第0.2話

「完全に思わせぶりだし、友達相手にドン引きするとかその人ありえませんねっ!!!」


 私の話を聞いたミカンさんは、眉間に皺を寄せて怒りを露わにする。


 しかし、その後すぐにため息をついて眉間に寄ったシワが元に戻る。


「…って、言えないのが私達レズビアンなんですよね。」


 その全てを諦めたような表情に、この人も同じような経験をし、苦しんできたんだとすぐに悟る事ができた。


「仕方ないよ。私達は異端者なんだから。」


「なんだか同じ同性愛者の人と話すと、安心しますね。」


「不幸自慢とレズビアンあるあるを話してさ、RPで叶わぬ恋を消化させようとする。私達がやってることってただの傷の舐め合いだよね。」


 私達がこうして一夜を共にして行なっているすべてが、しょうもなく惨めな傷の舐め合いだ。


「いいと思いますよ。だって、見えなかったら傷を舐める事すらできないんですから。」


 ミカンさんは、寂しそうに笑ってそれを肯定する。


「私達を傷つける人達は何も悪くない。そもそも傷つけている自覚がない。だから私達の傷には気づかない。」


「けれど、同じ同性愛者なら分かり合える。」


「私は私の傷を見つけて舐めてくれる人がいるから、まだ生きていられる。それすらなくなれば、きっと私に明日は来ない。」


 ミカンさんが持つ重すぎる考えにも、私は理解できてしまう。


 私にもそんな時期があったし、今だってこうしてミカンさんに鬱憤を吐き出している。


「…そうだね。」


 どこまでいっても、私達は救いようがない悪者達だった。


「ところで、その話を聞く限りだときっぱり恋を諦めたように聞こえるんですけど。それでどうして今でもシオンさんは相手にレイカさんを重なるんです?」


 重たい話を切り替える為に、話を戻すミカンさん。


 切り替えてもなお、重い話題なのは同性愛者が異端が故か。


 それでも、この話は話す事でスッキリするものだ。まだマシだと言える。


 私は腕に抱くミカンさんを見つめて、口を開く。


「今の話は私の失恋話。ここから先は麗華の恋話。」


「ん?」


「麗華はさ、私に恋してたんだよ」


「…ええっ!?!?!?」


 私の言葉を聞いたミカンさんは、行為中にも出さなかったような大きな声で驚いてみせた。



 私は麗華から距離を取った。


 そして、縁も切るつもりだった。


 恐らく麗華は今頃レズビアン相手にベタベタと接触していた事実に恐怖し、嫌悪し、吐き気を覚えている頃だろうと思った。


 あんな反応をしたのだから、そう思って疑わなかった。


 だから私の方から連絡手段を全て絶った。


 幸い、私の家は麗華に知られていないから突撃されることはない。


 キャンパス内だって敷地も広ければ生徒も多い。何よりいくらでもサボれるゼミ以外の授業が被っていないという奇跡も私の後押しをしている。


 だから大学には普通に行けた。あのベンチとゼミにさえ出席しなければ、麗華と会う機会などどそうそうない。


 元々同じ学年には友達も居たし、キャンパスライフに支障はきたさなかった。


 そうして麗華と離れて過ごす日常は、案外普通に過ごす事ができた。


 私が離れた事で麗華が幸せになれるのならそれでいいと、どこかそんな自己犠牲に酔っていたのかもしれない。


 ここで私の恋は一つ終わった。


 …けれど、あの日…突然のインターホン、モニターに映る麗華の姿を見て目を見開いた。


 綺麗な顔をくしゃくしゃにして、ただ一言『会いたい』と願う麗華に、私の胸がキツく締め付けられた。


 そして私が姿を見せると、麗華は物凄い勢いで私に突進してきてしがみつき、謝罪の言葉と側にいて欲しいという必死の懇願を受ける事になる。


 その瞬間、私は『レズビアンの橘綾音』を殺して麗華を守ったけれど、そのせいで麗華から『唯一の友人の橘綾音』を奪ったのだと気づいた。


 私のくだらない性的指向で麗華を振り回してしまった事を、ひどく後悔した。


 だって、そもそも私が麗華を好きになったのがいけない。


 好きにならなければ麗華がノンケである事に落胆し、そんな自分に嫌悪して性的指向をカミングアウトするような事にならなかったはずだ。


 私はこの時決心した。


 麗華の親友で居続けることを。


 幸い、私が麗華を好きだった事はバレていない。ただレズビアンである事をカミングアウトしただけだ。


 それに、麗華に対する恋心が消えていたことも好都合だった。


 だからそこまで麗華が友達の私を求めるならと、その華奢な身体を再び抱きしめる選択をした。


 これで私達は晴れて同性の親友になる事ができる。お互いに全てを受け入れ、友達として抱きしめ合う事ができる。


 …しかし、私の犯した罪はあまりにも大きかった。


 一度私から連絡を絶ったという事実は、麗華に想像以上に深い傷を与えてしまっていたようで、以前にも増して私に強い執着心を見せるようになった。


 そして、その麗華の異様な変化に私はすぐに気がついた。


