第16話

「お待たせ綾音。」


「お!お疲れ様麗華〜」


 金曜のお昼休み。いつものベンチに座ってスマホをいじっていた綾音を見つけて駆け寄る。


 今日私の方の2限が長引いた事で待ち合わせに少し遅れてしまった。綾音との時間は1秒だって大切な物だ。授業の終盤私はかなり苛立っていた。


 けれど、私と言う生き物は単純そのもので。綾音の姿を視界に入れた瞬間胸がときめき、喜びに満ちていく。


 私は駆け寄った勢いのまま、綾音の膝上に乗っかる。勿論綾音はそんな私を完璧に抱き止めてくれる。


「おっほ。すっかり遠慮がなくなって。」


 綾音は私の一つに束ねられた後ろ髪、いわゆるポニーテールを撫でて、微笑む。


 今日は勝負の日なので、身なりには気合を入れた。


「…嫌?」


「ぜーんぜん。ほら、ぎゅ〜」


「んふふ。じゃあ私も…ぎゅっ」


 綾音が私の腰を両腕でホールドして、身体を寄せてくれる。それに乗じて私の方も両足までしっかり使って抱きついて綾音を堪能する。私と綾音の見た目は完全にコアラの親子だ。


「ん〜麗華は本当に甘えん坊で可愛いねえ」


 それもこれも、こうして綾音が私を甘やかしてくれるせいである。


 綾音はあれから何度か『可愛い』と言ってくれている。その度に全身がソワソワして、口角が上がってしまう私。


 そして私の唇は、いつも通りに綾音の首筋に吸い込まれる。


「んっ…」


 私の唇が肌に触れると、綾音が色っぽい声を上げる。


 その声も楽しみながら、最初はペロペロと犬のように舐め、次にちゅうちゅうとその肌を吸う。そして最後は歯を出して跡が残らない程度の力で何度も何度も噛みつく。


 綾音が許してくれてから日常化したこの行為。


 綾音は私の後頭部を優しく撫でながら、大人しくされるがままになっている。


 片方の首筋に満足したら、反対側だ。いつものように私は頭の位置を動かす。ここからまた新鮮な綾音を堪能するのだ。


「はーい、そこまでだぞポチ。」


 しかし、今日は違った。


 動かそうとした頭は綾音のその言葉と共に首筋から引き剥がされる。


 え?嫌だった?…その少しの拒否行動に怖くなって、綾音を見つめる。


「あはは。しゅんとしてる姿まで犬みたいだなぁ。」


 引き剥がされた事で落ち込む私を笑う綾音。


 次に、また後頭部に綾音の手が添えられて撫でられる。


「これから外に食べにいくんでしょ?3限が空きとはいえ、そろそろいかないと。」


 不安と不満に満ちていた私の心が、綾音のその一言で一気に晴れる。


 そうだ。昨日私は綾音に今日のお昼は大学の外で食べようと誘ったんだった。


 それを思い出した私の心臓は、バクバクとうるさく高鳴る。


「あ、あのっ…綾音…」


「んー?」


 私は綾音の頰に両手を置いて、その綺麗な瞳を真っ直ぐ見つめる。


「ごめんなさい。約束…嘘なの。」


 そして私は、用意したモノを出す前に嘘をついた事への謝罪をする。


「ふぇ?」


 ポカンとする綾音。無理もない。


 外食するというのは嘘でしたという一見なんの意味のない嘘をつかれたんだ。


 けれど、私にとっては必要な嘘だった。


 私はベンチの脇に置いた自分のバックを持って、中から布に包まれたソレを取り出す。


「…作ってきたの。お弁当。」


 私の嘘だったと言う告白から、ポカンとしたままだった綾音の表情は変わらない。可愛い目で私を見つめてパチパチと瞬きを繰り返すばかり。


「…えっと、要するに…どういうこと?」


 ようやく声を出した綾音。


 私はどう答えようか迷う。


 外食しようと誘ったのは、綾音にお昼ご飯を買わせないための嘘。そしてこのお弁当は、手ぶらの綾音に食べてもらう為の自作。


