第8話
「中学生なんてまだ子供だ。自分がどう言った存在なのかあいつは理解してなかったんだ。」
どこか遠い所を見つめる咲先生は、綾音の過去を話し出した。
◆
「ある日、あいつは好きになった女に告白して、フラれた。その女はそれをみんなに面白おかしく話してな。それが学年全体に広がった。」
「バイ菌がつく〜みたいなイジメ、あるだろ。あいつはそんな感じで、大袈裟に女子から避けられる様になった。そんな女子達を守るヒーロー気取りの男子からは暴力を振るわれた。」
「そうなると、もう学校に綾音の居場所は無くなった。」
「更に追い打ちをかけたのは、その事件が原因で両親が離婚した事だ。」
「父親が、同性愛者のあいつの事を認められなくてな。いじめられて塞ぎ込んでた綾音に暴言、そして暴力を振るうようになった。」
「ついには自分の家すらも安心して過ごせる場所じゃなくなった。」
「でも救いだったのは母親の方が綾音に理解があったこと。」
「綾音の母親はな、元は同性愛者だったんだよ。まぁ、同性愛者なのにどうして男と結婚を…?って疑問は今は関係ないから詳しくは省くけど。」
「そして色々あって、知り合いだった私は行く宛のない2人を引き取った。」
「それから、私と明乃さん…あいつの母親で綾音のメンタルをケアしつつ、自分がどう言う存在なのかを教え込んだ。」
「辛い現実だとしても、理解しない事には生きていくことすらできないからだ。」
◆
だから咲先生は綾音を頑なに悪者として見ていたのか。
…綾音を守る為に。
そうすると、咲先生の綾音に対する愛情をこれでもかと感じた。
私は今の綾音しか知らない。明るくて、優しくて、太陽の様な女の子。
そんな子が塞ぎ込んでしまった時期があるなんて、想像もつかない。
話の通りなら、お母さんと目の前にいる咲先生が必死に綾音を支えたのだろう。
2人がいなかったら、私は綾音に出会ってなかったはずだ。
そんな奇跡の中で出会えた大切な彼女に、私は自分が思っていた何倍も酷い事をしてしまったんだ。
「お願いします…綾音に…会わせてください」
溢れて止まらない涙を拭うこともせず、私は咲先生に懇願した。
会いたくてしかたなかった。なんでもいいから、彼女の側に居たかった。
「同情してもらうために話したんじゃない。」
しかし、咲先生からの言葉は厳しいものだった。
「できればお前にはもう、あいつに関わってほしくないから話した。」
「お前は悪くない。普通の人間として自然な行動をしたまでだ。」
「でも、私からしたらお前は悪だ。私の大切な娘を傷つけた奴だ。」
「これは一般論じゃない。視点の問題だ。」
「善から見た悪は悪。だが、悪から見た善は悪になるんだ。視点で善悪は逆転する。」
やはり咲先生の綾音に対する愛情は果てしなかった。
そして、一度綾音を拒絶してしまった私はそんな彼女の逆鱗に触れていた。
さっきまで咲先生が私を肯定してくれていたのは、私の為じゃなかった。
私が綾音の敵だと認識させる為に、強調して私を普通の人間として扱ったんだ。
善悪の話は、視点の話に繋げる為の土台。
「話は終わりだ。」
「綾音がいないと…私はダメになる…」
上げっぱなしだった長い生足を下ろして、先生は立ちあがり、講義室を出ていこうとする。
私はそんな先生に寄って、立ち上がった先生の前に立つ。現状綾音と2人きりで話すチャンスは、目の前のこの人を介するしかない。逃すわけにはいかなかった。
「でも"レズビアンの綾音"はいらない。だろ。」
「ちが…」
「言ったろ。同性愛者はそこを否定された瞬間、全部終わりなんだよ。」
咲先生は、少し低いところにある私の顔を見下ろしながら冷たく言い放つ。
私は下唇を噛んで、先生の言葉を受け止める。
話は理解した。先生の綾音への深い愛情も伝わった。
それでも…
「綾音に…会いたいです…」
私はそれだけだった。
レズビアンだって、なんだっていい。私はどんな彼女だって、受け入れる。
一度は拒絶してしまった、その一度が彼女にとって全てだったとしても。
「会って何をする。」
「謝罪と…」
「いらねぇんだよ。そんなもん。お前は正しいんだから謝罪する必要がない。」
