第0.5話

 ただただ、私の置かれている今の状況がまるで信じられなかった。


 隣に座るのは、私を見つめる想い人。


 高嶺麗華。


 ここにいるはずのない、圧倒的な美女。


「…な、んで…」


「告白の答えを貰ってないから。」


 私がかろうじて出した声に、麗華は平然とした態度で、それでもどこか力強くしっかりとした口調で答える。


 他を圧倒するオーラを纏う麗華は、何か吹っ切れたような雰囲気がある。


 …すごく、やり辛い。


「っ…そ、それは…」


「告白受けて、返事もせずに他の女と寝るなんてどうかと思う。」


 正論ではある。


 だけど、それは因果関係が逆だ。


 告白してきたから、私は他の女と寝ることにしたんだ。


 …それを答えることなんてできないけれど。


「…言ったでしょ。クリスマスは恋人探しに忙しいって。」


 事実を本心に置き換えて、私は答える。


 麗華はその答えを聞いても、顔色ひとつ変えずに私をじっと見つめ続ける。


 その視線に耐えきれなくなった私は、目線を斜め下にずらして逃げる。


 そうして訪れる静寂に、私はどうしようかと必死に思考を巡らせた。


「今日一緒にいた人と付き合うの?」


 そんな時に、麗華がようやく言葉を発した。


 私はその言葉を、好機と捉え、利用させてもらう考えを思いつく。


「…どうかな。相性はすごく良かったから、また会う約束してるし…もしかしたら…」


 真冬さんと身体の相性が良かったのは事実だが、付き合うつもりは微塵もない。


 …だって私は麗華の事が好きだから。


 けれど、その中から事実を織り交ぜれば嘘はつかずに済むし、麗華が諦めてくれると踏んだ。


「…っ…れ、れいか…?」


 しかし、私が話している途中で麗華はそれを遮るように私の手を掴んだ。


 それから麗華の綺麗な顔が、ぐっと寄ってきて心臓が大きく跳ねる。


 好きを意識してしまったせいで、この距離でもまともに息ができない。


 最悪だ。こんな事なら自分の気持ちに気づきたくなかった。


 再び、じっとその漆黒の瞳に見つめられる。


「…それが本心かどうかは、どうでもいいわ。」


 ゆっくりと唇を開いた麗華は、言葉を紡ぎはじめる。


「私はどうしてもあなたを諦めきれなかった。だからここにいる。」


「だから言葉だけで、私を抑制させるのは無理だと思ったほうがいい。」


「もし体の相性が最重要と言うのなら、今からホテルに行って、その人と私、どっちがいいのか確かめて。でないと私は納得しない。」


 淡々と話す麗華。


 一つ一つの言葉が衝撃的すぎて、その熱い視線から目が離せない。顔に熱が溜まる。


 ダメだ。私は麗華を幸せにすると誓ったんだ。


 今はどれだけ傷つけてでも、私を求める麗華を遠ざけなければいけない。


「なっ…!何言ってんの麗華っ!そんなこと絶対しないから!」


 私は全力で麗華を否定して、その手を払う。


 しかし、麗華はその私の行動を悲しむようなそぶりを見せない。


 いつもの麗華なら、私に拒絶されれば小さな事でも子供みたいに駄々をこねて泣いていたはずだ。


 なのに今日の麗華は何か違う。


 私相手に圧倒的優位に立っているかのような余裕のある振る舞い。


 終始圧倒され続けている私の内心はかなり焦っていた。


「なら、話し合いましょう。私はまだ告白の返事も貰えてない。」


 払われた手を気にせず、麗華が平坦な声音で聞いてくる。


「…察してよ。あれは一般的に無理って意味だよ。」


「その理由は?私が納得できる理由が欲しい。」


「…な、なに。どうしたの麗華。なんだかすんごい面倒臭い女になっちゃったね…」


 やはり、言葉だけでは通じない。麗華を止められない。


 あんな酷いフり方をしたのに…麗華に何があった?


