第0.3話

「…今年のクリスマス、よかったら私と過ごしませんか!!」


 正直恋人繋ぎに許可を求めてきた時に、察していた。


 顔を真っ赤にして、何かを期待する表情。それでいて決意に満ちた瞳。


 …あぁ、麗華は私が必死に引いていた白線を飛び越えようとしているのだな、と。


 付け入る隙なんて与えなかったはずだ。ノンケ嫌いを徹底したし、さりげなく麗華と会う頻度だって落とした。


 確かに麗華の行動を素直に受け入れたのは、隙と見られてもおかしくはないかもしれない。


 けど、そんな些細な事で私たちの関係が壊れるかもしれない大きな賭けに出るのだろうか。自分を偽る程に強く私を求める麗華がそんな私を失うようなリスクを犯すとは思えなかった。


 だったらどうしてここにきて…麗華が大胆な1歩を踏み出そうとした理由が分からない。


 単にクリスマスというイベントに当てられたというだけでこんな行動に出ているのだとしたら、私はこの日を一生恨むだろう。


「…綾音?」


 不安そうに私を見つめる麗華。顔を真っ赤にして、可哀想に、緊張で目尻に涙を溜めてしまっている。


 綾音の行動理由の答えを見つける時間は無かった。


 ここから2人の関係が変わらないように、間違えない解答をしなければならない。


 いっそ知らぬふりをして受け入れるか?…いや、それは無理だ。この雰囲気はどんなに鈍感なやつでも気づくもの。受け入れるという事は麗華の告白を受け入れると同義。絶対に無しだ。


 ならば断るという選択肢しか残っていない。


 だが、そうなるとなんと断るのが正解なのか。私は必死に脳を働かせた。


 クリスマスを恋の一大イベントにしたのはどこのどいつなんだろう。これが普通の日なら、簡単に返事ができたのに。


 私はクリスマスと恋をテーマに、咄嗟に予定をでっち上げた。


「あー、ごめん麗華。」


「クリスマスは私、恋人探しをしなきゃいけないから。」


「ほら、レズビアンって出会いが少ないじゃん?だからそういう特定の日ってみんなが同じように動くから、数少ない大チャンスなんだよね。だからその日は…」


 そこまで言って、指と指がきつく絡まっている手に、さらに力がこもった。


 その瞬間、悟る。


 …あぁ。間違えた。


 何の受け答えも用意していなくて、テンパった割にはいい断り方が出来たと思った。


 けれど、実際は最悪な選択だった。


「…私じゃ、ダメですか。」


 綾音がぎゅっと目を閉じて発したその言葉。それと共に、私も空を見上げて瞼を閉じた。


 私の負けだった。


 その言葉を聞いた瞬間、2人の関係が完全に終わる音がした。


 …まぁ、でも何を言っても結局こうなっていたとは思う。麗華が一歩踏み出した時点で遅かれ早かれだ。


「…ずっと言ってたよね?私、ノンケは恋愛対象にならないよって。」


 私は一切の感情を押し殺し、咎めるような無表情で麗華を見つめてそう言った。


 そうする事で、咎められた麗華が思い直してくれる事を期待して。言葉を取り消してくれる事を願って。


「わかってる…それでも私は…」


 それでも、綾音はついに涙を流して震えた声で立ち向かってきた。


「ねぇ。さっきの聞かなかったことにしてあげる。」


 それを私は、冷たい表情で遮った。


「だからさ、これからも友達でいよう。」


「っ…なんで…」


 私の事を見つめる麗華の瞳が、信じられないと言わんばかりに大きく見開かれて、大粒の涙が溢れ出る。


「私からのお願い。…聞いてくれるよね?」


 そんな麗華に優しい言葉なんてかける事はしない。

 

