第20話


「悪い。みっともない所見せたな。」


 目元を赤くして、ようやく泣き止んだ咲先生は、照れくさそうに笑って私を見る。


 私よりも全然年上だし、私よりも背が高い咲先生。だけどどこか守ってあげたくなるような、なんというか私の母性本能をくすぐってくる。本当にすごく可愛らしい人だ。


「いえ。みっともなくなんてないですよ。先生はすごく立派です。」


「お前は強いな。…そして、優しいやつだ。」


「今更気づいたんですか?」


 私がニヤリと笑ってそう言うと、先生はやれやれと言うように一度肩を上げて、ベットに腰掛ける私の方に向かってくる。


「生意気な所も、今は素直に可愛く感じるな」


 そして、そう言いながら中腰となり、私をぎゅうっと抱きしめた。


「…咲先生?」


「お前は私の娘になるんだ。いいだろ、これくらい」


 私が咲先生の行動に疑問を持つと、そんな風にすごく嬉しい事を言ってくれた。


「ふふ。いいですよ。好きなだけ可愛がってください」


 私は先生の愛情表現を、受け止める。


 首を軽く動かして、横にある先生の頭に自分の頭をぶつけると、後頭部を何度も撫でてくれる。


「綾音の為だけじゃない。お前の事も今はすごく気に入ってて、多分…同じくらい愛してる。」


 そうして暫くすると、なんと咲先生は私のおでこや後頭部に何度も口付けをくれる。


 一瞬驚いたけれど、言葉と組み合わせて読み取るならば、咲先生なりの愛の証明なのだろう。


 そんなことしなくても、私はわかっているのに。


 でも、嬉しいから私の方からも先生に回した腕にぎゅっと力を込めて、後はされるがままになる。


「だから…綾音の事、頼む。」


「…勿論です。」


 言われなくてもそのつもりだ。咲先生から託された思いもある。私はもう迷わない。


 誓うように、私も咲先生のこめかみあたりにひとつキスを落とした。


 なんだかすごく恥ずかしい事をしている気がするけれど、それよりも咲先生とより親しくなれた事にすごく心が満たされた。


「…と、いうことで。準備しろ高嶺。」


 そんな愛しい時間を過ごしていたのに、急に私から体を離した先生はまた訳の分からない事を言い出した。


 私がそれに対して首を傾げると、先生はニヤリと笑って私の頭に手を置いた。


「外堀、埋めちまおうぜ」



「明乃さん、外で待ってなくていいって言ったでしょう?」


「んふ、だって麗華ちゃんに会うの楽しみだったんだもん〜」


「あー、もう。ほら、めっちゃ冷えてる。いつから外にいたんですか。」


「ん〜連絡があってからすぐ?」


「アホですか!?あいつんちからここまで車で40分ですよ!?」


「平気よ咲ちゃん〜。相変わらず心配性なんだから。」


 な、なんなのこの状況は…。


 咲先生に言われて、宿泊セットの荷造りをさせられ、車に放り込まれ、訳も分からず連行されてきてみれば…この光景。


 咲先生に怒られながらも、抱きしめられて幸せそうな笑みを浮かべている女性は一体誰なんだ…いや、正直想像がつく。


 だって、あまりにも綾音と瓜二つなんだもの。


 それに明乃さんという名前。確か綾音の母の名前であったし状況からしてほぼ確定だろう。


 あの人は綾音のお母さんだ。


 しかし、お母さんというにはあまりにも若すぎるし、美しすぎるし…


 それになんだあの2人。抱きしめる咲先生と抱きしめられている明乃さん…ものすごく絵になる。


 いやいや、今はそんなことよりも大事なことがあるだろう。


「あ、あの…咲先生…」


 置いてけぼりにされている私は、どうにか状況確認をしようと咲先生に声をかける。


「んぁ。おう高嶺。自己紹介は後だ。…明乃さん、案内頼みます。私は車置いて荷物下ろすんで。」


「は〜い」


 しかし、私に話す権利はないようで、咲先生は私の横を通り過ぎて車に乗り込んでしまう。


 そうすると、私は初対面にして既視感しかない超絶美人さんと2人きりになるわけで…