「…イヤ…綾音…あやね…おねがい、します…おねがい…」
何を言っても、私の言葉では綾音を理解している先生に勝てない。届かない。
もうなりふりかまっていられなかった。
「おい…」
咲先生がそんな風に、少し驚いた声を上げる。
私は地面に頭をつけた。文字通り。土下座よりももっと深く、ただ頭を下げた。
「おねがいします…あやねに…」
私が必死に頭を下げているのを見て、咲先生は深いため息をついて、椅子に座り直した。
「…お前さ、ずっと気になってたんだけど…綾音の事どう思ってんの?」
そして、先生は私にそんな質問をしてきた。
「お前のその綾音に対する異常なまでの執着はなんだ?」
異常…なのだろうか。
友達は綾音しかいないから、正常がわからない。
「綾音は…友達で…親友で…それで…ずっと側に居たくて…」
綾音をどう思ってるかなんて、考えた事がなかったから上手く言葉が出てこない。
だって形がどうあれ綾音が側に居てくれれば別になんでも良かったから。
一応、友達で親友という枠組みだとは思うが…それが適切な言葉なのかと改めて問われると、正直わからない。
「綾音を拒絶した時、どんな心情だった?言葉を濁さず、詳しく頼む。」
綾音との関係を上手く言葉にできない私に、咲先生は顎に手を置き、少し考えてからそう言った。
あの時の心情は、覚えている。
咲先生の質問の意図は分からない。けど、応えなければ綾音には届かない。
なら、素直に全部話すべきだと口を開いた。
「えと…私を性的な目で見る人が密室に居るんだって思ったら、突然綾音が別人に見えて、綾音じゃない何かに襲われるんじゃないかって怖くなって…」
そう。あの時、私の目に映っていたのは綾音じゃないナニカだった。
私はそれに恐怖した。言い訳になるかもしれないけど、綾音に恐怖したわけじゃない。それだけは信じてもらいたかった。
私の話を聞いた咲先生は、眉間に皺を寄せてからまた顎に手を置いて考える。
それから、私を向いて口を開いた。
「…お前、セックスしたことあるか?」
脈略が全くない様に思えるその質問に、思わず息を呑む。そして、顔に熱が溜まる。
でも、咲先生はふざけてるわけじゃない。この質問にも意図があるはずだ。
そう思って、私は恥ずかしい気持ちを抑え込んで素直に首を横に振った。
「…あり‥ま、せん」
「え、恋人は?」
「…い、いたことありません」
「…まじかよ。」
どうしてそんな質問をするのか。
罪悪感でいっぱいだった私の心に、物凄い勢いで羞恥心が襲いかかってくる。
咲先生を見れば、何故か頭を抱えて机に突っ伏していた。
「…最後にいいか。質問に答えてくれたら、あいつに会わせてやってもいい」
暫くそうしていた先生は、ゆらゆらと顔をあげて私にそう言った。
「!!!は、はい!!!」
その言葉に、私は今週1番の元気な声で応えた。
何が先生の心境を変えたのか分からないが、綾音に会えるのならなんでもよかった。
「あいつに恋人が出来たら、どう思う。」
しかし思わぬ質問に、ドキッとする。
綾音に恋人…それは、喜ばしい事のはず。
でも、綾音はレズビアンなわけで…ということは、相手は女の子。…私と同じ女の子…
この前見た光景、綾音に抱きつく見知らぬ女。私と同じ、女。
…嫌だった。
「…それは、本音で言っていいんですか?」
「本音で頼む」
真剣な表情の先生に、私も意を決して口を開く。
「…私との時間が減るなら…嫌です。」
口にしてみると、凄く恥ずかしい。
さっきまで私は咲先生に敵認定されて、説教をされていたはずなのに…なんでこんな恋愛トークみたいな事をしているのだろうか。
「具体的に、普段はあいつとどのくらいの時間を過ごしてる?」
その質問なら、簡単に応えられる。
私は毎日綾音と過ごしている。それを詳細に話せばいいだけだ。
「月から木曜日は時間があまり合わないので、大学ではお昼休みだけ。綾音は最終のコマを取ってたりで遅くに帰ってくるので、その時間に合わせて一度家に帰った私が駅まで迎えに行って、そのまま夜まで近場で遊びます。」
「金曜日は、お昼からこのゼミまでずっと一緒です。大学が終わったら勿論夜まで2人で遊びます。」