 私は繋がれていた手を離して、強要する。


 麗華は歯を食いしばり、顔を大きく歪ませてから両手でその顔を隠す。


 可哀想なくらいしゃっくりを繰り返して、何度か顔を袖で拭ってから私を再び見た。


 全く拭いきれていない涙で顔をぐちゃぐちゃにし、私を見つめてくる。


 そのあまりの痛々しさに耐えきれなくなって、私は麗華から目を逸らした。


 そして次に視線を戻すと、瞳に映ったのは私に背を向けて帰路につく麗華の姿だった。



「まぁ、当然だけどそれから連絡も来てない。…来るとも思ってなかったけどね。」


「踏み出したんですね、レイカさんは。」


「うん。何がきっかけかは分からないけど…仕方ないよ。」


「…どちらが悪いわけでもない、強いて言えば"同性愛者の立場"が悪いですね。ほんと。」


 あの日は人生で1.2を争うくらいに最悪な日だった。


 もっとちゃんとした言葉で断っていればとか、それより前からもっと強く抑制していればとか。何度も後悔した。


「なんなんでしょうね。私達って。好きな人と好き同士になっても尚、幸せになれない。」


 それは、同性婚が認められていないこの国に住む同性愛者最大の問題だ。


 2人一緒に居られればそれだけで幸せだ、なんて軽々しく言えないのが現実。


 しかし、それは今関係ないはずだ。だって私は別に麗華に恋愛的な好きを抱いていない。


「…だから、私にもう恋愛感情はないってば。」


 もうとっくに終わった恋。最早私にそんな感情はないはずだ。だからこそ麗華の側に居れたんだ。


 しかし、ミカンさんは私を真剣な表情で見上げて口を開く。


「正確には『恋愛感情はない』ではなく『恋愛感情を無かったことにしている』では?」


 その言葉に、ぎゅっと私の眉間に皺がよる。


「好きでもない相手の為に、自分を汚して汚して汚し尽くして。それでも相手の幸せだけを願う?…それはちょっと無理がありますよ。」


「レイカさんの幸せの為、自分が抱くレイカさんへの好きを消す必要があった。その結果が今。」


「でもそれってつまりは、元を辿ればレイカさんの事が好きって事に回帰すると思うんですけど。」


「やっぱりシオンさんって、レイカさんの事好きですよね。」


 ミカンさんの言葉に、私の何かにヒビが入ったような感覚を覚える。


 確かにミカンさんの言っている事は筋は通る。けど、筋が通るからといって正解ではないはずだ。


 私の恋心は、麗華がノンケだとわかった瞬間に確かに消えてなくなったんだ。


 だから私は親友として、麗華の幸せを祈って…


「違う…私は…」


「タートルネック。」


「え?」


 私がどうにかそれを否定しようと言葉を発した瞬間、それに被せるように私の着ている服を掴んで、ミカンさんはその単語を発した。


「ずっと気になってたんですこれ。セックスするにはあまりにも不便ですよね。たくさん汗かくのにこんなに暑い服。」


 そして、言われたその言葉に私の心臓は嫌な跳ね方をした。


「レイカさんはシオンさんの首筋が大好きなんですよね。…ここ、シオンさんは誰にも触れさせないようにしてるんじゃないですか?」


「レイカさん意外に触れられたくない。違いますか?」


「レイカさんの為にどこまでも汚れる事ができるシオンさんですけど、レイカさんの前では綺麗でいようと努力していますよね。」


「それに、もうどれだけ跡をつけられても問題ないはずの今日もそれを着てきている。」


「レイカさんを待ってるんですよね?いつ帰ってきてもいいように、綺麗にしているんですよね。」


 私が今までも着衣したままセックスをしてきたという情報と、麗華が私の首筋がお気に入りで何度も口付けをするという情報、そして今日タートルネックを着てミカンさんを抱いたという事実。


 それらでここまで想像を膨らませたミカンさんには拍手を送りたい。


 …送りたいのに、私の体はまるで金縛りにでもあったかのように動かない。


 だって、今までもこうして他の女の子と過ごす時、必ずタートルネックの服を着てセックスをしていた事を、"私自身"は知っている。


 ここでミカンさんに何を言って誤魔化すことができても、その事実は自分に突き刺さる。


「今日は、どういう気持ちでレイカさんを重ねた私を抱いたんですか?」


「…麗華を、受け入れない為に…」


「その必要はもうないでしょう。告白は断ったんですから。」

 

