第0.1話

「はふぅ…シオンさん、うますぎませんか」


 ミカンさんがベットにぐったりと横たわりながら話しかけてくる。


 大きな胸を上下させ、肩で息をする姿は満身創痍だ。


「ん、そうかな?」


 私は、汗で顔に張り付いたミカンさんの髪を優しく剥がしてあげる。


「こんなに気持ちよくなれたの、初めてです…」


 頰を赤く染めて、私を見つめるミカンさん。


 私はミカンさんの上に跨り、耳元に口を寄せる。


「『満足してもらえたのなら良かった。愛してるよマフユ。』」


「あっ…ミユキっ…」


 そして、再びRPを始める。


 ミカンさんからのリクエストだ。ミユキという人になりきって、マフユを抱く。


 私は可愛らしくしがみついてくるミカンさん、もといマフユさんをひたすらに攻め続けた。



「…ありがとうございました。シオンさん。」


「んーん。私もすごく良かったから。」


 まだ呼吸が浅い様子のミカンさんが、私に腕枕をされながら感謝の言葉を伝えてくる。


 RPについての感謝なんだろうが、こちらも楽しませてもらったからお互い様だ。


「でも、良かったんですか?シオンさん一回もイけてないですよね?ずっと私が抱かれっぱなしで。」


「うん。大丈夫。私は女の子を抱いてればそれだけで気持ちよくなれるから。」


「へぇ。確かにプロフにタチとは書いてありましたけど、まさか洋服も脱がないとは。」


 ミカンさんの言う通り、私は外着を脱いだだけで下着や上着は着たままだ。


 女の子を抱きしめていれば気持ちよくなれると言うのに嘘はない。実際今履いている下着はもう使い物にならないだろう。


 けれど、上着を脱がないのには別の理由がある。その理由を特に強く表すタートルネックが首元までしっかりと私の肌を隠していた。


「不快にさせちゃった?」


「え、あ、いえ。人には人のこだわりだったり、趣向だったりがありますからね。全然気にしないですよ。」


「ふふ。よかった。」


 相手の肌を見れないという事に不満を抱いたり、自分だけ脱ぐという事に羞恥心を覚えたり、私のこの着衣をしての行為は良く思われない事もある。


 ただ、私達は同性愛者という一番なコンプレックスである共通点を持っている事もあり、そういった些細な事は大体ミカンさんのように受け入れてくれる。


「まだ時間ありますし、もう一回私がレイカさん役やりましょうか?結局最初の一回きり、ずっとシオンさんにミユキちゃんの役やらせちゃいましたし。」


「大丈夫だよ。一回で十分なんだ。」


「そうですか?…なら、いいんですが。」


 ミカンさんの提案はありがたいけれど、私が相手を麗華に見立てるのは一回だけ。それで充分なんだ。


「ところでところで。レイカさんって、どんな人なんですか?」


 ミカンさんが私の腕から、私を見上げて聞いてくる。


 この手の質問は、毎回相手した子に聞かれる。所謂ピロートークの一環だ。


「…世界で一番可愛い子…かな。」


 そして私は毎回そうやって答える。


「それはまた大きく出ましたね。」


「でもね、見た目は全くタイプじゃないんだよね。」


「えぇ?可愛いのに?」


 クスクスと笑っていたミカンさんは、私の言葉を聞いてキョトンとした表情になる。


 これを聞くと、みんな同じような反応をするから面白い。


「うん。麗華はすんごいクールな美人さんだから。それで私のタイプはキラキラなアイドルみたいな可愛い女の子。」


「あ、それは分かります。やっぱりアイドルが正義ですよね。」


「そうそう。あ、だからミカンさんはめっちゃタイプだよ。すんごい可愛いし。」


「え、えへへ。照れますね。」


 デレッと笑うミカンさんは、本当に私のタイプど真ん中の女の子だ。体つきも言うことなしだし、行為の相性だって良い。


 けど…


「だけど、麗華は好きなタイプとか関係なしに、心の底から好きだと思えた初めての女の子なんだ。今まで見た目で好きになってきた人達とは全然違うの。」


 麗華はそんなタイプの子達を押しやって、私の中で頂点に君臨するんだ。


「片思いなんですか?」


「…正確には、片思いだった、かな?」


「はへ?」


 またもやキョトンとした表情をするミカンさん。


 本来一夜限りの相手に、こんな話はしない。


 けれど、人生最悪とも言えるクリスマスの日に相手をしてくれたミカンさんということもあり、今日は全てを吐き出したくなった。



 初めて麗華を見た時、とんでもない美人さんだなと思った。


 凛とした顔つきに、鋭い目付き。顔はパーツが完璧に配置された造形美。


 サラサラの長い黒髪、モデル顔負けの細長い手足。それでいて出るところはしっかり出ている良いとこ取りっぷり。