「土日は、ほとんどどっちも夜まで遊びます。私の方に予定はないので、遊べない時は綾音のせいです。そこはあまりよく思ってません。土日の時間は全部私が欲しいです。」
「金曜日の夜にお泊まりをして、土日はそのまま遊んで泊まって、月曜日は一緒に大学に行きたい。出来ればこれをサイクルにしたかったんですけど、こんなことになって…」
「それに加えて、1週間毎日帰ってからは深夜まで通話します。私は大抵6時に起きるので、2時くらいには寝落ちしてしまうんですけど。綾音は私が寝落ちするまで通話を繋いだままで居てくれるんです。」
こうして口に出してみると、私は本当に綾音の事が大好きなんだなと思う。だって、綾音との思い出を振り返るだけでこんなにも胸が満たされる。だからこそ、この日常はなんとしても取り戻したい。
私は説明を終えて、咲先生を見る。
何故か、ドン引きの表情をしていた。
まさか、何か不味かっただろうか。失言してしまったのだろうか。綾音と会わせて貰えないのだろうか。
お腹の下から、どんどん不安が昇ってくる。
「それ、遊びとか昼飯とか、いつもどっちから誘ってんの?」
「えっと…全部私からです…」
意図は全く分からないけど、質問には素直に応えてる。なのに先生の反応がイマイチだから、不安が大きくなる。
「…どこまでならお前らの時間を、あいつの恋人(仮)に奪われてもいい?」
しかし、この質問にはハッキリと答える。
「全部あげません。さっき話した通り、泊まりとか増やしてもう少し綾音との時間を増やしたいんです。減るのは論外です。」
誰にも譲りたくなかった。綾音の隣も、時間も、笑顔だって。全部独り占めしたい。
そもそも今の状態でも時間が足りないくらいだ。寝て起きたら隣に綾音がいるくらいじゃなきゃ、満足とは言えない。
こんな状態で、渡せるわけがない。
「あいつがレズビアンだと知った今、それでも今まで通りべったりくっつくつもりなのか?」
「勿論です。」
これも即答だ。
先生の話で、性的趣向については少し見方が変わった。
でも、実際問題レズビアンだろうがなんだろうがどうでもよかった。この1週間で、それを実感した。
綾音が側に居ない事が、私にとっては死活問題。呼吸に酸素が必要なのと同じで、私には綾音が必要だった。
私は真剣に咲先生を見つめる。
すると、今度は呆れたようにため息をついて、さっきみたいに机に突っ伏した。
「…なんだよこれ。真面目に説教して損した気分だ。」
そして、そんな事を呟いた。
でも私には、そんな咲先生の心理状態などどうでもよかった。
「綾音には、会わせて貰えるんでしょうか。」
私が求めるのは、ただその返答。それだけだ。
私がそれを言うと、またのそのそと頭を上げて、机の引き出しからペンとメモ用紙を取り出し、何かを書き始めた。
「ちゃんと食べて、寝ろ。そんな酷い顔であいつに会いに行くのは卑怯だ。」
情に訴えかければあいつは受け入れるだろうからな。
そう言って、先生は私に紙を見せた。
「また来週、このゼミに来い。その時お前の顔色が良ければこいつを渡す。」
その紙は、指で巧みに隠されているが、明らかに住所だった。
会える。綾音に。
また1週間の我慢は強いられるが、死んだように過ごした今週とは訳が違う。
綾音の為に過ごす1週間だ。
「約束できるか?」
真剣な表情で聞いてきた先生に、私は力強く頷く。
「はい!」
結局どうして先生の心境が変化したのかは、最後まで分からずじまいだったが、私の頭の中は綾音のことでいっぱいだった。
早く、早く綾音に…
◆
「ただなぁ…あいつ、あの一件のせいで、同包以外まじで対象外になったから大変だぞ。…まぁこいつの自業自得だけど」
東雲咲は、綾音の事で頭がいっぱいになっている女の子を憐れむ。
ただ、綾音の為にも2人の関係が収まるところに収まってほしいと願う。
「しっかし…」
ふっと笑って、涙を流しながら喜んでいる女の子を見る。
「あいつもとんでもねぇ奴にひっかかっちまったな。」
そして、綾音のこれからを思って苦笑した。
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