 私の言葉を聞いた麗華は、私から目を逸らして空を見上げた。


「…私はこの先、一生あなたを思い続けるわ。」


「…え」


 そして呟くように吐かれた言葉に、私の胸はまた大きく跳ねた。


 固まる私をよそに、麗華は言葉を続ける。


「面倒な女って自覚はある。嫌われても仕方ないとも思ってる。」


「でももし、綾音が他の女の子と付き合うと言うのなら、その間は絶対にちょっかいをかけないと約束する。」


「だからそれまでは、どうか私に足掻かせて欲しい。」


「今日は、それだけ伝えに来たの。」


 そこまで言って、麗華はまた私の方に視線を移す。


 もう私の方は、まともに麗華の顔を見ていられなかった。


 私の内側に居る、麗華に恋する私が今すぐにでもその手を取ろうとしてしまうから。


 それと同時に、こんなにも思い合っているのにその手を取る事ができないという残酷な現実に、涙が溢れ出そうになる。


 今すぐ抱きしめて、私も好きだと叫びたい。


 けど、ダメなんだ。絶対にダメなんだよ。


「これだけはハッキリ言っておく。」


「どんな風に思われても…私はずっと綾音の事を思い続けるわ。」


 追い討ちのように発される言葉。


「…やめて」


 私の声が震える。


「め、迷惑だからそういうの!!!ノンケから愛されるとか気持ち悪いし、ほんとに無理だから!!!」


 そして、私は麗華を背にしてベンチから立ち上がって叫ぶ。


 かなり酷い事を言っている。むしろ私の方が麗華に嫌われるような言葉。


 けど、もうそうするしかなかった。


 だって何を言っても、麗華が諦めてくれる様子がなかったから。


 地面を見れば、ポタポタと自分の目から水滴が落ちている事に気づく。


 ダメだ。泣いている事に気づかれたら、言葉に説得力が無くなる。


 私は涙を必死に止めようと、歯を食いしばる。


 けれど、後ろからぎゅっと抱きしめられて、また涙が溢れ出た。


「…本音?」


 耳元で囁かれた言葉。


 私は何も答えられない。


「本当に優しい人。」


 私の沈黙をどう捉えたのか、麗華は軽く微笑んでから私を抱きしめる力を強くする。


「…どんな理由があるのかわからないけど、もしその涙が私の為に流したものなら…自分を傷つけるのはもうやめて。」


 そしてそのまま、器用に私のタートルネックをずらして首筋に唇を押し付けてきた。


 懐かしいその感触。麗華にだけ許した行為。


 跳ね除けなきゃいけないのに、私は麗華の手を掴んで固まるだけ。


「…抵抗、しないの?」


 唇をくっつけて動かしながら喋るから、温かい吐息が当たって背筋がゾクゾクとする。


「…別に、これくらい好きにすればいいじゃん。いつもしてたし。」


「状況が違うでしょ。今あなたのここを舐めているのは、あなたを性の対象として見ている女よ。」


 実は状況は違わなかったりする。


 だって前から麗華が私の事をそういう目で見ている事は、知っていたから。


 ただ私の心境に変化があっただけ。


 好きを自覚してしまった事で、心がひたすらに喜んでしまう。そんな変化。


「…私にとって、麗華は麗華だから。これくらいなんともない。…何?意識してもらえると思った?」


「違う?」


「…ノンケのくせに調子に乗んな。」


 私はやはり余裕がある麗華を危険だと判断して、引き剥がそうと体を捩る。


 しかし、そうした事で私の身体が麗華の方を向いた瞬間に、それ以上に強い力でぎゅっと締め付けられて抱き合う形になってしまう。


 しかも、そのまま耳に唇を押し付けられて、ありえないほどに心臓が大きく跳ねた。


 ヤバい…そう思った時にはもう遅かった。


「…好きよ。綾音。」


「っ…」


 ゼロ距離で吐息ごと感じてしまった、好きな人からのその言葉。