 うちの義母である咲ちゃんも、私の人生で出会ってきた人の中で1、2を争う程の美人だったが、彼女はそれに負けていない。


 きっと、すごくモテるんだろうなぁという感想を抱いた。


 …抱いた感情はそれだけだった。


 確かに美人だ。そして私はレズビアンである。ならば恋をしたり欲情したりしてもおかしくないと思われるかもしれないが、それは無い。


 だって、美人はタイプじゃないし。


 私の好きなタイプは、アイドルの深雪ちゃんみたいな子だ。ザ・女の子って感じの子。


 彼女の容姿はまるで掠りもしなかった。


 それだけで、完全に恋愛対象外だった。レズビアンにだって好みあるのだ。


 だから安心して距離を詰めた。私がいつものようにレズビアンであることを隠せばただの同性の友達として過ごせるから。


 何の問題もないと思っていた。


「本当に、対象外だったんだよね。好きって気持ちにならなかったし。」


 でも、容姿が全くタイプでない麗華に恋心を抱く心配はないと、距離を詰めた事が間違っていたのかもしれない。


 私は、どう転んでも同性愛者悪者だった。


 麗華はそのクールな容姿からは考えられない程に、甘えん坊だった。


 ─仲が深まっていく度に、どんどん過剰になるスキンシップ。


 ─私が友達と旅行に行くと話した時の、隠しきれない私の友達への嫉妬心。


 ─明らかに私を独占しようとしている予定組。


 ─最早講義の時間以外の、私の全ての時間を喰らおうとするその貪欲さ。


 ─そして、そんな麗華の性別は女の子。


 こんなにも『橘綾音』を求められるのは初めてで、同時に初めての感情を抱いた。


 …これが、恋なんだ。


 今まで惹かれてきたタイプの容姿をした女性達の事は、本気で可愛いいと思ってきたし、アプリで出会った子達を抱いた時には確かに幸せな気持ちになってきた。何人かとはお付き合いをした事だってある。


 けれど、麗華に抱く感情はいままでの物とはまるで違った。


 ─私の身体に触れようと必死な麗華が可愛らしい。


 ─顔も見た事ないような私の友達にこれでもかと嫉妬する麗華が愛しい。


─私を独占しようと頑張る麗華の姿にときめいた。


─ほんの少しの空き時間も許さないと言わんばかりに隙間に入り込んでくる麗華を、そのまま私の物にしたくなった。


 好きなタイプは所詮好きなタイプでしかないのだと思い知った。


 麗華は全てが愛らしかった。そして、そうなると麗華のクールな容姿も可愛らしい性格と合わさって完全に私の好みへと変化した。


 気付けば私はそんな麗華に夢中になっていた。


 そして、異常なまでの執着を見せる麗華に、もしかしたら麗華も私の事が好きなんじゃ…なんて、そんな風に考えるようになった。


 けれど、同性愛者の思考がどれだけ異端な物なのかを再び思い知る事となる。


『私には天龍君が居るから。』


『む。すっごく優しくて、仲間思いで、喧嘩も強くって、カッコいいのよ。』


『それでね、何よりいいのはこの鍛え抜かれた筋肉。すっごい努力したのが分かる。素晴らしいわ』


『一度でいいから天龍君に抱かれてみたいわね』


 顔を赤くした麗華が発した言葉達。


 その瞬間に、私は一気に夢から覚めた気がした。


 咲ちゃんに、あれだけ説教されて。なのにまた私は繰り返す。


 どれだけ仲良くなっても、所詮は同性。恋仲になる事なんてない。


 あぁ。そうだよね。


 一瞬にして消えていく恋心。


 その後にやってきたのは、とてつもない罪悪感だった。


 目の前には好きな男の話をする女の子。私はそんな女の子に性的興奮を覚える女。そして私はそれを隠してノコノコとその子の家に上がり込んでいる。


 心の底から自分が恐ろしかった。


 麗華の事が大事で、幸せにしたいと願っていたのに。


 何も知らない麗華は、目の前の同性の友達に狙われている。


 こんなの、許されてはならないと思った。


 今までだってノンケの女の子に何度も惹かれてきた。そしてノンケだと分かるたびに熱は冷め、どうでもよくなった。


 けれど、麗華は違う。確かに夢のような恋からは覚めたけれど、大事な友達なのは変わらない。


 麗華にだけは、嘘をつきたくなかった。


『私さレズビアンなんだ。同性愛者。だから男は絶対無理。死んでも抱かれたくない。』


 …今でも思い出す。


 私がそう言った時の麗華の恐怖の表情を。


 私が少し動いただけで可哀想なくらい震える華奢な身体。


 それを見た私は、心の底から『よかった』と思った。


 自分が間違いを犯さなくて済んだ。麗華にとっての恐怖の対象を、ここで殺せる。


 失恋をして、ここまで穏やかな気持ちになれたのは初めてだった。

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