 クリスマスデートに誘う為、気合を入れて色々準備した結果だ。


 こんなの綾音に想像できるわけがないし、私だってまだ言えない。


 考えて、考えて…


「…食べてもらえると、嬉しいです。」


 お弁当を脇に置き、体を大きく曲げて綾音の胸に顔を埋め、私はそう言った。


 言い訳とか、余計な事を言わないように、ただそれだけを伝えた。


「あ、あぁ!なるほど!私にお弁当食べてほしくてあんな嘘ついたんだね?」


 私は綾音の胸の上で、コクリと小さく頷く。


 ここまでくれば、さすがに概ねの経緯が伝わったようで。綾音から確信をつく質問をされて、顔が熱くなる。よくよく考えてみたらはちゃめちゃに恥ずかしい。


「っ…可愛いかっ!もうっ!」


 そんな風に羞恥に耐える私の頭を、綾音はわしゃわしゃと撫で回す。


 また可愛いと言われた事に、口角がぎゅっと上がる。


 私は顔を綾音の胸から離し、姿勢を正す。そうすると丁度私の顔の下にくる綾音の顔。


「…うれし?あやね?」


 綾音の顔を見下ろしながら、聞く。


「うん、嬉しいよ。でも嘘ついちゃうなんて麗華は悪い子だなぁ。」


 そんな私の質問に、綾音は微笑んで。ツンツンと私の頰をつついてそんな事を言ってくる。


 その綾音の言葉に、今更ながら一つ大事な事を見落としていた事に気づく。


「っ…が、外食の方が良かったら今からでもっ…その、私料理の勉強始めたの最近で、まだまだ全然ダメダメで…だから…そのっ…」


 綾音がもし本当に外食を楽しみにしていたなら、どこかおすすめの場所を探していたとしたら、私は最低な事をしたことになる。


 それに、私の腕はまだまだだ。料理を始めたのは1ヶ月くらい前からだし、フード店の料理人さんの方が上手いのは当たり前。


 一気に不安になってきて、悪い方向に思考が働きかけるその時、私の頭は綾音にぎゅっと抱きしめられた。


「麗華。」


「…あやね?」


「食べていい?」


 頭を抱き抱えられながら、耳元で聞こえた声に私の思考は悪い事もろとも全てが一気に停止する。


 ぞわっと背筋が震える。心臓がバクバクとうるさい。


 黙ってしまった私に、綾音はまた耳元で囁く。


「…ダメ?」


「…ん…ぃぃよ…」


 完全にノックアウトした私は、小さく掠れた声で肯定した。そして、照れ隠しのように綾音の首筋に何度も口付けをする。


 綾音は相変わらずそれを受け入れてくれて、繰り返しているうちに私の身体の火照りもなんとか治まる。


 最後に甘噛みをしてから、唇を離す。


 それを合図に、綾音は私の腰を軽くポンポンと叩く。


「それじゃあ麗華、お弁当食べたいから一旦降りれる?」


 そして言われた綾音の言葉に、またすっかり忘れていたプランを思い出す。


「あ、…その…」


「ん?」


 私は端に置いていたお弁当を、綾音のお腹と私のお腹の間に置く。


「…綾音はそのまま、私の事抱っこしてて」


「…んん?」


 そして包を広げ、お弁当を取り出して蓋を開ける。


「…私が…食べさせてあげる」


「……んんん?」


 私の考えていたプラン…すなわち、『あーん作戦』である。



「…どれから食べたい?」


 お弁当箱に入ったおかずを見せて聞く。


「んー…じゃあ…たまごで」


 その質問に困ったように笑いながら、綾音が答える。


「…たまご、好きなの?」


「うん。好きだよ」


「…そっか…入れて良かった。」


 『好きだよ』という言葉に、私の心臓がドキッと跳ねる。


 卵焼きは料理初心者だった私には中々難易度が高いものだった。いや、自分で食べるだけなら構わないのだが、綾音に食べてもらうとなると見た目が重要で。中々納得のいく出来にならなかったのだ。