「ふふ、生で見るとより美人さんねぇ。いらっしゃい麗華ちゃん。」


 優しく微笑むその顔が、あまりにも愛する人に酷似していて。


 ドキッとしながら、首を縦に振ることしかできなかった。



「なんとなく気がついてると思うけど、私は橘明乃。橘綾音の母です。」


 おぼんに紅茶を乗せて、それをテーブルに並べながら自然な流れで自己紹介をされる。


 その声に、私の体は一気に強張る。


「あ、えっと…高嶺麗華です。その…娘さんには大変お世話になっており…」


 姿勢を正し、その上、背やお尻にこれでもかと力が加わって、ガチガチになりながらなんとか言葉を発する。


「ふふ、そんなに畏まらなくていいのよ?」


 それに対して明乃さんは、綾音にそっくりな笑みを浮かべる。


「ふは、なんだお前。緊張してんのか?」


「あ、あたりまえでしょう!?」


 そして車を開き終え、荷物もおろしてくれた咲先生はケラケラと笑って私を馬鹿にする。


 しかし、この状況で緊張するなというのは無理がある。


 だって目の前にいる人は私が恋する女の子の母親。しかもその好きな女の子に酷似している。


 更に場所だ。ここは好きな女の子の実家である。本人がいないのに、こうして私は足を踏み入れている。


 やはり緊張するなは、無理だろう。


「まぁ肩の力抜けよ。そんなんじゃもたねぇぞ」


「そうよ。自分の家だと思ってくつろいでね。」


 そんな私を置いて、当たり前だが宿主2人はリラックスモードである。


 だいたいなんだ。1週間って。外堀を埋めるとは言っていたがあまりにも長すぎる。そんな長い間ここに滞在するのか私は。


「ほら、明乃さん。身体冷えちゃったんだからもっと寄って。」


「はいはい。」


 私が頭を抱えている前で、咲先生はそんな事を言って隣に座る明乃さんを抱き寄せた。


 そして、身長差もあってか、明乃さんを抱え込むようにぎゅっと自分の体で包み込んだ。


 明乃さんを見れば、とろんとした表情で咲先生の鎖骨に顔を寄せている。咲先生はそんな明乃さんの身体の至る所に熱を渡そうと、摩るように触れる。


 結局明乃さんは前に座る私にお尻を向ける形で女の子座りをし、咲先生に抱きついて、それを咲先生が体育座りのような姿勢で足まで使ってしっかりホールドする形に落ち着いた。


 さっきも思ったことだが、なんというか距離感がおかしくないだろうか。


 いや、最近単純に百合カップルにハマっている事もあり、大変眼福ではあるのだが…そう、この2人が百合カップルにしか見えないのだ。


「あの…お二人が同居してしているのは聞いてたんですが、どういったご関係なんでしょう?」


 私はイチャイチャしだした2人の邪魔をしてしまうのを申し訳なく思いつつ、さすがに気になるので聞いてみる。


「ん?あー、言ってなかったっけ?」


 すると、明乃さんの髪に顔を埋めていた咲先生は私に目線をくれる。


「明乃さんは、私の妻だ。」


 そして、なんてことないように衝撃的な言葉を言って、ちゅっと明乃さんの髪にキスを落とした。


 それから明乃さんの頭を掻き抱いて、もう一度私に目線を向ける。


「だからお前、いくら綾音に似てるからって明乃さんに手出すなよ。」


 溢れ出る本気の独占欲。おそらく私が綾音と瓜二つの明乃さんにドキドキしっぱなしだったことに対する抑制なのだろう。


 しかしそれよりも何よりも、咲先生の発言に衝撃を受けすぎて私は固まって動けない。


「…つ…つま?」


「勿論正式なもんじゃないけどな。」


 そう言う咲先生の左手に見えるエンゲージリング。そういえば咲先生のSNSアイコンが婚約指輪二つが並んだ物だったはず。


 ずっと旦那さんがいるもんだと思っていたが、その相手が綾音のお母さんだったなんて。


 どうりで同性愛者について詳しいわけだし、綾音にこれでもかと愛情を注ぐわけだ。


 なるほど、色々腑に落ちた。


 …ん?


『綾音に似てるからって明乃さんに手出すなよ。』


 って、明乃さんの前で言っていいの?


