとう。」


 そして、それで通じるのが、また愛おしくて…私は何をしても麗華には勝てないことを悟った。


「まだ、受け入れてもらえない?」


 でもそれは、どうしても無理だった。


 私がそれを受け入れてしまったら、麗華はこの先何十年という時間を無駄にする。


「でも、綾音が受け入れてくれなかったら、私を受け入れてくれる女の子のところに行くだけよ?」


「っ…」


 しかし、私が答えないことでまた別の女の話をする麗華。


 ずるい。


 そんなことを言われたら、同じ女相手だったら私の方が幸せに出来るわって、張り合いたくなってしまう。


「それは嫌?…でもそれはちょっと、わがまますぎるんじゃないかしら。」


 麗華に抱きつく腕に力が加わったことが、麗華に伝わったのだろう。


 呆れたような言葉で、咎めてくる。


 でも、仕方ないじゃないか。口では何と言おうと、私は誰よりも麗華を愛してるんだから。


「正直言う。もうね、私は普通の世界には戻れないし、戻る気もない。」


 続く言葉に、胸が締め付けられる。


「私のうちに来たらきっと驚くわよ。本棚にあった少年誌達は全部捨てちゃったの。今は百合漫画でいっぱい。」


「あの時、誤解を与えてしまった『天龍君』…今私、そいつの立派なアンチになっちゃったの。私の恋を邪魔したクソやろうめっ…ってね。」


 私の知らない事実が、淡々と語られる。


 私が麗華を変えてしまった。


 天龍君とやらに抱かれてみたいと言っていた、あの頃の麗華はもういない。


 でも、一度居た世界だ。戻れないなんてことはないはず。


 いつか、必ずいい男が現れて、幸せに…


「それと…出会い系アプリを使ったのは、本当。」


「っ…」


 やめて欲しい。


 せっかくわずかな可能性に縋ろうとしていたのに、どうしてそうやって私の心を揺さぶることばかり言うのか。


 そして、麗華がアプリを使っていた事は真実だと知って、胸がきしむように痛む。


「誰にもメッセージすら送らずに、すぐ消したけどね…」


 そして、これも麗華の意地悪さ。


 先にそれを言ってくれていたなら、私が傷つく行程を省けたはずなのに。


 敗北した私は麗華に完全に遊ばれて、音の鳴るおもちゃと化している。


 絶対にわざとやったとわかるのが、また憎たらしかった。


「綾音に似てる人を探そうと思ったけど、やっぱりダメだったの。」


「結局、私にとって一番の幸せはあなたの隣に収まる事なのよ」


 まだ結論を出すのは早いと言いたい。もっと出会いがあるかもしれないよ、と。


 けど、それを言えば、別の女の話題を出して私の嫉妬心を煽ってくるのだろう。その繰り返しだ。


 もう私の気持ちがバレた時点で、麗華からしたら後出しジャンケンで勝ち続ける事ができる簡単な勝負だ。


 私に勝ち目なんてない。


「…これだけ言って、それでも受け入れてもらえないのなら…仕方ないと思う。」


「でも諦めるとは言えない…ごめんなさい。」


「私は、この恋を一生忘れる事は出来ないから。」


「だから…私が諦めるのを待つのは、諦めて欲しい。」


「もし私の幸せを願ってくれるのであれば、私の隣に居てほしい。」


「それが叶えば、私は誰よりも幸せになれるはずだから。」


 どこまでも私を思う気持ちに、私の胸はきつく締め付けられる。


 頭では分かっている、きっと本当に一生かかっても麗華は折れないであろうことを。


「…だめ…だよ…」


 でも、やはりまだ受け入れる事はできない。


 僅かに残る、この闘志が消えるまで。


 麗華が私への恋心の為に、限界まで足掻くといったように。


 私だって、麗華の幸せの為に最後の最後まで足掻いてあげたかった。


「…私の為に、いっぱい苦しんだね…ごめんなさい。」


 麗華は、おそらくもうボロボロの私をぎゅっと抱きしめて、心の底からの謝罪をくれる。


 そして私の頭や背を何度も優しく撫でながら、それを口にした。


「…それから…ありがとう。大好きよ。」

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