 それを今日はメニューに入れ、なんとか形にして入れることが出来た。


 私は片手でお弁当箱を掴み、もう片方の手で箸を持つ。


 そして私の腰に両手を使っている綾音の口に、卵焼きを運んでいく。


「…綾音、あーん。」


 私が綾音の口元に卵焼きを持ち運んでそう言うと、綾音がゴクリと喉を大きく動かした。


「…あ、あーん」


 そして、ぷるっと潤った綾音の唇が恐る恐るという風にゆっくり開く。


 すると見える赤く綺麗な舌と、白くて綺麗にならんだ歯。そして口内に唾液が多かったのか、唇を開く際に出来た透明な糸。


 今度は私の方がゴクリと喉を鳴らす番だった。綾音の何もかもが私を興奮させる。


「は、恥ずかしいから!早く食べさせて!?」


 私が綾音の口内に見惚れていると、その口が閉じ、顔を赤くした綾音から文句が飛んでくる。


 いけない。そうだ、私の目的はお弁当を食べてもらう事だった。


「ごめんなさい…じゃあ、もう一度…あーん。」


 気を取り直して、もう一度卵焼きを綾音の口元に持っていく。


 すると綾音は口を開いて、それをパクリと素直に受けいれてくれた。


「…ん。」


 もぐもぐと、可愛らしく頰を膨らませて食べる綾音。


 それをみていると、可愛らしさに胸が躍る一方で不安が込み上げてくる。


「…どう?殻とか入ってない?味濃くない?焦げたりしてない?何かマヨネーズとか醤油とか持ってきた方が良かった?」


「んっく…だ、大丈夫だよ麗華!すっごく美味しいよ!すごいね!?自分で焼いたんだもんねこれ?」


 私の不安を、卵焼きを飲み込んだ綾音は笑顔で否定してくれる。それだけで私の心は幸せで一杯になる。


「っ…う、うんっ…そうよ…んふ、んふふ…」


 褒められた私は、自分でも分かるくらいに破顔した。


 そんな私に綾音はまた優しく微笑んで、私の腰にあった片方の手を、私の頬に持ってきて撫でてくれる。


「ありがとうね。私の為に作ってくれたの、ほんとに嬉しいよ。」


 そしてそんな事を言ってくれる。


 今日一番に、胸がきゅぅぅぅぅっと締め付けられた。


「っ…んぅ…」


 私は堪らず、いつもの場所に顔を近づけて唇を何度も押し付け、舐め、噛み付く。


 好き…好き…綾音…大好き…


 溢れ出る思いは、今はまだ言葉にできない。その代わりとばかりに、綾音の首筋を汚す。


「んんっ…!ちょっ、ちょい!?お弁当危ないからね、ほら!落ち着いて麗華。」


 思いのままに綾音に口付けをする私の代わりに綾音はお弁当箱をベンチの端に置く。なんとも気の利いた事だが、他に気を許すのは気に食わない。


「…あやね…あやね…んくっ…」


 いつもよりも多く、いつもよりも激しく、綾音をただひたすらに求めるように舌を這わせる。


「あはは、よしよし。…これじゃあゆっくりご飯も食べれないよ…」


 私の事を撫でながら、綾音は苦笑する。


 そして綾音が言ったように、結局私が満足したのはそれから20分以上経った頃。それまでひたすらに綾音の首筋にかぶりついていた。


 私が言うのもなんだけど、綾音は本当に凄いと思う。こんなこと20分も続けられて、されるがままだなんて。


 しかも、ようやく離れた私に綾音は嫌な顔せず微笑んでくれるし。


 置きっぱなしにしていたお弁当も、私があーんをする毎にリアクションするせいでかなり時間がかかってしまったが、美味しいといって全て完食してくれた。


 こんなことなら、毎日だって作ってあげたいし、食べさせてあげたい。それすなわち同棲、恋人、結婚、家族、夫婦。素敵な未来だ。


 私は綾音の頰についた米粒…まぁ、私がわざとくっつけたんだけど。…それをとって、自分の口に持っていきながらそんな明るい未来を想像して、悶えていた。

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