 過去1番の幸福と、歓喜と、それらと葛藤する理性。


 麗華の胸元をぎゅっと握りしめて耐える。


 今まで色々な女の子を好きになってきた。付き合った子だって数人居る。


 でもこんな事、された事ない。


 心臓が煩い。鳴り止まない。黙れ。


「…愛してる。」


 そして少し間を開けて、麗華は更に追い打ちをかけてくる。


 耐えて耐えて、必死に耐えた。


 好きだから、答えない。答えてはいけない。


 麗華の胸元で荒い呼吸を繰り返して、手に力が戻ると同時に私は麗華を押し離した。


「…絶対、…愛されてやんないから。」


 私は最後の理性を振り絞って、なんとかそれを口にする。


 麗華は一瞬だけポカンとした表情をした後、クスクスと上品に笑い出した。


「…何笑ってんだキサマ。」


「んーん。可愛いなって。」


 ギロッと睨んだのに、微笑みながらそんな事を返されて、また顔に熱が溜まってくる。


「っ…う、うっさいから!」


 本当に調子が狂う。


 いつも私が麗華の事を可愛がっていたのに、ずっと押されている。


 こんなに強い子じゃなかったはずなのに。


 …いや、恋を自覚したせいで私が麗華に弱くなったのかもしれない。


 しかも最悪なのが、私から拒絶しても全く無傷な事。今の所なす術がない。


「…帰ろ。綾音。」


 そんな風に現状に頭を抱えていると、麗華から手が差し伸べられる。


 ぎょっとして麗華を見れば、困ったように笑っていた。


「いいでしょ?私達まだ親友なんだから。」


 その言葉に胸がきゅぅっと締め付けられた。


 告白されて、断って、酷いこともして。


 まだ私を好きでいてくれて、それまで否定したのに。


 私の事を今も親友だと言ってくれる。


 とにかく麗華が私の事を想ってくれているのが痛いほど分かる。


「…ずっと親友だバカ!!!!!」


 私は麗華の手を勢いよく取った。


 本当は距離を置くべきなんだろう。けれど、親友という免罪符を持って、麗華のそばに寄ってしまった。


「あ、親友ではいてくれるんだ。」


 私のその行動には、ずっと平然を保っていた麗華も驚いた表情をしてくれた。


 しかし、それも一瞬で。


 気付けば上機嫌な麗華が、私の腕に絡みついてきていた。


「…変なことするなら、遊ばないかんな。」


「…うん。いつも通りの事だけで十分だよ。…今はね。」


「これから先ずっとだアホ…」


 ぎゅうっと、確かに以前までと同じ行動だけで麗華は求愛してくる。


 ていうか、前までの麗華の行動がおかしかったから、そこまで許すと色々まずい事に今更気がついた。


 即座に訂正してやろうと、私に抱きつく麗華を見て目を見開いた。


「…あぁ…もう…」


 私の腕に抱きつきながら、麗華は静かに涙を流していた。


 …こんなの、ずるいじゃん。


 ─あの時、どれだけ傷ついたんだろう。


 ─今、どれだけ喜んでいるんだろう。


 確かに何かがきっかけで、麗華に余裕が生まれたのかもしれない。今日の様子を見れば、変わったのは確かだ。


 けど、麗華はやっぱり麗華なんだ。


 私の事が大好きで、すぐに嫉妬しちゃって、寂しがり屋で、泣き虫で、甘えん坊で。


 …私の愛する高嶺麗華だ。


「…あやね?」


 私は泣きじゃくる麗華の頭を抱き抱えた。


 でも、やっぱり気持ちには答えてはあげられない。


 本当に好きだから。麗華の幸せは、他にあるはずだから。


 ─大好きだよ、麗華。


 その思いを込めて、麗華の頭に顔を埋めた。


「…ごめんね。」


 そして、その言葉だけを声に出す。


 麗華は私の服をぎゅっと握って、答えてくれた。

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