 だってそれってつまり私が綾音を狙っている事を示唆する言葉なわけで…


「もう咲ちゃんたら、やきもちやいちゃって。親子だから綾音に似てるのは当たり前かもしれないけど、麗華ちゃんだって私みたいなおばさんは嫌に決まってるわ。」


 明乃さんはそれを当たり前のように受け入れている。


 いや、明乃さんくらい美人だったら誰だって大歓迎すると思う。って、今はそうじゃなくて。


 私はその事実にサーッ…と血の気が引いていく感覚を覚えた。


「…あ、あの」


「ん?」


「私が綾音の事…その…明乃さんは知ってるんですか?」


「おう。」


 咲先生のなんでもないような返事に、明乃さんを見れば、ニコニコと優しい笑みをうかべていた。


「あ、あのっ!娘さんとは清い関係で、まだなにもなく…その、本当に何もなくっ…!」


 色々な思考が脳内を一気に巡った結果、私はソファから飛び降りて土下座の形を取っていた。


「大丈夫だぞ。明乃さんは私とお前のメッセージのやりとりも知ってるから。」


「…え?」


「あ、あれすごく可愛かったわよ?ほら、ツインテールで自撮りして送ってきてくれたアイドルのやつ。」


 先生とのやりとり…綾音に関するあんなことやこんなこと、全部見られていた…?


 しかも黒歴史であるあの動画が、綾音の実の母の目に入っていたという事実。


 …あぁ、私の人生終了だ。


 自分の死を悟った私は、正座をしながら両掌を合わせ、天を仰いで穏やかな笑みを浮かべた。


「…どうか来世では綾音と結ばれますように」


「あらあら。」


「気にしないでください。知っての通り基本的にアホなんです、こいつ。」


 酷い言い草だ。元はと言えば私とのやりとりを勝手に見せた咲先生が悪いのに。…いや、でも夫(雰囲気的に咲先生)のSNSチェックは妻として当然のことなのだろうか。私と綾音に置き換えて見ると、多分私は綾音のスマホをチェックしたくなるタイプだ。


 ふむ、ならば咲先生を責めることはできないか…


 しかし、妙だと思う。あんな内容を見られて、どうして明乃さんはそんなに優しい顔で私を見るのだろう。


 普通に自分の娘に欲情する女なんて、嫌悪されて然るべきだと思うが。勿論咲先生は除いて。


「あ、あの…じゃ、外堀を埋めるというのはどう言う事でしょうか…」


 とりあえず無我の境地から帰ってきた私は、2人に問う。


 私の目が腐ってなければ、どこか明乃さんには私を受け入れてもらえている雰囲気を感じる。


「もう、また咲ちゃんは"言葉足らず"したのね?」


 そんな明乃さんはぷんぷんと可愛らしく頬を膨らませて言った。


 え…あまりにも可愛すぎる…


 …じゃなくて…言葉足らずが動詞になるくらい咲先生は言葉足らずなんだなぁ。私も多分に覚えがあるが、妻である明乃さんからもその認識なんだ。


 どこかバツが悪そうな顔で、咲先生は答える。


「明乃さんがお前を連れてこいって言ったんだよ。」


「あの娘のことだから、クリスマスデートに誘った麗華ちゃんをありもしない理由で断ったんじゃないかなって思って。」


 さすが母…まさかお見通しだったとは。


 しかし、ありもしない理由ってわけでもないのがなんとも。レズビアンの恋人探しがクリスマスに活発になると言うのは納得できるし。


「それなら逆に私達で麗華ちゃんの事囲っちゃおう!ってね。」


 そのぶっ飛んだ発想に、私はポカンとする。


 どうして私がデートを断られたら、明乃さんが私を囲うという発想に至るのだろうか。


 問うように咲先生へ視線をずらすと、優しく微笑まれた。


「まぁあれだ。私も明乃さんもお前の事気に入ってんだよ。だから外堀を埋めるっつーか…既にほぼ埋まってるっつーか…うん。」


 なんだその意味のわからない現象は。


 しかし、両親共に気に入られていると言うのは素直に嬉しいことだ。普通に考えて好きな人の両親がここまで応援してくれる状況、滅多にないと思う。


 ということは、この一週間は明乃さんが私を観察するものだと見るべきか。


 …それはそれでやはりリラックスできない気がするんだけど…


 ぎゅっと再び強張る身体。


 そんな私に気づいた明乃さんは、優しく微笑んで口を開いた。


「別に麗華ちゃんの事を見定めようとか、そういう気は全くないから安心してね。将来私の娘になる子だから、ママも麗華ちゃんと仲良くしておきたいのよ。」


 そうは言うが、やはり緊張は解れない。


 というか、咲先生も明乃さんも完全に私を娘にする気まんまんなんだけど…綾音の気持ちはどうなるんだろう。いや、勿論私は必ず綾音をモノにして見せるけど…


「そうね…だったらまずはアレよね。アレ。」


 明乃さんは今だにガチガチに固まった私の身体を見て、微笑む。


 そして酷く色っぽい唇が、動いた。


「裸のつ・き・あ・い」

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