 震える声と連動するように、バクバクと動く心臓がうるさい。


「本当はまだ持っているレイカさんへの好きを否定する為…なんじゃないでしょうか。」


「っ…」


 ミカンさんの質問は、私の心の奥にしまってある何かに確実に触れてくる。


 違うと否定したいのに、喉から出る言葉に音が伴わない。


 だって、今日、何故自分がミカンさんと寝ようとしたのかが分からない。いや、その理由を知るのが怖い。


「ごめんなさい、どうしてもそれを前提にするとシオンさんの今までの行動がしっかり一貫しているような気がして。」


「まぁ、私は今日会ったばかりですし。今言った事はシオンさんの話から拾い集めて繋ぎ合わせたチグハグな物。ただの拙い推理擬にすぎません。」


 ミカンさんの言うとおり、私の話した内容は麗華と過ごした時間のほんの一部。そこから妄想したミカンさんの言葉達でしかない。普通なら推理ごっこと笑って終わる話だ。


 だけど、やっぱり私は私の事をよく知っている。こうなると自分を偽る事が出来ない。


 確かに消えたはずの恋心が、何故か今はこの胸にある気がして仕方なかった。


「でも、もし少しでも心当たりがあるのなら…同性愛者の、そして人生の先輩として言わせてください。」


 ミカンさんは、身体を起こして私の上に覆い被さった。


 そして、優しく頬を撫でながら口調も優しく話始める。 


「どんなに辛くても、苦しくても、自分の『好き』を自分だけは否定しないであげてください。」


「終わった恋ならなおさら。好きを認めて、ちゃんと失恋して。…でなきゃ、いつまでもあなたは前を向いて歩けない。」


「ゆっくりでいいから、いつの日かこの服を脱いで好きな人を抱きしめられるように。」


 ミカンさんは私の服を何度か撫でながら、そんなことを言う。


 ミカンさんが話す度、私の感情はただぐちゃぐちゃになっていた。


「じゃあ、私は…私は麗華にまだ恋心を持っていたの…?」


「それで、麗華にあんなにべたべた触れてたの…?」


「…麗華がしてくれた行動全部に、私は内心喜んでたの?」


 この胸の内には、麗華を怖がらせた私が居たという事か。麗華を惑わせた私が居たという事か。私が嫌いな私が居たと言う事か…っ!


 だとするなら、麗華に抱きしめられて、首筋にキスを落とされて、私はずっと喜んでいた事になる。


 脳裏に浮かぶのは、私に怯える麗華の姿。


「…認められない…私は確かに友達として麗華の隣に居た」


 絶対認めるわけにはいかない。


 でないと私は何よりも大切な麗華にまた嘘をついていた事になる。親友を性的な目で見る異端者が麗華の隣に居たことになる。


 そんなの…ダメだ。絶対にダメだ。


「そこは否定してませんよ。」


 しかし、ミカンさんはあっさりとした口調で言ってのける。


「嫌な言い方になりますが、あなたの恋心からレイカさんを守ったのはあなたです。」


 そしてまた優しい口調で言われた言葉に、すぅっと体が軽くなる感覚を覚えた。


「私が…麗華を守った…?」


 そして同時に私は困惑する。


 仮に恋心を持っていたとして、どうして私が麗華を守ったことになる。


「はい。レイカさんの為に恋心を抑え込み、レイカさんの為にレイカさんの恋心まで否定してきた。」


「っ…」


 その答えに息を呑み、目頭の熱さを久しく覚える。


「あなたはちゃんとレズビアンのあなたに勝ったんです。親友のレイカさんを守り切ったんですよ。」


 そして、そう言いながらまた頭を撫でられて、私の涙腺は堪えきれずに崩壊した。


 思えばもう何年も流していなかった。


 ここまで恋焦がれた麗華がノンケだと知った時ですら、流れなかったというのに。


 好きという感情が生まれては、その度に殺し続けてきたから。いつしか痛みを感じなくなっていた。


 そういえばミカンさんは言っていた。傷を見つける事が出来るから傷の舐め合いが出来るのだと。今ならその意味がよくわかる。


「だから、私が言いたい事は一つ。…今度はレズビアンのシオンさんを優しく抱きしめてあげてください。」


 その言葉と一緒に、ミカンさんがぎゅっと抱きしめてくれる。


「私達同性愛者はどう頑張っても幸せになれないかもしれない…だけど、レイカさんに恋をしたこの子は何も悪くないんですから。」


 そして私はそんなミカンさんにしがみつくように抱きつき、その胸元で今まで殺してきた自分の分まで赤子のように泣き続けた。

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