 レズビアンの私に気に入られる為に、意識的にか、無意識にかはわからないけれど、自分を変えた結果なのだろう。


 私を失わない為に、麗華はレズビアンが最も大切にするであろう恋人枠を奪いに来たのだ。


 きっとそれが高嶺麗華の人間性なんだと思う。それを否定するわけじゃない。むしろそこまでして私を求めてくれるのは素直に嬉しいとさえ思う。


 けれど、不慣れにも足掻く麗華の行動の全てが私の目には酷く痛々しく映った。


 私がレズビアンだと言わなければ、麗華がこうなる必要はなかったのに。


 ─不便なベンチの上では、背もたれでしかなかった私の上に跨るようになった。


 ─私の好きな女の子のタイプを聞いて、いっそ清々しい程に不満を表にした。


 ─次に日には私が好きなタイプの例に挙げたアイドルを真似てきた。


 ─私の首筋に、これでもかと口付けを落としてくるようになった。


 ─立派な手作り弁当を作ってきて、恋人同士がするような食べ方をさせられた。


 私はそれらの行動全てに知らぬふりをして親友として受け入れ続けた。麗華のアピール自体は否定せず、その恋心だけを遠け続ける。


 素直に可愛いと褒め、健気な努力は必ず認める。けれどその先へは絶対に通さない。私からは『ノンケが嫌い』だと麗華に何度も言い聞かせて絶対防御の壁を作った。


 そして目線を合わせて、私の中で麗華はずっと一番だよと伝えてあげる。


 例え麗華が私から目を逸らして、他の男性と幸せになってもそれは変わらない。


 だからその偽りの恋心を捨て去って、麗華は自分の人生を歩んでほしいと願った。



「いっそ付き合っちゃうっていうのは…ダメなんですか?」


「それだけは絶対ダメだね。」


 ミカンさんのその言葉には間髪入れずに否定する。


「私が折れる事はないよ。麗華の為に。絶対に受け入れるわけにはいかないの。」


「…同性愛者のレッテルを、レイカさんに背負わせたくないんですね。」


 さすがは同じ同性愛者だ。私の考えは、今の一言でミカンさんに伝わったようだ。


 私以外に友達がいなくて寂しいというだけの、一時の感情でそんな業を背負わせるわけにはいかない。


 だって私がカミングアウトをしたときの、麗華の悲痛な表情を覚えているから。


 だから私は頑なに麗華を偽りの恋心から遠ざけてきたんだ。


「でも、シオンさんはまだレイカさんの事が好きなんですよね?だから相手をレイカさんに見立ててるんですよね?」


「いや、私にはもう本当に恋愛感情はないよ。」


 その質問に対しても、私は即答する。


「…じゃあ、どうして」


 困惑するミカンさんを見つめて、私はゆっくりと口を開く。


「自分がレズビアンである事を、忘れないようにだよ。」


 私の言葉に、ミカンさんはゴクリと喉を鳴らして、それから寂しそうに瞼を閉じた。


 きっと、これもまた伝わったのだろう。


 私はミカンさんをぎゅっと抱きしめながら、続きを話す。


「麗華が私の事を恋愛対象として見始めたのには、割とすぐ気づいたんだ。」


「その頃からかな。こうしてアプリを使って知らない女の子とセックスするようになった。」


「相手を麗華に見立てて抱くと、自分がどれほど醜い存在なのかを嫌というほど思い知るんだ。」


「そうするとね、間違っても麗華の恋心を受け入れようなんて気にならなくて済む。」


「私が好きになる事はないから、同情で麗華を受け入れるっていう意味合いが強いかな。もし麗華に『恋人にして欲しい』って泣きつかれでもしたら、その顔に弱い私は揺らいじゃいそうだし。」


「まぁ、そんな事で受け入れたって、絶対に麗華は幸せにならないよね。」


「だから、間違っても麗華の事を受け入れないように、自分を汚す。」


 私が説明した事を、ミカンさんはきちんと理解してくれたようだった。


 麗華が私の事を好きになってしまったのだと気づいた時、私は久しぶりにアプリを開いて他人と寝た。麗華と過ごすようになってから、久しく使っていなかった物。


 定期的に女の子を抱いて、自分が麗華を受け入れてはいけない存在なのだと、徹底的に己の身体に教え込んだ。


 相手の女の子を、麗華だと思って抱くと、酷い幸福感に満たされた。それが本物の麗華への罪悪感へと変わる。


 その循環こそが、私が相手に求めたセックスだった。


「だから別に麗華の事が好きとか、そういうのでRPまでして抱いてるわけじゃないんだ。」


 ミカンさんはまた悲しそうな顔で、私の服をぎゅっと握りしめた。


 なんだか結局同性愛者の不幸自慢になってしまったな。


 共感してくれるのはありがたい事だが、それはつまりミカンさんも同じ痛みを味わう事を意味する。


 申しわけなさから、腕に抱いているミカンさんをぎゅっと抱きしめる。


 そして、そろそろ私の話を終わらせる為に、結末を話してあげることにした。


「というかね、もうレイカには告白されて、私はそれを断ってるからさ。」

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